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べつに楽しかねえよ。割に合わねえ


 少し前。

 『桜ノ川長寿園』のマイクロバスは、噴水広場の前まで移動していた。

 青空へ向かって高々と立ち昇る水柱を眺める車内の空気は重く澱む。


「あ」


 最後列の横長な座席で寝転んでいた源五郎が間の抜けた声とともに目を見開いた。


「どうした源ちゃん?」


 そのリアクションは大抵厄介事であるのを一番良く知るしげるが逸早く反応する。

 他の面子は数拍遅れて、のっそりとシートの横から首を伸ばして後部座席へ向いた。それらの表情は人間の感情を上手くなぞって一様に強張っている。


「参ったね、もう斬り殺しちゃったね」


「おいおい嘘だろお」


 隠匿の能力で張られた天幕の中を唯一覗き見ることの出来る源五郎が、皆に今の最悪な状況を気まずく教えると、茂はぺちっと額を叩いて嘆いた。

 理に叶う選択を是とする同族を軽々しく侮蔑するなと息巻いていたひろしは、「ありえん」とだけ呟き、沈黙する。


「まずいじゃないのよお、災厄なんて冗談じゃないわ。早く逃げましょうよ!」


「落ち着きなさい悦子えつこ。殺したって、幻惑の話よね?」


 冷静さを保つ久美子くみこがオウジンの得意とする能力を使っているはずと指摘すれば、源五郎は軽く頷いて肯定する。


「そう。幻惑だね」


「なんだよ、インチキかよ。驚かすなっての」


「そうでもないんだね。天幕の中、ちょっとしか人間いないからね」


 源五郎の言っている意味がピンとこない久美子と茂が目を合わせて首を傾げていると、おさむが「そうか。天幕を使うのか」と何やら自己解決する。


「オサムくん、嬉しそうにどうしたのよ?」


「えっちゃん。オウジンは、やっぱり幻惑を使っていたんだよ」


 振り向く修は長年の疑問が解けたと喜んで悦子に教える。

 今度は悦子が眉根を寄せて「ぼけた?」と違う方向の心配をしだす。


「だから幻惑でやっただけって言ってるでしょう」


「そうなんだよ、久美子ちゃん。だけど幻惑だけじゃどうにもならない。なので僕らはオウジンが別の能力を使っていると思い込んでいた。源ちゃん。隠匿の天幕は、世界も閉じている。そういうことだな?」


 だね。


 源五郎はぼそりと呟いて肯定した。

 その反応だけで修は満足する。


「つまり、天幕を使って極小の世界に人間を閉じ込め、幻惑で殺す。すると、その世界での存在力を失うから、幻惑の死は真実へ確定する。その後で天幕を外せば、人間が自然死を迎えたようにしか見えない。そういうカラクリだったんだ」


 興奮気味にオウジンの秘密を暴いてやったとばかりに説いて聞かせる修だが、要はいつも通りの源五郎が知りながら黙っていた事実なのだと他の皆は鼻白む。

 しかし、それでも悦子はいまひとつ要領を得ない。


「人間を死なせたければ下級の連中を使えばいいのに。そんなことして何の意味があるのかしら」


 まるでいつも階級の低い死神を操って手軽に人間を死なせているような口ぶりで疑問を投げてしまう。

 茂が慌てて話を打ち切ろうとするが間に合わない。


「決まってるじゃないか。精霊狩りだよ!」

 

 修が一層腹に力を込めて答えを出してしまった。


「俺はなんも聞いてねえからなあ!」


「うるさいのよアンタたち! 黙りなさい!」


 修と茂よりも煩い声を被せる久美子。

 それでも修の独り言のような解説は続く。


 精霊を宿した人間から精霊を引き摺り出す方法は、その人間の命を絶つしかない。

 精霊狩りは、精霊を宿す人間を見つけて緩慢な死に至らしめ、中の精霊が衰弱しきって我慢ならず外に出て来たところを捕獲する方法が伝統的だ。


 その時に死亡した人間の魂とメゼスを検分すれば作為的に殺したことが発覚するから、余程の無知か高等な偽装能力を持つ者でなければ実行できはしない。

 オウジンは後者に違いなかったけれども、その偽装方法が今までわからなかった。


「隔離した世界で死の確定、か。確かに。それならバレないわね」


 悦子はどんな検分をも突破できる方法だと腑に落ちた。

 だが少なくとも会合のメンバーが揃う場で出していい話ではなかった。

 その意味で上層界に出入りの多い幸子さちこがやむなく重い口を開く。


「源五郎。あなた、共犯なの?」


 死神の定める数少ない法の中で、最も重い罪のひとつとされる『精霊狩り』。それに加担していたとあっては、源五郎一個の罪では済まされず、関わりをもつ全部の死神が処分の対象になるのは必至と言えた。

 源五郎は気だるそうに起き上がり、長座席の上であぐらを組む。


「僕は関係ないね。誓うよ」


 普段と変わらない調子で、簡単に誓う。

 老いた男の瞼はまだ眠そうに閉じかけていて、人間が表情から真意を見極めようとするならば、軽薄だと憤慨してもおかしくない様子でいる。

 しかし死神同士にとって人間の顔形などは、宿主しゅくしゅの記憶に頼らず自らの個性を持って細かく操れるほど高等で優れていると見做す程度の、ステータスを誇示する手段でしかない。真偽は別の次元で見極められる。


「そ」


 幸子は軽く頷いて納得を済ませ、車窓に肘を掛け噴水へ視線を移した。

 それでも久美子はまだ警戒を緩めない。


「ちょっと源五郎。天幕張れるのってアナタと、アナタの手駒と、あとダレよ?」


 精霊の恩恵由来である天幕の能力は、死神が多用する防護幕とは似て非なる高度な遮蔽効果を発揮する。それは希少な力であり、他に使える者を久美子は知らない。


「オウジンの取り巻きに一個いたんだけどね。ついこの前、蟲になって潰れた」


 他にもオウジンに近かった死神の多くはもう蟲になって消えていることを源五郎は告げる。それを裏付けたのは意外にも幸子だった。


「オウジンが分け与えたメゼスに問題があったんじゃないかって上層で疑われてるわ」


 口封じか?

 茂が呟く。


「ねえ。精霊狩りってそんなに楽しいものなの?」


 あまりに純粋で答えようによっては凶悪犯を生み出してしまう疑問を悦子は誰宛ともなく問いかける。ある意味、今まで精霊狩りなど考えたこともない潔白を示す態度でもあった。


「べつに楽しかねえよ。割に合わねえ」


 茂は過去に封じた苦々しい記憶を押さえつけるように強く否定した。

 それに修も追従する。


「精霊は我々に多大な恩恵をもたらす。だがそれも精霊の合意あっての事。仮に強引な捕獲がうまくいって優先交渉権を得たとしても、精霊の返り討ちに合うリスクの方が大きすぎる。それを裏付ける歴史が山ほどあるから精霊狩りは禁忌とされている」


「それくらい私だって知ってるわよ。それでもオウジンがやってたなら、危険をとってでもスリルを味わいたいとか、そういうことでしょう?」


 悦子は自身の嗜好に合わせた快楽の価値観でしか見ていない。

 死神の理解は往々にしてすれ違うものであり、それを是としている。


「黙れ愚か者。なぜ同胞に崇高な目的があると考えぬのだ!」


 種の優越に固執するあまり死神が持ちえない価値観を持ち出す博。

 最も離れた立ち位置にいるそんな同胞の発言も頭ごなしには否定されない。


「ヒロシにはその崇高ななんとやらが見えているのか?」


「それを考えろと言っている!」


 ああそうかい、はいはい。

 茂は耳に入った無駄な小言を小指でほじる。


 結局のところ、オウジンがなぜ精霊狩りに手を出していたかを真剣に考える者はいない。

 根本的には、不合理を犯す存在をどう合理的に処理するかが大事であって、それ以外は死神同士が人間を介してこそできる言葉遊び(存在交流)でしかない。

 そのあたりを一番冷静に忘れないでいられるのは茂だった。


「源ちゃん、そろそろ時間ねえだろ? 吐け」


 源五郎はニヤリと笑みを浮かべ、目の奥を光らせる。

 窓から見える噴水を一瞥すると、前を向いて口を開いた。


「だからヤバいんだよね……」


 またも顔を横へ逸らし、頬を掻く。


「おいおいオイオイ、源ちゃんよおお!」


 そのオトボケ具合が紛れもない危機的状況であるのをよく知る茂は今度こそ本気で焦りを露わにする。


「まさか初手で斬りかかるとは思ってなかったんだね……」


 思惑が外れちゃったんだよねと困り顔。


「いい加減にしなさいよアナタ。さっきの合議、人間側に付くって決めたの誰の所為だったかもう忘れたわけ?」


 忘れてはいないんだけどねと長座席の中央からずりずりと窓際の方へ横移動していく源五郎。前座席の陰に隠れてしまう。


「源ちゃんの思惑について説明を求めたい」


 探求をさがとする修は問題回避よりも知ることを優先する。


「……。オウジンはね、きっと武器を欲しがってるんだね」


「武器。まさかと思うけど、槍、なのかい?」


「そだね。グングニルの槍、だね」


 隠れた場所から源五郎はよく喋るようになる。

 修は易々とオウジンの欲する物を当ててしまい、その冗談のような槍の名を耳にして呆気に取られ、茂が呆れ混じりに思い出す。


「随分と古い話だな。昔は無い物ねだりで暴れまくる厄介な奴だったが、とうに諦めて忘れてるもんだと思ってたぞ。まさか、自分の幻惑に溺れて夢見ちゃってるなんてオチじゃあねえよな?」


「オチだね。でも、天幕の中で精霊に幻惑をかけて槍を作ったら、存在力を得られて本物になるかもしれないんだね」


 源五郎は重大な知られざる事実をさらりと言ってのけた。

 しかも二つ。


「源ちゃんよ。なんでそれ今言うかよ」


「シゲル君が吐けと言ったんだね」


 ペしっと一層強い音が響く。

 借り物のおでこが叩きすぎて大分赤くなっている。


「幻惑の能力は、本当に精霊にも有効なのか? 源ちゃん」


 一つ目の重大事項を確かめずにはいられない修。

 もしそれが真実ならば、精霊に対する恩恵の交渉は愚直に真正面から頼み込むしかないという死神世界の常識が覆されることになると興奮する。


「全ての精霊に効くわけじゃないと思うけどね。そもそも能力の名前が間違いだ」


 それで使い方も間違ってるんだから世話ないんだよねと、とんでもなく危うい方向の呟きまで吐く源五郎。

 おかげで二つ目の重大事項へ関心が移る修は、自分達が幻惑と呼ぶ能力の目的が対象を騙すことではないと考え始める。

 その思考が結論を出す前に横槍が入ってきた。


「ねえちょっと。それって私一人が天幕の中に入ってケーキの幻惑見たら本物のケーキになるってこと? それすごいじゃない!」


 槍に興味のない悦子だが都合良い解釈の応用を思いついてしまう。


「残念だけど違うね。それにね、えっちゃん。幻惑の中でケーキをお腹一杯に食べた方が太らなくていいんだね。ちなみに幻惑で太った自分を認知すると本当になっちゃうから注意だよ」


「なにそれ意味わからない!」


「悦子。ちょっと静かになさい。ていうかそこの馬鹿野郎。これ以上小出しにするなら、さすがの私もキレるわよ?」


 もうキレている久美子。

 だが元来、死神にキレるという概念はない。

 そして空気を読むという配慮もない。


「源ちゃん、幻惑と隠匿の天幕は本来セットで使われる能力なのかい?」


「だね」


「となれば、何かを生み出すことを目的としたチカラ……」


 修の声が急に途切れ、窓ガラスが鈍い音を立てる。


 気を失った修が頭をぶつけたのだった。

 それに気づいた久美子と悦子も駆け寄ることは叶わず気絶する。

 茂と博も同様だった。


「調子に乗りすぎよ。源五郎」


「最近、ガバナンス厳しすぎない?」


「誰の所為だと思ってんの」


 立ち上がった幸子が最後列の隅で身を小さくする源五郎のそばまで迫り、仁王立ちとなって凄む。

 逃げ場のない源五郎はおずおずと目を合わせ、頬を引き攣り笑ってみせる。


 その、まるで『本物の人間』を振る舞う芸当を目の当たりにする幸子は、処置無しと呆れて長座席の真ん中に尻を落とす。


「ごめん。だね……」


「こうしてみんなの記憶を一部だけ削る仕事、どれだけ消耗するのかわかってる? あなたもやってみなさいよ」


「ごめんよお……」


「それで、どうする気なのよ。このまま泣き寝入りするつもりはないのでしょう?」


 源五郎は黒澤の張った天幕の方向へ視線を向け、怒りの表情を作るどころか更に弱った顔になって頬を掻く。


「オウジンが天幕の中で彼を黄泉よみへ飛ばしたおかげで時間軸が三つに分かれちゃった。こうなると僕にも制御できないし、下手に手を出さない方がいい。彼の都合に合わせるよ」


「都合って、あの人間の消失に気づかれたら三精霊の災厄なのよ!」


 茂でなくとも額に手を当てて嘆きたくなる幸子。

 ここまで受け身に転じるモルスを見たことがないだけに嫌な予感しかしない。


「四だね。いや、もっとかも」


 ヨンダネ。それが、数字を意味すると遅れて理解したとき。

 ディーゼルエンジンの回る音、エアコンの吹き出す風の音、外の水柱が地に落ちる音が止んだ。目に映って見えるものは変わらぬまま違う世界になったとわかる。

 源五郎が隠匿の能力を行使して別の天幕を張ったのだった。


「ねえ、何を始める気なのよ」


「さっちゃん。そこの噴水ね、循環水なんだよね」


「それが、なんなのよ」


 源五郎は幸子の疑問に答えないまま、もうすぐだねと車窓に顔をつけて立ち昇る水柱の一本一本を凝視する。

 仕方なく幸子も窓際に寄り噴水の様子を覗いてみると。


 突如、一本の青く色づいた水が吹き上がり眩しく輝いた。

 驚いて、それが何かを理解しないまま目で追う。

 重力に負けて形を乱しながら落ちる先、首を反らせ大きな顎をあけて水を飲み込む生き物がいた。


 野太い四つ脚で立つ獣。

 縞模様を持たない白虎と言える風貌、一目で人間界に存在しないとわかる肩から生える大翼。

 それは、死神なら見間違えようもない存在。


「ひゃあっ」


 毅然であることを心掛ける幸子が、死神であるからこそ本能が感じる恐怖に腰を抜かし座席から滑り落ちた。


「やっぱり希少精霊だったね。それもかなりの格上だ」


「な、なんで、こんなところに?」


「美味しいゼレの誘惑に負けちゃったんだろうね」


「もういい加減、わかるように教えなさいよ!」


 源五郎は鼻先に人差し指を立てて幸子に静粛を促す。

 無色の水に戻った途端に顎を閉じた精霊は、のっそりとカラダの向きを変えて噴水の外へ出た。両翼を大きく広げ、身震いして水気を飛ばす。

 どうにか座面に這い上れた幸子は、源五郎を盾にするように身を隠しながら恐る恐る窓の外を確かめる。


「ちょっとあれ、大きすぎない?」


「あ。こっちに気付いたね」


 翼を収めた精霊の顔が真っ直ぐに源五郎たちの方へ向いた。

 金色の瞳が、先ほどまでがぶ飲みしていた水と同じ青い色へ変化していくのがわかった。


「ねえ、目の色変えてこっちに向かってるわよ。わ、またこっち見た」


「えっちゃんみたいだね……」


 慄き震える幸子が悦子より煩くなっている。

 やがて精霊がマイクロバスの陰に入り窓から見えなくなってからすぐ。

 前方の乗降口が勝手に開いた。


「いやっ」


 幸子が堪らず悲鳴をあげて源五郎の腕を掴む。

 乗降口のステップに前足を置いただけでぐらりと車体が揺れる。

 とても通り抜けられる体格ではなかった。

 しかし、精霊は難なく侵入に成功する。

 全身を“普通の虎”並に縮小してみせたのだった。


 通路の途中で一旦止まる。

 最奥で震える幸子たちを見据えると、身を起こして前足をシートに掛けて翼を広げ、再び身を振るって残る水気を飛ばした。

 おかげで眠らされたままの久美子と博がびしょ濡れになっている。


「なんか、わざとやってるんだね……」


 カラダを小さくしても威圧感と存在感は変わらない。

 死神ごとき吹けば飛ぶくらいの堂々とした足取りで最後列まで至る。

 すると今度は、さらに小型犬程度にまで身を縮めて長座席へ飛び乗り、中央に陣取った。そのまま犬然として前脚を伸ばし体を丸めて座面に伏せるのだった。


 必死に避けていた幸子は源五郎にもっと端に寄れと押し潰す勢いで精霊から離れようとするも、隣席くらいの近さは変わらない。

 終いには、精霊の尻尾がふさっと幸子の膝上に乗ってきて、いよいよ死神が終わりを覚悟する。

 だが、尻尾から伝わる欲求に驚く。


「ここで休むつもり?」


「満腹みたいだからね。邪魔をしなければ大丈夫」


 思わず息を止めたくなる幸子だが、妙に落ち着いている源五郎を不審に思う。


「あなた、この精霊を天幕へ迎えるために此処へバスを移動させたわけ?」


「だね。実体化したのは僕も予想外だったけど。叡明えいめいなる希少精霊なら同胞を巻き込んで焼き払ったりはしないかなとか、淡い期待だね」


「呆れた……」


 これはもう、全て事が済むまでみんなには眠ってもらった方がいいと幸子は諦めて背もたれに身を預ける。上層にも報告できる状況じゃないし、我が身が一番大事と職務放棄を決め込んだ。


 人間の都合で張られた天幕が人間によって外された時、あの精霊たちは上等なゼレの源泉を壊されたことに気付く。怒れる精霊の災厄を止める術はない。


 今回の損失は計り知れない。苦労して育んだ魂を大量に失うだろう。

 たとえ、隣の精霊が恩恵を分け与えてくれたとしても、割に合うかどうか。

 幸子は死神の価値観で天秤にかけ思案するも、自然と人間らしい憂鬱な表情になっていくのだった。


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