表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
110/122

死んだことあるからよくわかる


 瀬戸内一家が昼食を終える頃、黒澤がこのテラス席までやって来てきた。

 実験終了の検分が始まることを告げられると、由香里は黙って頷く。


 不思議というか予想通りというか、子供達は黒澤の存在にさえ気づかない様子。

 遠巻きにしている有象無象の死神どもから届く不快な圧が一気に増えたように感じる。

 これはさぞかし物々しい雰囲気のイベントになるかと思いきや、中心となるこの現場には今のところ人間しか居ない。


 実験の検分と言うからには、少なくとも当事者である死神が立ち会うのは当然のはず。その疑問は当たっていて、黒澤はこれから死神が現れるけども緊張しなくて大丈夫と由香里へ説明する一方、周囲を見回すお姉さんの表情は緊張を隠さないでいた。

 漸くお騒がせの死神、いや、疫病神との対面だなと俺も気を引き締める。


 密室に入ったように耳から入る音の質が変わった。目に映るものは変わらないものの、少し経ってわかったのは音だけでなく気圧というか空気が違っていて、肌に当たる風も無くなっていること。


 そこまでであったなら、死神世界の儀式的なものはこんな感じなのだと理解して受け入れていただろう。

 だがまさか、背中を大鎌で切り裂かれるのが開始の合図になるとは思っていなかった。


 クソ。やりやがった。


 背中だけ、じゃないな。

 鎌の刃先が俺の胸の前を過ったのが見えた。

 二つに切断された俺の魂が、形を保った肉体の器の中に残っている。そんな感覚だ。


 テラス席の対面に居る由香里と黒澤が俺の方を見て愕然としている。

 俺の背後に立っているであろう死神クソッタレに驚いているのだろう。

 善と善の膝上に移っていた美羽の二人は席に座ったまま項垂れて目を閉じている。

 なるほど。こうなるわけか。


 にしても、死んだことあるからよくわかる。

 これは、死ぬほど痛え。

 由香里が立ち上がって俺の名を叫んでいる。


 慌てないでくれ由香里。

 多少セコい真似をしてくるかと思っていたが、まさかここまで小物ぶりを発揮してくる奴とは想定外だった。

 大丈夫だ。魂を斬られるくらいは問題ない。俺のゼレを接着剤にしてくっつけりゃいいだけの話だ。


 ちょっと待て。なんだこれ。

 景色が滑っていく。回っていく。

 頭に固い何かが激しく当たる。

 一瞬、目の前が暗くなってからだんだんと焦点が合ってくる。

 木目だ。板張りの床。ウッドデッキか。

 どうやら椅子ごと倒れてしまったらしい。

 起きあがろうとしたところで、左腕が無いことに気付いた。

 脚も、ケツもない。どこいった?

 俺の靴を履いた足がすぐそばにあった。

 椅子に座ってる、顔も、胸もないそいつは誰だ?

 俺、か。

 初見殺しって、まだ姿も見てねえのに、そりゃないだろ。

 ふざけんなって。

 こっちは千年の約束がまるまる残って、んだよ。

 ルミさんに、相、だ、んし、な ————

 


「蟲狩りの分際で随分な出迎えではないか」


 綾乃が真上から振り下ろした大鎌を、重厚な三日月刃の背を当てて難なく止めて見せた死神。

 繊細な彫刻を施した柄を皺の多い手で握って立つのは、グレーのシャツに黒いエプロンをかけた長身細身の老人。

 それはカフェレストランのカウンターに立っていた店主の肉体だった。

 入店を出迎えた時の温和な笑みは消え、瞳が錆びた銀色となってその場の責任者へ蔑みの視線を向けている。


「オウジンさん。今の私は協会より派遣されたオブザーバーの立場です。が、蟲狩りとて金にならないものに刃を向けるほど暇ではありませんよ」


 緑光を帯びた目を合わせて刃向かう態度を露骨にする黒澤。

 綾乃の取った行動が感情的でなく合理的であると答えた。

 死神の首に値付けする存在とは。


「モルスか。奴も老いが過ぎた。時は残酷なものだ」


 綾乃の鎌を軽々と払いのけ、さらに柄の先を綾乃の腹に突き当てテラスの生垣まで飛ばした。圧倒する場面ながら、その程度で済んだことを死神は見咎める。


「仮初めの恩恵でも得たか。人間」


 腹を貫いたつもりが、庭先で傷ひとつなく佇む綾乃はもはや人間の範疇にない。それは直近で起きた儘ならぬ出来事と重なり、同じ意思の存在を死神に確信させた。


「答えろ。モルスから何を命じられ、何を譲り受けたか」


 常人なら精神が損壊するほどの強い宣告を受けた黒澤は、体を揺らし視点が定まらなくなるも足を踏ん張り、すぐに眼光を戻し睨み返す。


「何か勘違いされているようですね。私は、貴方からの依頼にもとづいて此処に居ます。それとは別に、たった今、法を犯した死神が無条件で賞金首となっただけ。貴方の大好きなモルスさんは無関係です」


 事実を、最後に嫌味を付け加えて告げた。

 死神は加減無しの宣告が効かない状況に、人間そのものを警戒し始める。

 法とは、死神世界の秩序を支える数少ない成文律。

 黒澤は最も単純な法のひとつを主張した。


 人間を殺してはならない。殺せば重罪と見做す。


 その法は人命の尊さを謳うものではなく、人間界に当てはめれば収穫前の作物を窃盗する罪に等しい。作物が貴重なメゼスであるが故に厳罰対象となる。


 それを承知の死神は視線を下ろし、自ら切り落とした死骸を眺める。

 むくろの傍らでは由香里が両膝を落として首を横に振り続けている。震える手を伸ばすも触れられないまま、デニムパンツがウッドデッキに広がった真っ赤な血を吸い上げていく。


「その人間は我の実験体に干渉し、素性の知れないゼレを用いて実験を妨害した。故にやむを得ず処分したのだ。罪には当たらない」


「上層界と協会は人間都合の活動範囲と認めています。貴方の主張は無意味です」


「そうか。ならば願いを言ってみろ」


「願い?」


「お前の眼光が放つ異能は隠匿の天幕の類。我の行いを罪として尚、此処を衆目から隠すとなれば、それ相応の欲があってのことだろう」


 黒澤は死神オウジンが事態を何も理解していないことに絶望する。


 強大な能力を有しながら何故ここまで無知でいられるのか。

 事前にこの死神の手口を知らされ、咄嗟に隠匿の天幕を張る判断ができていなかったら、取り返しのつかない事態になっていた。

 誰のおかげで五体満足無事なのか、理詰めで小一時間説いてやりたくなる。


 少しは現実を受け入れろと喉まで出かけたところで黒澤は気付いた。

 この階級の死神において現実を無視するなどあり得ない。

 自分達には見えていて、死神オウジンには見えていない現実があるのだと。

 見せず、教えず、無知の穴に引きずり落とす。

 そうした芸当に長けている身近な死神に心当たりがある。


 今、ここにある長嶺行人の惨状をあの希少精霊たちが知ればどうなるか。

 良質なゼレの源泉に手を出した“無知なる死神”オウジンは、一帯に群がる死神もろとも滅殺される。その制裁は人間社会をも巻き込んで甚大な災禍をもたらし、多くの人命が犠牲となってしまうだろう。

 だから自分は迷わずこのテラスに隠匿の天幕を掛けた。

 そうしなければならない状況に至る事を、この能力を自分へ授けた“言葉足らずの死神”は、始めから織り込み済みだったのだ。


 そして間違いなく、瀬戸内由香里の中に在るであろう精霊の状態は隠されている。

 正確には、自分の隠匿とは桁違いの強い能力が偽った状態を見せている。

 死神オウジンは精霊が衰弱したままだと思い込んでいるはずだ。

 本来であれば、瀬戸内由香里の実験検分を済ませ、魂の残量が生命維持困難であることを確認した上で魂を切り離し、メゼスを回収していたはず。そして瀬戸内由香里の死と同時に、不都合な精霊も消滅する筋書きだったのだろう。


 ところが、大番狂せが起きた。

 いざ検分当日になってみれば、瀬戸内由香里の魂の量は半分以上に増えており、疑惑の昼食を済ませた今にあっては健康な成人を上回る状態まで完全回復しているという、あり得ない現実が今そこにある。


 昨晩、瀬戸内由香里の魂の変化を逸早く察知した死神オウジンは慌てて実験検分を要求したのだろうが、あまりに速い変化によって更に不利な境遇へ追い込まれた。


 実験検分が終われば、瀬戸内由香里は実験責任者であるオウジンの管理から離れる。魂は健全であるから肉体から切り離すことも承認されない。

 生きたままの瀬戸内由香里が他の死神へ渡るようなことになれば、当初の目論見は完全に破綻する。


 つまり、もはや形振り構う状況ではないのだ。

 死神オウジンは此処へ現れ、まず元凶を排除すべく疑わしき人間を斬り捨てた。

 それが自滅を決定付けた事にも気付かぬまま隠匿の天幕を好都合と捉え、次は瀬戸内由香里を殺害するため自ら手を下す気だろう。


「神崎。構えろ」


「ちょっと……、ほんとヤバイんだけど。何でもいいから早くしてよ」


 テラスの隅で待機する綾乃は地面に突き立てた大鎌の柄で身を支え、過剰摂取した栄養が暴発するのを必死に抑えている。


「検分を始めます」


 黒澤の宣言と同時に死神オウジンが動いた。

 由香里の頭上へ振り下ろされる重厚な三日月刃を、割って入る綾乃が両手で挟んで止めた。そこから信じ難い膂力りょりょくで大鎌の刃先をへし折って奪い取り、握る尖端を店主の胸に浅く突き刺す。

 すると、店主の肉体は感電したように大きく震えて刃を折られた大鎌を手放し、静止した。


「ね、もっと暴れてくんない? こんなんじゃ、ぜんっぜん治んないのよ」


「煽るな神崎。そのままキープしろ」


 黒澤は取り乱す由香里の姿を正面にして検分のための測量を開始する。

 通常は測量の能力を行使すると右目が赤色に光るところが、もとから発する緑光と重なり黄色へと変化する。

 測量の途中、由香里の中に在る本来見えるはずのないものと目が合った気がして、恐怖で身が竦むのを必死に堪えて続けるのだった。


 実験体の測量を完了。

 残留不純物の量は実験開始前と比べ三・五%減。これは自然排出量と測量誤差を含めた範囲内の数値であり、申告された目標効果は未達と判断されました。実験体に対する不正改造の痕跡はありません。

 しかしながら、実験体の生命記録に軽度の精神操作が計六回存在します。

 別途審議の上、査問の要否を判定する事とします。

 以上をもって申請番号第三〇八、九九〇一四五八号の実験検分を終了します。


 魂の状態には一切触れず、検分結果を一気に述べて終わらせた。

 黒澤の報告は協会へ送られ、異議を挟む間もなく承認が下りる。

 こうして瀬戸内由香里の実験は正式に終了した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ