大丈夫。俺は消えていいんだ
「あなたが死を受け入れようとしているからです」
ユニムに図星を突かれた。
そんな事あるわけねえだろ。
そう言うべきはずが、すぐに切り返すことができなかった。
頑丈な鎧で固めた俺の決意には、針一本程度が入り込める隙間があった。
違う嘘だ。指一本、拳ひとつ、なんなら平手打ちできるほどの大穴がある。
良心の呵責なんて言葉は綺麗すぎる。
出来立ての真っ白な壁に大きな傷をつけてしまった。
今すぐ白ペンキで埋めて無かったことにできないか。
汚れた手のまま無垢な手を掴んで引き寄せてしまった。
本当ならその手を取る相応しい相手がいたのではないか。
通り過ぎる凛とした姿に見惚れて声を掛けてしまった。
立ち止まってくれたのは好意ではなく親切ではないか。
彼女に会えている間は無敵と思えるほどの自信に満ち溢れ、
別れた後の帰り道はひたすらに自分のことが気持ち悪い。
なに勘違いしてんだよ。
イキってんじゃねえよ。
忘れたフリすんなよ。
身のほどを弁えろよ。
無数の罵詈雑言を浴びせても寝て起きればまた繰り返し。
そんな馬鹿は死んで当然。
だから俺は今、こんなに落ち着いている。
この状況を、受け入れようとしている。
「正直に言えよユニム。これは、地獄へ落とす前の罰ゲームなんだろ?」
「罰ゲーム。なぜ?」
「誰ひとり幸せにできなかった。まわりに迷惑ばっかりかけてきた。腐り切った人生に華を飾りたい一心で命まで落とした。結局、一生かけてやれたのは親を泣かせただけだ。そんな俺に相応しい罰だ」
心の奥底にあった澱みを吐き出して腹落ちする。
この俺が幸せになっていい根拠があるとするならば。
それは、失う苦しみを罰とするためだ。
「ちょっと卑屈が過ぎるのでは……」
「本当に欲しいものを目の前に置いて、手に入ったと思わせて、有頂天になったところで地獄へ落とす。絶叫マシンマニアも失神するほどの落差だろうな。もっと生きて幸せを堪能しろ? 容赦ねえよな。死神ってやつは」
余計なお世話だ。もう十分だよ。
地獄で千年は失った苦痛に叫んでいられる自信はある。
「あの。いいですか?」
遠慮気味に手を挙げるユニム。
「なんだよ」
「その地獄という場所は、本当に存在するのでしょうか?」
話を逸らしたいのか、前提を崩しにかかってくるような質問を投げてきた。
「知るかよ。お前の方が専門だろう。つか無いのかよ、ジゴク?」
ユニムは首を傾げて思案する素振りを見せる。
嘘も百回、在ると言えば在る。苦しみの概念さえも欲しがり手にする人間だからこそ、味に深みが出るのでしょうか。実に興味深いです。
ぶつぶつと呟いて勝手に納得している。
「やはり一瞬だけ死んでいただけますか。ちょっと味見させてください」
「お前今日一で意味わからん奴だな」
味見だと。
俺の人生をちょっと味見させろと。
美味いわけがねえだろが。
馬鹿かコイツは。
「メゼスの良し悪しは、生きた長さに関係しませんので」
本気でムカつく。
「死神が知った風に人生の良し悪し決めんじゃねえよ」
「貴方の言う人生が何を良しとするかは知りません。私が知るのはメゼスの味です」
俺はどっちも知らねえよ。
そのメゼスってやつの味が、人生の正解を教えてくれるのか。
俺の失敗をわからせてくれるのか。
「美味いメゼスを知った口振りだな。俺にも食わせろ」
「いやいやいや。そんな残酷なことできませんよ」
「残酷? あれか。豚にトンカツ、ニワトリに親子丼とか食わせるようなもんか」
「どこまで荒めばその発想が出るのですか」
「うっせえよ。いいから早く食わせろ」
ユニムはゲンコツをつくって自分の眉間あたりをコツコツと叩き始める。どうやって諦めさせようか考えているらしい。
と思ったら、ゲンコツを俺の前に差し出してきた。手のひらを上に向けてゆっくりと開いた真ん中に、円錐状の小さな塊がある。金色の光を細かく反射する様子から砂のような粒の集まりだとわかった。
「砂金か?」
「これが、メゼスです」
眺めている間にも円錐の形は崩れ、手のひらの上で広まっていく。俺の知るゼレとは全く異なる物だ。もっと言えば、とても死神の『ごはん』とは思えない、砂糖や塩といった調味料の類ではないかと疑いたくなる。
「それがほんとにお前らのゴハンなのか?」
「はい。先日配給された私のごはん。およそ一ヶ月分です」
絶句した。
吹けば飛ぶような量の砂粒を真面目な顔で一ヶ月分の食料だと言い切った。
にわかには信じられないが、人間一人から採取できるメゼスは道端に転がる石ころひとつ程度の量なので、それを毎日かき集めても自分達に分配できる量は僅かになってしまうとユニムは説明する。
「……足りるの?」
「できるなら朝昼晩ご飯茶碗一杯くらいは食べたいですね」
そりゃそうだ。
俺自身が平和ボケしている自覚はあるにしろ、ここまで過酷な食糧難だと誰が想像できるだろうか。
源五郎は階級が上だろうからまだマシなのかもしれないが、ルミさんはユニムとほぼ同じ状況に違いない。いくらプリンや苺ミルクを胃に収めても腹が膨れることは無いのだ。
「すまん。俺に食わせろとか、確かに残酷だった」
毎日腹一杯飯食ってる奴が取り上げていい代物じゃなかった。
怒るのも当然と素直に詫びたのだが、ユニムが残酷と表現したのは別の意味だったらしい。
「我々の間でメゼスは、魂の記憶が変化したものだとか、ゼレの燃えかすだとか色々と言われています。真実は私程度の階級に教えられることはありませんが、どうやら人間にとっては感情を動かす源になっているようです」
「そう、なのか」
ちょっと掬って舐めるだけで気分がハイになりそうなヤバい話になる。
「私達に配給されるこの『ごはん』は、たくさんの人間から採取したメゼスを細かく擦り潰して混ぜたもの。いわゆるブレンド米なんです」
「な、なるほど」
「これを小指の先につけてひと舐めするだけで、だいたい人間百人分くらいの感情が貴方の中に同居してしまうのです。人間にはとても耐えられず、のたうちまわって精神が壊れていく、それは残酷な光景になることでしょう」
それはもう残酷どころじゃない。
由香里ひとりの記憶が入ってきただけでのたうちまわった俺だ。百人分の感情とか一瞬で精神壊れるに決まっている。そんなもの一粒でも御免だ。マジでやばかった。
俺はユニムの手を丁重に畳んで押し返す。
「で、死神にはそれが美味いのか」
これはもう興味本位というか、参考までといった質問でしかない。
激ウマっすよと反応すかると思えば違った。
「贅沢言える身分ではありませんが。配給食は、正直あまり」
それは、自分は本当に美味い米を知っている、そんな言い方だ。
俺はそんなコメ知らん、いや、知ったばかりだった。
しかし、聞いた食糧難の状況からすると矛盾がある。
「お前はどこで美味いメゼスの味を知ったんだ?」
俯き加減になっていたユニムがはっと顔を上げて俺を見る。
別に誘導尋問する気はなかったのだが、ボロを出させてしまったようだ。
だが慌てることはなく、苦笑いを浮かべて白状してきた。
「私は重い罪を犯しました。今罰を受けているのは、貴方ではなく私なんです」
そういうことか。わかったわかった。理解理解。
お前らに説明省く習性があるのはよーくわかった。
ルミさんが自分で説明上手と自慢してたくらいだからな。確かにお前らの中ではルミさんがマシな方なんだと納得するわ。
「つまり。激ウマなメゼスを盗み食いしたと?」
「そ、その通りです」
なんでわかるのみたいな顔すんな。
「それで、どんな罰なんだよ」
言葉を選ぶのに迷っているのか、ユニムは何度か口を開いては閉じてを繰り返し、絞り出すように話し始める。
……ある人間の死に立ち会った時のことです。魂の離れが悪く、宣告して切り離し、メゼスも採取する仕事でした。作業はすぐに終わり、そこで手にしたメゼスから、今までにないとても芳しい香りがしたのです。
しかも人間の片手で掴みきれないほどの珍しい大きさでした。ちょうど配給の直前で空腹のピークだったこともあって、ひと齧りしてもバレないだろうと私は誘惑に負けました。
そのメゼスの芳醇な味わいは、まったく初めての衝撃的な体験でした。
ひと齧りで止められるはずもなく、必死に我慢して石ころ程度の塊を残すのがやっとだったのです。
「必死に我慢とか、随分と人間くさい言い方するじゃないか」
「そうです。その人間らしい感情こそが罰でした。私程度の階級が、純粋にひとつの人間のメゼスを大量摂取した場合、その人間の感情に飲み込まれてしまう。それを、知りませんでした」
ブレンド配給にはそれなりの理由があったということか。
中毒で蟲になる死神もいれば、人間の感情に飲まれる死神もいるとはな。
どんだけ面倒なんだよ死神の食糧事情は。
「つまり、今のお前はメゼスの持ち主だった人間の情動に支配されていると?」
「全てではありませんが、ほとんどそんな感じです」
「そのこと上司は?」
「恐らく、忘れていると思います」
「忘れるって、どういうことだよ?」
ユニムは、その上司が抱える問題と、『幻惑』という能力が如何に厄介であるかをあっさりと教えた。
それは黒澤に教えてやらないとさすがに可哀想だと思った。
思っていたら、突然に俺の視界が暗転した。
何も見えない。ユニムの姿もない。
下りのエレベーターに乗ったような感覚だけがする。
落ちているのか。
『天幕の世界で我が主人が貴方の体を原形を留めないほど腐らせました。ユカリ様が、他の人間も、貴方の死を認めつつあります』
ユニムが頭の中に直接響く声で状況を知らせてくる。
ユニムの存在が近くか遠くかさえもわからない。
「嫌な実況すんなよ。それで、こっちの俺はどうなってんのさ?」
『貴方の存在力がつくった地獄とやらの世界の端にいます』
「だから嫌な実況するなってばよ」
落ちているであろう方向を見遣ってもやはり真っ暗でしかない。
底が見えたところで終わりの気がする。
『冗談でなく、時間がありません。どうか、生きる決意を』
そう言われてもな。
俺は自分で地獄をつくった覚えもないんだ。
心残りだって山ほどある。
彼女の作ったおにぎりをもっと食べたいとか、膝枕大作戦とか、色々願いを思い浮かべてみても、この落下は止まらないらしい。
悔しいほどに気持ちが乱れない。悲しくもならない。
そんな筈はないと焦る気持ちさえ朧げとなって消えた。
大事な何かを忘れてしまっていることに安堵さえしている。
思い出せないし、落ちるほどに思い出す気力も薄れていく。
ああ、静かだ。
大丈夫。あんなに綺麗で賢い彼女だ。絶対に幸せになれる。
大丈夫。史奈さんもこれで晴れて重荷から解放される。
大丈夫。由香里も精霊も元気になった。どうにかなる。
大丈夫。俺は消えていいんだ。
不意に尻のポケットが鳴る。
取り出したスマホに映るのは、
彼女から届いたメッセージ。
———— 数学の課題が終わらない 責任とって
目に浮かぶのは、真っ赤になって怒る可愛い人。
その胸にいつもあるモノトーンのネクタイを、
俺は絶対に良しとしない。
そうか、そうだったな。




