EP 8
死線と泥濘、そして狂犬の牙
大気が悲鳴を上げていた。
キュロスの放つ青白い『闘気』は、もはや実体を伴う刃となって荒野の空気を切り裂いていた。
一歩踏み込むごとに大地が抉れ、飛沫となった泥が冷たい雨のように降り注ぐ。
「おおおおおっ!!」
キュロスの大剣が、雷光のような速度で斜め上から振り下ろされた。
「チッ……!」
信長が横へ跳躍する。
コンマ数秒前まで彼が立っていた場所が、轟音と共に爆ぜた。
直撃を避けたにもかかわらず、闘気の余波だけで漆黒のタクティカルベストが凄惨な音を立てて裂け、信長の脇腹から鮮血が噴き出す。
「ぐっ……!」
信長は泥濘を滑るように転がり、膝をついた。
鉄錆のような血の匂いが鼻腔を支配する。
傷口から流れ出る温かい液体が、雨に濡れた軍服に染み込んでいく感覚。
痛覚が脳の警鐘を乱打する。
「終わりだ、異邦人」
キュロスが、大剣を構え直して歩み寄る。
その後ろでは、五十の飛竜と魔導戦車部隊が、いつでも村を蹂虤すべく待機していた。
絶望的な戦力差。
圧倒的な個人の武。
誰もが、信長の死を確信しただろう。
だが。
「……ハッ。はははははっ!」
信長は脇腹の血を無造作に拭い、喉の奥から獣のような笑い声を漏らした。
「終わり? おどれ、本気で言っとるんか」
信長はゆっくりと立ち上がる。
その網膜の裏には、いつかの土砂降りの演習場がフラッシュバックしていた。
泥水の中に顔を沈められ、軍靴で踏みつけられた記憶。
見上げる先には、出雲艦隊総司令官である巨大な父・真一が立っていた。
『オドレはまだ地獄に浸かっとらん。半人前や』
『兵士が地獄に浸かって進まんと、国民は守れん!』
それに比べれば。
綺麗に研がれた大剣も、誇り高い騎士の顔も。
「こんなモン、親父の殺気に比べりゃ、春のそよ風じゃけぇ!!」
信長が足元のコンテナを蹴り飛ばした。
中から引きずり出したのは、無骨な回転式弾倉を備えた巨大な銃器。
『M32A1マルチプル・グレネードランチャー』。
「な、なんだその魔道具は……!?」
「おどれら、一緒に地獄に浸かろうや」
信長が引き金を引いた。
『ポンッ!』という気の抜けた発射音とは裏腹に、撃ち出された40ミリ擲弾がキュロスの足元で炸裂する。
『ドゴォォォォォォンッ!!!!』
「ぬおおっ!?」
キュロスが闘気の盾を張るが、信長は止まらない。
二発、三発、四発。
鼓膜を破る連続した爆発と、土煙が視界を完全に奪う。
「無駄だ! その程度の爆発、我が闘気は貫け――」
「アホが。真っ正面から貫くわけないじゃろうが」
煙の中から響いた信長の声は、キュロスの『背後』にあった。
キュロスの背筋が凍りつく。
爆発は、目眩ましと音の偽装に過ぎなかった。
振り返ろうとしたキュロスの視界の端。
泥の中に無数に突き立てられた、小さな湾曲した緑色の箱(クレイモア地雷)が目に入った。
「チェックメイトじゃ」
信長が手元の起爆装置を握り込む。
『バババババババババババッ!!!!』
無数の鉄球が、指向性を持った死の散弾となってキュロスの足元から襲いかかった。
「がぁぁぁぁっ!?」
いかに強固な闘気も、下からの無数の物理的飽和攻撃には耐えきれず、キュロスの姿勢が完全に崩れる。
その一瞬の隙。
『宮本武蔵』の兵法において、敵の「拍子」が完全に外れた瞬間。
泥濘を蹴り飛ばし、信長が弾丸のように肉薄した。
銃ではない。
拳に握られた特殊警棒が、闘気の剥がれたキュロスの鳩尾に、レンジャー格闘術の全重重を乗せて深々と突き刺さる。
「ガ、ハッ……!」
キュロスの肺からすべての酸素が押し出され、大剣が手からすっぽ抜けた。
信長はそのままキュロスの襟首を掴み、足を払い、泥の海へと力任せに叩きつけた。
ズシャァァァッ!!
冷たい泥水が跳ね上がる。
仰向けに倒れ、ピクピクと痙攣する最強の騎士団長。
その額に、信長は無慈悲にハンドガンの銃口を押し当てた。
「……動くな。次は脳味噌が弾け飛ぶぞ」
冷酷な殺気を孕んだ低い声。
飛竜の嘶きも、魔導戦車の駆動音も、完全に停止した。
五十の空軍と二十の戦車部隊を率いた帝国最強の男が、たった一人の「泥まみれの狂犬」によって、完全に制圧されたのである。




