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自分のケツは自分で拭け


 晴天。果て無く広がる空の下。


 辺り一面が鏡のように凪いだ水面の上、俺はテラス席の椅子に一人で座っている。

 脱力した両足がぽちゃんと水に浸かり、冷たい刺激が意識をはっきりさせた。


 カラダが、切れてない。

 痛みもない。

 やわらかな風を感じる。

 涼しくて心地いい。

 そして嗅いだことのある花の匂い。


「そうか。また死んだのか」


 不思議に落ち着いた気分で狼狽える事もなく、ただただ、彼女へどう詫びたらいいか、そればかりが気になった。


 この場は、おかんむりのルミさんが現れて実験中止の事務手続きといったところか。違約金とか取られるのだろうか。あんな死神の横暴は不可抗力だと思うんだが。


 しかし、頭を振って見回しても誰も居ない。

 反省するまで放置プレイかよ。


「おーい。ルミさーん。どうかお情けをー」


 許しを乞う声は遠く広がる水平線の彼方へ吸い込まれるだけだった。


「大変申し訳ございません」

「うわっ」


 突然、足元から男の声がして本気で驚く。

 椅子から滑り落ちそうになるのを、テーブルの縁を掴んでどうにか堪えた。

 恐る恐るテーブルの下を覗くと。

 居たよ。土下座野郎。水下座野郎?


「井澤様は訳あって来られません。この場はどうか、私の謝罪でお気持ちを鎮めていただきたく。誠に、誠にもって申し訳ございませんでした」


 直近の記憶にある黒のスラックスと声。


「お前、ユニムか?」


 顔を上げさせると、やはりマジカル店員姿のユニムだった。

 なんと、上司の起こした問題を謝罪するため部下がやって来て土下座(水下座?)しているのだ。まさにブラック職場のリアル。

 なんだか俺まで辛くなってしまい、とりあえず対面の席に座らせた。

 すると今度はテーブルにゴンと頭を落として謝罪リピート。


「この度は、大変なご迷惑をおかけしました。責任は全て、この私に……」


「待て待て。やらかしたのお前の上司だろうが」


「いえ。しっかりとお諌めできなかった私の不甲斐なさが招いた結果でございます」


 なんという手軽で便利な部下。使い捨てクリーナーかティッシュ並。

 これは社畜というより、もはや洗脳されてるレベルだ。

 もしかしてこのウェットティッシュ君、死神のくせして宣告されてたりするのか。

 そうだとしたら、事情を説明させても真実でない可能性は高いな。

 とりあえず様子を見るか。


「あそ。それで、この後の俺をどうしてくれるんだよ。リサイクル工場行きか?」


「え? 学生を辞めて就職をご希望ですか」


「いやこの通り人生を辞めて死んでるんだが」


「いやいや! 長嶺様はまだ生きておられますので」


 一瞬、彼女の顔が脳裏を過る。

 斬られた胸が疼き、無意識に手を当てている。


「詳しく説明してくれ」


 よほど気弱な性格のパシリ君なのか、人間の真似が上手い芸達者な死神なのか、ポケットからハンカチを取り出して額の汗を拭っている。


「我が主人の能力『幻惑』によって、長嶺様の死んだ状況が作られているのです」


「幻惑って……。なんだよ、実際の俺は、なんともないわけ?」


 期待してはいけないと分かっていても、前のめりになってしまう。


「そうです。が、今は長嶺様ご自身の認知と周囲の観測者によって限りなく死が成立している状況です」


 クソ。黒澤の翻訳がないと理解できない話が出てきやがった。

 エセ理系脳だと俺を決めつけて煙に巻く魂胆か。ムカつくな。


「理解に誤りがあってはならない。子供にもわかる言葉でやり直し」


 チャットAI先生に尋ねる時の必須文句を叩きつける。


「失礼しました! ええと、幻惑のチカラによって特定の人物に関わる全ての人間が『死んだ』と認識すると、その人物の『存在の死』が成立します。すると、現実においても存在を維持できなくなり死に至るのです。つまり、ご本人の存在力がなくなることで、肉体と魂が自然に分離してしまう訳です」


 存在力が無いとか刺さる言葉やめろ。泣くぞ。

 だが言わんとしている事のニュアンスは伝わる。


「……。嘘も百回言えば真実になるってやつ?」


「ちょっと違う気がしますが、まあ、そんな感じです」


「なら問題ないだろ。俺の死を認識したのはあの場の人間だけ。ごく一部だ」


「それがその、黒澤様が隠匿の天幕を用いてあのテラス区画を外部と分断しておられまして。テラス席の閉じられた世界に存在する人間の全員が長嶺様の死を信じた時点で嘘は真実へ確定してしまいます」


 やばいじゃん。

 天幕って、神の耳目をもってしてもとか言ってたアレか。

 何してくれてんだよ黒澤。

 黒澤とお姉さんと由香里が、ぶった斬られた俺を目撃してヒエーとか思ってるわけだ。

 きっと由香里あたりが何かの間違いだとか現実から目を逸らしてるおかげで首の皮一枚が繋がってるのだろう。


「いや、善と美羽がいる。寝てるから何も見てないはず」


「お二人は最初から現実世界に置かれたまま眠っています。その様子が重ね映されて見えていただけです」


 やばいじゃん。

 まじか。ほぼ終わってるじゃんか。

 何とかしろよ黒澤。


 という話になるが、意味わからん。


「なんでそんな面倒臭いことすんだよ。直接やりぁいいじゃんか」


 手刀で自分の首を切る真似をして中途半端に俺を生かしている理由を問うと、なんとも困った顔になって一層意味不明な事を言い出す。


「存在の死は証拠を残さず人間を殺める手段ではあるのですが、恐らく我が主人は本能的に危険を回避したのではと……」


 これは黒澤の解説がなければ理解不能だと本能的に判断した。

 死神の本能はともかく、本職に従っていると考えれば、目の前で弱り切っている風を晒すコイツは俺を確実に死なせるために現れた。

 つまり、死神本来の仕事であろう由緒正しい『宣告』を俺に与えているはず。

 だというのに、鎌も持たず最初の言動からしておかしい。


「お前、俺がまだ生きてるって言ったよな」


「はい。生きておられます」


「なぜだ?」


「なぜ、とは?」


「死神は人間をアゲてオトすと飯ウマなのか?」


「あの、おっしゃる意味がわからないのですが」


 ウッソだよーん、生きられるとか期待しちゃった?

 残念っ、もう死んでましたあー。

 その絶望顔が最っ高、メシうまー!


「……って意味だよ」


「申し訳ありません。人間の味覚まではちょっとわかりません」


 だめだコイツ。

 プロ営業の俺にはわかる。これ素だよ。

 根拠は新人研修。

 講師やったんだよ。『顧客とのコミュニケーション』みたいなやつ。

 顧客との信頼関係は地道な積み重ねが大切。一発ホームランを狙うのではなく、時にはバントや盗塁、ヒットエンドランのようにチームワークを活かした攻略が有効なんだよと、易しく説いたつもりだった。

 すると一人が手を挙げて、

「自分、野球知らないんで。ちょっとわかりません」

 え。

 ってなって空振りアウトやらかした俺。

 まさにあの時の新人と同じ顔してんだよ、ユニム。


「お前、何しに来たんだよ。上司に命じられた仕事があるんだろう?」


「仕事、は、その、まあ、あるのですが、それとは別と言いますか……」


「わ、か、り、や、す、く」


 しまいにゃブッコロしてやんぞこのやろ。的な宣告付き。


「長嶺様に生きてもらうための説得です!」


「……。やっぱわからん。説得するならお前の上司だろう。なんで俺かよ」


 完全に相手を履き違えている。

 あの暴走上司、オウジンとかいうヤツ。あれを止めに行けってんだよ。

 だがユニムは、至って真面目な表情を作り首を横に振った。

 宣告が効いてしまったのか、額に脂汗を浮かべ、息遣いが乱れている。 

 そんな形振りを構わない死神は、俺を真っ直ぐ見て理由を告げる。


「あなたが死を受け入れようとしているからです」


 もう一度、彼女に出逢った時に見惚れた横顔が、頭の中を過ぎて消える。

 臆病な俺の真実を、容赦なく剥き出しにされてしまった。


   *   *   *


 神崎の握る大鎌の刃先は変わらず店主の体を釘付けに保っていた。

 オウジンの契約した実験は正式に終わった。

 瀬戸内由香里は実験体でなくなり、オウジンの管理下から離れたことになる。

 しかし、事態は何も好転していない事を黒澤はよく理解している。


  ———— 幻惑、ですか


  ———— 文字通り幻で惑わす能力だね


  ———— 幻ならば、脅威度はさほどでもないのでは?


  ———— 本来は精霊が精霊に使うための能力だから、

       強烈なんだよね


 厄介な恩恵由来の能力『幻惑』は、今なお長嶺行人を殺害した状態を維持したままでいる。オウジンはこのまま瀬戸内由香里の魂を削れば中に在る精霊を処分できると考えているに違いない。

 問題は、この惨状が精霊の目にも同じように映ってしまう事だ。


「オウジンさん。もう貴方に出来る事はありません。無実を主張なさるなら、天幕のある今のうちに『幻惑』を解いておくことをお勧めします」


 黒澤は腹を決め、天幕を外すことを示唆し、オウジンを囲み凝視する数多の死神を意識させ、自身の意志で幻惑を解かせる賭けに出た。


「人間ごときが我の力を知ったように語るな」


 狙い通り、と言っていいのか、床に落ちていた長嶺行人の上半身はずるりと重そうに宙へ浮く。温度をなくした血を垂らしながら、椅子に残る下半身を求めるようにゆっくりと動いて、やがて一体へと戻った。


 しかし生き返るとは程遠く、テラス席に座る血濡れたオブジェは、頭が肩につきそうなほど首を曲げたまま微動だにしない。だらりと下りた腕を伝い指先から滴り続ける赤黒い血だけが、焦れるほどゆっくりと時を刻む。


 店主の頬肉が痙攣しながら吊り上がり、歪な笑い顔とともに呆れ声を漏らす。


「人間はどこまでも愚かだ。どこまでも形有りき。どこまでも形をむさぼる」


 オブジェの表皮が青黒く急変する。衣服は溶けて同化し、突然煮え立つように無数の水脹れが現れ、膜を破って飛び散る飛沫が強烈な悪臭を放ち始める。


「くっ、悪趣味が過ぎますよ!」


 堪らず腕で鼻を押さえ苦情を訴える黒澤。

 手の塞がっている神崎は息を止め、店主の胸に当てる刃先を更に押し刺すも、中の死神が動じることはない。


「どこまでも形を信じる。故に、御し易い」


 ゴトッと床を響かせて首が腐り落ちた。

 まるで熟れすぎた果実のように、形が潰れて床上を汚す。


「いやあああ!」


 ついさっき夢の中で全く同じ光景を見せられた由香里が絶望の叫び声をあげる。


 椅子に残る体も水脹れを弾けさせるたびに崩れ落ち、もはや原形を留めていない。もう二度と人間の形へ戻らない事を思い知らせるのに十分な仕打ちだった。


 目に映るもの、嗅覚の刺激も、すべて幻惑であると頭で理解していても、実際に触れて感じるのだから無いものと思い込む方がおかしい。


「どうした人間。願いを言ってみるがいい」


 黒澤は精霊の恩恵という能力がもたらす悪質さに辟易する。

 自制心の限界にある神崎と、正気を失いかけた瀬戸内由香里。

 死神に抗う力など初めから持たない自分自身。

 増援を呼びたくとも、天幕は通信の電波さえ遮断する。


 いっそのこと、幻惑で願いを叶えたまま人生を終えられたなら、どれだけ楽だろうか。

 この胸の奥に秘める浅ましい願いは、現実世界で到底許されものでない。

 それでも、罪とわかっているからこそ叶える意味がある。

 なぜなら、良かれと思い為す事は、大概、人の為にならないからだ。


「私の願いは、ただひとつ……」


 願う悪行は自分だけのもの。

 誰かに委ねたりなどするものか。

 この手で必ず叶えてみせる。

 こんなところで終わるわけにはいかない。


「死神オウジン。自分のケツは自分で拭け。神崎やれ!」


 綾乃は迷いなく握る刃を全部押し込んで店主の心臓へ至らせた。

 黒澤は緑の眼光を終わらせ、黒の瞳で元凶を捉える。

 隠匿の天幕は消失し、現実と同調していった。


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