人身売買
中型の船が、鍾乳洞の奥へと入ってくる。
船は岸へゆっくりと横付けされ、数人の外国人が降りてきた。
その中に、日本語を話せる船員が一人いる。どうやら、今回の取引では彼が仲介役を務めるらしい。
船員の男が海馬へ歩み寄り、手を差し出す。
「今回の商品はどうだ?」
海馬はゆっくりと手を握り、握手を交わした。
「どうも。いいのが入ってますよ。一人は子供で、もう一人は殺人鬼だ」
俺は男を見た。
殺人鬼……か。今野を殺した男を、そう呼ぶのか。
――自分で殺せと命じたくせに。
俺は表情を変えず、海馬と男のやり取りを眺める。
「それは、それは」
男が興味深そうに頷き、チラリと俺へ視線を向けた。
「そちらは?」
手錠こそ外されているが、俺の服装は他の捕まった人間と変わらない。不審に思われても仕方がない。
すると海馬が、ニコニコと笑いながら答えた。
「コイツは、俺が今引き抜いたんだ」
「ほう」
男が改めて俺を見る。
「優秀な人材なんですね」
俺の後ろに立つガタイのいい男が通訳の話を聞き、高らかに笑った。ひとしきり笑い終えると、男は通訳へ何かを告げる。
通訳がそれを海馬へ伝えた。
「海馬様が欲しがるほどの人材なら、私も欲しいと言っています」
海馬は、自分のおもちゃを自慢する子供のように笑った。
「あげませんよ。コイツは私のお気に入りでして」
人を道具か何かとしか思っていないのか。俺は黙って海馬を見た。
「では、今回の商品の買取額を受け取ってもよろしいですか?」
通訳がそう尋ねると、男は首を横に振った。
「あの……男の分については、まだ支払わないとおっしゃっています。なので、ここで改めて金額の交渉をしたいとのことです」
海馬の表情が険しくなる。
――それはそうだろ。俺の分の金を削られるのだから。
取引相手と視線が合う。男はニヤリと笑うと、通訳を通して何やらコソコソと話し始めた。
やがて、通訳が口を開く。
「今回の取引は、五百万でどうでしょう」
海馬の顔が、みるみる赤くなっていく。
「なんだって! それだと取引の半額じゃないか。せいぜい七百万が妥当です!」
一千万――。
海馬が嬉しそうにしていた理由が、ようやく分かった。今回の取引金額は、一千万だったのか。
それだけの大金なら、浮かれるのも無理はない。
それにしても、相手は頭がいい。海馬は話しすぎたんだ。
取引とは、常に先を読んだ者が勝ち取る。
通訳が後ろの男と数回やり取りして、答える。
「海馬様が抜き取った商品は、それだけの価値があるとおっしゃっています。取引間際になって抜くほどの人材なのですから、と」
海馬は悔しそうに依頼人を見た。
「それにしても、それは流石に……」
俺は咳き込んで、海馬に近づく。そして、小声で話しかけた。
「私に交渉させてもらえませんか?」
海馬が怪訝そうに俺を見る。
「……お前が?」
「ええ。今回の取引を、もう少し上まで戻してみせます」
海馬はしばらく俺を睨みつけた。
「……くそ、分かった」
憎々しそうな視線が突き刺さる。
俺の中の血が、一気に沸騰していく。
この取引を成功させれば、海馬だけじゃない。あの憎たらしい依頼人の鼻も、へし折れる。
俺は営業先に出向いたときと同じように、笑顔を貼り付けた。
「もちろん、成功報酬はいただきますよ」
「いくらだ?」
「成立した金額の一割で」
海馬は舌打ちした。
「……分かった」
「では、契約成立ということで」
俺は取引相手へ向き直った。
――さて。ここからが、俺の仕事だ。
ここで大事なのは、俺の値打ちを落とすことだ。
俺は通訳に近づき、できるだけ弱々しく、頼りなさそうな声を出す。
「過信しすぎです。私は護衛としての力もありませんし、頭がいいというわけでもありません」
俺はわざと自分の手首を掴み、怯えているのを誤魔化すような素振りを見せる。
通訳は俺をじっと見た。
「しかし、あなたの資料には強盗や判断力、機転といったことも書かれています」
よく、そんなことを書けたな。強盗だって、本当に俺がやったという証拠もないだろ。
「誤解です。私は命令で……いや、脅されてやったんです」
俺は一歩後ろへ下がり、オドオドと視線を動かす。
通訳が俺を一瞥し、依頼人へ話しかける。
「それも、演技なんじゃないですか?」
「演技なんて……とんでもありません」
俺は必死に首を横に振る。
「それに、強盗と言っても……小さなお店のお金を盗んでいる程度です」
これは本当のことだ。
意外にも、強者より弱者を演じるほうが簡単だ。
依頼人が俺に近づき、目の前に立った。
俺は目を閉じ、両腕で顔を覆う。
依頼人は殴る素振りすら見せていない。それでもいい。体格が良く、俺よりも身長が高い。それだけで、怯えているように見せるには十分だ。俺は肩を小さく震わせる。
すると、依頼人が通訳を通して話しかけてきた。
「あなたの目は、猛獣の目と同じだとおっしゃっています」
――そういうタイプか。なら。
俺は怯える素振りを見せながら、本当の弱者を頭の中に思い描く。
背中を少し丸め、顔を俯かせる。視線は決して相手と合わせず、地面だけを見つめる。自信なんてものは、すべて削り落とす。
「そ、そんなはずは……さっき、海馬さんから誘われて……つい、嬉しくなって……」
情けない声を出し、唇を小さく震わせる。
通訳が声を張り上げた。
「嘘をつくな!」
俺はその声に怯えたように身体を縮め、その場に尻をつく。そして、助けを求めるように四つん這いになり、海馬の足元まで這っていく。
「た、助けてください……」
相手から見れば、情けない男が海馬に命乞いをしているようにしか見えないだろう。
海馬も俺の意図を察したのか、すぐに話を合わせる。
海馬は俺の腕を引っ張り、無理やり立たせる。
「先程、優秀と言ったのも、そう言ったほうが、そちらも納得してもらえると思ってのことです」
俺は大袈裟なくらい、海馬の背中に隠れるようにして縋りつく。
「わ、私なんかが……五百万の……価値……すら、ないんです」
声のボリュームを、わざと少しずつ落としていく。
「要領も悪くって……仕事も遅いので……せいぜい売れたとしても、三十万とかでしょ。それよりも……子供や殺人鬼のほうが、よっぽど値打ちがありますよ……」
依頼人は、もう一度俺の顔を見る。今度はしばらく黙ったまま、俺を観察している。
やがて、ゆっくりと通訳へ言葉を告げた。
「今回の取引は、七百万でどうですか?」
海馬の顔が、明らかに明るくなる。
「そうしていただけると、ありがたい」
交渉が成立した。
俺は海馬の背中に隠れたまま、口元だけを歪める。
そして、誰にも聞こえないよう小声で囁いた。
「お約束の一割……七十万、振り込んでくださいよ」
俺は不敵な笑みを浮かべた。




