一円にもなりませんし
床に腐り落ちた長嶺行人の遺体はいつの間にか消えていて、代わりに老人の巨躯が分断して散らかっている。
突如復帰した長嶺行人が死神オウジンを背後から襲い、振り下ろす得物が一刀両断を果たしたのだった。
今は見たままの通り、上から目線で上半身の方に何やら難癖をつけている。
その光景を呆然と見ていた黒澤は、通り抜ける風を頬に感じて幻惑が解けたことを実感する。
「ゆきと君!」
飛び込んできた由香里に押されて尻餅をつく。
本物だよね? 生きてるよね? どこも切れてない? 痛くない?
あちこちをパシパシ叩かれて無事を問われた。
「だ、大丈夫。本物、元気、問題ないです」
「よかったあ……」
極度の緊張が一気に緩んだ由香里は気を失ってしまう。
その顔は涙に汚れ、疲れ果て、それでも消えない安堵の笑みが切ない。
そっと横抱きにして持ち上げ、別の広いテーブルの上に寝かせた。
こっちに戻って気付いたらいきなり地震くるしビビった。
短い時間だったが結構な震度だったんじゃなかろうか。
しかもあれは、流星群てやつか。昼間でも見えるんだな。
ああくそ、こんな天体ショーがあると知ってたら彼女と見たかったなあ。
「あれ。もう終わりか。なあ黒澤ー、流星群てさ、何日か続けて見れるんだっけ?」
「知りませんよ。今、世間では津波と隕石落下の警報で大騒ぎです」
黒澤がインカムに手を当てながら深刻な顔で状況を語る。
「まじか。天変地異の前触れだったりしてな」
「今が天変地異だから! 早くマブダチの精霊を鎮めてくださいよ!」
「何言ってんの。タイジョブか? あ、そうだ。ちょい待ち」
「待てませんて」
スマホ……。良かった。夢じゃなかった。
なんなんだよ、この可愛さ。死ぬのも忘れたよ。
「あした、せ、き、に、ん、とらせて、ください、っと」
「今責任取ってくださいよ!!」
「うっせーっつの! なんだよさっきから」
どうやらちょっとユニムの相手をしている間に、再び黒澤との温度差が開いてしまったようだ。落ち着いて茶でも飲みながら話し合おうぜ、とかいう時間がある雰囲気ではなさそうだ。
さらに黒澤よりもストレスピークの顔になったお姉さんがいる。
「ああもうやだ! ソイツのトドメ刺したいんだけど!」
「綾乃さん、ちょっと待ってください」
「なあんでよ!!」
「一円にもなりませんし。それに他の死神が都合よくなってしまうので」
そう。今日は人間の都合で働く日なのだ。
そして、新商品の特製精霊フードを大々的に宣伝するのだ。
最も効果的なエクスペリエンスを提供しようではないか。
黒澤にもちょっと見てろと言って待たせる。
由香里の横たわるテーブルの縁に手を差し出す。
手のひらに浅い窪みをつくり、そこへゼレを湧かす。
「はいよー、ごはんだぞー、おいでー」
「ちょっと。何してるんです?」
由香里のお腹の辺りが暗くなる。
「おいしーごはん、あまいか、しょっぱいかー」
「ちょいちょいちょい!」
白い頭がひょっこり出てきた。
右見て、左見て、前方確認、ヨシ。
「はやくしないと、なくなるよー」
「うわっ、ま、まてああっ」
ぴょんと跳ねて飛び出て、まっしぐら。
あらかわいい。
「セイレイ露出ーー!!!」
黒澤が雄叫びを上げる。
同時に、お姉さんが歯を剥き出して喜び天を仰ぐ。
まあもう夢中ですわ。
よう食べなさる。
この間のフェレットみたいなヤツより大きいな。柴犬くらいか。
顔は、虎の子の親とは言い難いが、犬よりは獣風ではある。
翼なんか生やして飛べんのかなコイツ。
動画に撮ろうかな。絶対彼女が喜ぶコンテンツ。
見せられんけども。
はい、ここで一旦おしまい。
ゼレを引き上げると、前足をくいくい空を掻いてもっと頂戴アピール。
かわいい。
「お座り」
テーブルの上でストンとお尻を落とす。
「よーし、よーし」
またちょっとゼレをあげる。
それでまたおあずけ。
お座りしたまま、そわそわ。
かわいい。
「はい今度は伏せー」
ぴとっと胴体をテーブルに着けた。
なんとまあ賢いこと。
「よーし、いい子だねー」
ご褒美ゼレだぞお。
尻尾、あったね。ご機嫌にふりふり。ふっさふさ。
なんだかお持ち帰りしたくなってくるな。
できんけども。
はい、ごちそうさまー。
俺の手を追うようにすくっと身を起こすと、両の前足を俺の胸に突いて半身を預けたままもっと頂戴のポーズ。
あざとかわいい。
これはもう子犬子猫の無邪気ではなく、俺がチョロい人間だと見抜いた上での確信をもった振る舞いだ。さすが死神が一目置く精霊、おそるべし。普段の俺だったなら求められるがままぶしゃあである。
だが俺もプロ営業。仕事スイッチのオンとオフは心得ている。
そして今や俺は責任ある男。
物事の道理というものを通さねばならない。
この精霊が人間に関わった事の結果として由香里と由香里の家族は理不尽な苦しみを被った。人の事情に無関心な死神ならば、自然災害の類なのだから諦めろとでも言ってくることだろう。
大自然を相手にしては無力な人間は抗う術もなく、泣き寝入りするほかない。
しかし。それが言葉を理解する生き物ならば話は別だ。
棲家を借り、糧までも貰ってなお宿主を苦しめるなど愚行中の愚行であることを説き、与えた損害を償わせるのが筋というもの。
人外の精霊であることを理由に甘えさせてはいけない。
人と関わり生きるという事は、求め合い、与え合う事なのだから。
根拠は俺の営業理念。
だからコイツは、自ら人に関わったことの責任を果たさねばならない。
俺もまた、まったく同じ境遇なのだが今は棚に上げる。
とは言え、そんな理屈が精霊に通用するとは思わない。
なので、「労働のあとの一杯はうめえなあ!」を教えるのである。
責任すなわち労働。
リーマンの性。
異論は認めない。
それでも世の中どこにでも道理を捻じ曲げる奴はいる。
たとえばアレ。
「己が命を閉じよ」
テラス席から離れた芝生の上に立つ、カフェレストランの店主を乗っ取る死神が、大鎌を携え俺に向かって宣告を放ってきた。




