まったく呆れた人だ
「死神オウジン。自分のケツは自分で拭け。神崎やれ!」
黒澤は綾乃が間違いなく店主の心臓を刺したのを見届けた。
オウジンを一時的でも活動不能に陥らせ幻惑を解き、長嶺行人を復帰させる事ができれば、精霊の災厄という最悪の事態だけは回避できると考えた。
そしてすぐに復活するであろうオウジンに抗うため、天幕を取り払い、回復した無線による全員通達で死神オウジンの対処に集中するよう命じた。
死神を手に掛ける以上は此処を囲む全ての死神を敵にまわす事もやむなしと覚悟を決めての判断だった。
しかし、綾乃がウッドデッキに倒れ伏す店主の体の側で周囲を警戒するも、怖いほどに何も変化が起きない。
自分が下した判断の重さに身震いの止まらない黒澤は、足元を見つめ変化が無さすぎることに苦渋の表情を浮かべる。
椅子から腐り落ちた遺体がそのまま残っているのだった。
まず最初に幻惑が解消するはずの前提から覆ってしまった。
完全に思惑が外れた状況に動揺し、正常な判断が遅れに遅れる。
それ故に、オウジンの気配を追うことにも失敗する。
「由香里。我と新たに契約せよ」
正気を失いかけていた由香里が、その間違えようのない声に愕然とする。
「善!」
いつの間にか目覚めていた善が、相変わらず膝の上でぐっすり眠る美羽の首元に子供用のフォークを突き当て、母親に向かって契約を迫る。
綾乃が瞬時に反応し、顕現させた短剣を手にして善の背中から心臓を狙う。
そこで漸く黒澤は誤りに気付く。
「止まれ神崎!」
「なんでよっ! この子を殺すわけじゃない!」
死神の大鎌由来である武器は常人の肉体を傷つけることがない。
それが、そのとおりであったなら。
「落ち着け。落ち着いて、手にしている物に集中しろ」
綾乃は眉を顰め、油断なく慎重に視線を手元へ移す。
右手が握っていたのは、子供用のスプーン。
突き刺していれば重傷を負わせていた。
いつ、どこで、どうしてなのか覚えがない。
天幕を消した直後から別の幻惑を上書きされたのかもしれない。
そう気付いた瞬間から、目に映るもの全てが信じられなくなる。
黒澤と綾乃は身動きを封じられた。
「もうやめて! 契約でもなんでもするから、この命もあげるから、子供達だけは巻き込まないで。お願い……」
善は再び眠りに落ち、泣き崩れる由香里の背後に新たな人影が現れる。
「それで良い」
二メートルを余裕で超える筋肉隆々の体躯にローブを緩く纏い、長い顎鬚を貯えた老人の姿。
その威風に相応しい大鎌を手にして振りかざす。
しかし輪郭ははっきりせず、全体が暗いくすんだ色をしていて、これもまたオウジンによる幻惑ではないかと疑わせる。
巨躯の老人がぼそりと何かを唱えると、由香里は操られるように立ち上がった。
そして、項垂れる細い首に大鎌の刃が押し当てられ、挟まる髪が切れてはらはらと落ちる。
黒澤は歯を食いしばり頭の中に今の状況を再構築する。
卑劣な手段であっても同意を得れば正式ならずとも仮の契約が成立する。今まさに触手を伸ばしかけていた周囲の死神たちも再び動けなくなったことだろう。
しかも瀬戸内由香里の中の蟲を処分するオーダーがまだ生きている。
この状況でオウジンが彼女の命を絶ったとしても、正当化する理由は後からいくらでも付け加えることができてしまうのだ。
何も策が打てない黒澤は諦め切れずに問いを投げる。
「なぜそこまでしてその中に在る精霊に固執するのです?」
「これは既に蟲化が進行している。お前達の怠慢を、我自らが補ってやるのだ」
「御託を並べなくていいですよ」
煽り文句で突き放す不遜な反応に老人は興醒めする。
「ふん。古い精霊は無駄に賢く恩恵を出し渋り幻惑も効かん。何より邪魔なのだ」
「なるほど。新しい精霊は間抜けで幻惑を使えば恩恵を貪り放題なのですね」
「小賢しい……」
老人は無意識にまだ眠る小さな器の人間へ視線が移る。
そして肝心の中身が抜け出ていることに今更気付く。
もはや驚きと動揺を隠せなくなった。
「謀ったな人間、モルス!」
「なんです急に」
「惚けるな。何処へ隠したのだ。言え」
黒澤は被せられる宣告に顔を歪ませながらも嘲笑してみせる。
「いやいや。人間に精霊なんて見えんし知らんし。ってやつですよ」
言ってやったと一矢報いた気分になる。
「何故こうも宣告が効かぬのだ」
もっと強烈なのを悪魔のような人間から食らっていたので。
そう心で言って、煽り返したくなるのを我慢する。
「しかしそうですか。その子の中の精霊は既に……。まったく呆れた人だ」
これは人間の都合による謀。
黒澤の脳裏に、首謀者と本部のテントで交わした会話が巡る。
———— 虎穴に入らずんば虎子を得ず
昔の人はよく言ったもんだ
———— 突撃なんて冗談でもやめてくださいよ!
———— 違う。オウジンの目的だよ
多分そのまんまなんじゃねえかな
———— そのまんまって、虎の子なんて、子供……。まさか
———— 虎穴に入るリスクは、『親の存在』だろ
どうやらあの人の適当な推測が当たっていたようだ。
虎の子が持って行かれてはその大鎌を振るう意味もない。
それどころか、今は死神がその親に近寄るのも危険極まりないというのに。
———— 命の危機に瀕したら子孫を残そうとするの
男だけだっけ?
———— それは迷信、そうか、
精霊は新しい魂を宿していた母親の中で!
———— 精霊の子供だか分裂だか知らんけど
そっちが本命なんだろうな
———— どうして気付いたのです?
———— 美羽は選別眼みたいな能力あるじゃんか
死神じゃなきゃ精霊だろ
———— 精霊や死神の近くで子供の感覚に影響する
事例はよくあるのです
———— え、そうなの?
———— しかし、そうか……。盲点でした
どういった経緯で精霊が瀬戸内由香里の中へ入り込んだかはわからない。
精霊は人間の中で中毒が進む中、汚染していない部分を切り出して宿主のお腹の子へ移したのだろう。幸い新しい魂に毒はなかった。
そしてオウジンは、子に潜んだ未熟な精霊の方に目をつけた。
親の精霊を弱らせ死ぬまで他の死神に渡らないよう策を弄しながら。
———— 餌を売る?
———— そうだ。精霊殺しはリスクが高いはず
そこでリスクヘッジのご提案
———— あっ、ソレはダメです。だめですからね
———— 俺のゼレ。死神も特別っぽいこと言ってたし
精霊まっしぐら!
———— 精霊はペットじゃないんですよっ
———— 親子ともども飼育すりゃいいんだよ
月々の餌代だけでみんなハッピー
———— 悪魔の商人だ……。ああ、もう嫌だ!!
「言わぬならば、この首刎ねて親の精霊に捜させるまで」
「なっ、精霊を暴走させる気ですか!」
おかしい。およそ死神の言動とは思えない。
冷静さに欠ける、合理性もない、異様なまでの執着。
それに周囲があまりに静かすぎる。
天幕は間違いなく取り去った。
瀬戸内由香里に手出しはできなくとも、オウジンの暴挙を許していいはずがない。
これではまるで公認の精霊狩りではないか。
頭の中の違和感を整理しきれないままの黒澤に綾乃の声が割り込む。
「ああくっそ! あたし我慢の限界なんだけど!」
魂の余剰エネルギーが攻撃衝動を突き揺さぶっているのだろう。
暴発寸前なのは間違いない。
だがそれでも。
「動くな神崎。それより精霊露出に備えろ」
「っざっけんなよもう!」
同じように叫びたいのを堪える黒澤は、由香里の首にかかる鎌の刃を遠ざけることだけを考えるが、何も手が思い付かない。
いい加減嫌になって、由香里の中の精霊が自分でどうにかしろと恨んだ時。
突然地面がドスンと鳴った。
足の裏から突き上げるような強い振動が響いてくる。
体が揺れて仰け反ったところで、別の衝撃を受ける。
空一面を引っ掻く、無数の光跡を見たのだった。
幻惑ではない。精霊の災厄が始まったのだとすぐにわかった。
大鎌を握る老人も上を見上げている。
終わった。何もできなかった。
「隙ありっ」
巨躯の老人の右肩から左脇腹にかけて斜めの赤い線が滲み、上半身がずるりと滑り落ちると同時に、腕のついたままの大鎌がウッドデッキに倒れ、派手な音を立てた。
床の上で真上を向いた老人の首が、目紛しく動いた景色の意味を理解してすぐ。「洒落にならん切れ味だな」という声を聞いた耳の真横に青白い刀身が突き立つ。
首は動かせないまま、ぎょろりと動く目がその持ち主を捉えた。
血を溢す口が驚きを吐く。
「お前は……」
「仕返しの袈裟斬りだ。ったく、いきなり襲いやがって。最初の挨拶くらい社会人の基本だろうが。いい歳こいたジジイがそんな事もできねえのか」
膝を曲げて腰を落とし、文字通り上から目線で改めての声が掛かる。
「初めまして。長嶺ユキトです」




