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宝を盗みに来た——この町では住人が帰宅後に消える  作者: アグ


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最後のスリル


俺は、あの嫌味な依頼人の鼻をへし折ることに成功した。

そして――海馬からは、金まで巻き上げた。


正確には、まだ受け取ってはいない。だが、それでいいのだ。


正直、海馬が俺の口座へ金を振り込まなくても構わなかった。その金を受け取ってしまえば、俺も海馬と同じ泥舟に乗ることになる。口座に金の動きという決定的な記録が残れば、それだけで俺自身が違法取引に関わった共犯だと疑われかねないからだ。


だから、俺に必要なのは金じゃない。


――逃げ場のない「現場証拠」だ。


現金を引き渡した瞬間。


商品を受け渡そうとした瞬間。


その一連の現場を、警察に現行犯で押さえさせればいい。そうすれば、どんな言い逃れも不可能になる。


「このカバンにお金を入れています」


通訳の男が黒い革カバンを開いた。


中には、整然と並べられた帯付きの札束がぎっしりと詰め込まれている。


昼間とはいえ、鍾乳洞の深い奥まで太陽の光は届かない。入口付近からわずかに差し込む光が湿った岩肌をうっすらと照らしているだけで、取引場所は不気味なほど薄暗かった。それでも、カバンの底で鈍く存在感を主張する札束は、はっきりと見て取れた。


海馬が食い入るように中身を覗き込み、満足そうに何度か頷く。


「間違いなくいただく。商品を船に乗せろ」


その声には、先ほどまでの苛立ちは一切ない。目の前にある大金に目が眩み、すっかり機嫌を直している。


「私は子供を連れてきます」


俺はそう言い残し、拘束されている子供のもとへ足を進めた。


大きな石に縛り付けられた縄へ手を伸ばす。解くふりをしながら、俺は一瞬だけ視線を横に動かした。


視線の先にいるのは――久城だ。


俺と目が合うと、久城は誰にも気づかれない絶妙な動作で小さく頷いた。


そして、唇だけを動かして囁く。  


「もう、淳さんには言ってます」


――それなら、もう十分だ。 


俺は何事もなかったかのように視線を戻し、指先を滑らせて縄の結び目を解いた。自由になった小さな身体をそっと抱き上げる。


「大丈夫だ、もう終わる」


耳元で短く声をかけた、その瞬間だった。


――ザァァァッ! 


洞窟の奥に、鼓膜を揺らす激しい水音が響き渡った。 


俺はゆっくりと顔を上げる。


洞窟の入口から差し込んでいた昼の光を遮るように、巨大な船影が次々と現れた。一隻、二隻……さらにその背後から、黒い船体を滑らせて別の船が続いてくる。


海馬の顔から、一瞬で笑みが消え失せた。


「……なんだあれは?」


依頼人たちも異変を察し、一斉に海のほうへ鋭い視線を向けた。


船はエンジン音を轟かせ、迷うことなく鍾乳洞の中へとなだれ込んでくる。 


同時に、正規の陸側ルートからも、洞窟の壁を震わせる怒号が響いた。


「警察だ! 動くな!」


洞窟内の空気が、一瞬で冷たく氷ついた。


入口から、装備を固めた複数の警察官が一気に駆け込んでくる。


「お前ら! 今すぐ子供を解放しろ!」


鍾乳洞の入り組んだ岩肌に、怒号が激しく反響する。


海馬は目を見開いたまま固まり、依頼人も状況を理解できず、狼狽しながら通訳へ何かを叫び散らかしている。


「既に包囲済みだ! 逃げ場はないぞ!」


陸側には警察の部隊。海側にも警察の船。退路は完全に塞がれていた。

 

「どうやって……場所を!」


海馬が血走った目で周囲を見回す。そして、窮地に追い詰められた獣のように叫んだ。 


「お前ら! 蹴散らせッ!」


その一言が――乱闘の合図となった。


「うおおおっ!」


海馬の部下たちが一斉に襲いかかり、外国人グループも武器を抜いて応戦する。怒号と叫び声が交錯し、男たちの肉体が激しくぶつかり合った。


怒鳴り声、殴打音、重い足音、倒れ込む音。それらが湿った洞窟の壁に反響し、静寂に包まれていた鍾乳洞を一瞬で混沌の坩堝へと叩き落とす。


俺は抱きかかえた子供を庇うように、静かに一歩後ろへ下がった。  


――さて。ここから先は、もう俺の仕事じゃない。


俺は子供を守ることだけを考えればいいのだ。


海馬も、依頼人も、この不快な取引に関わった連中も。 


全員まとめて――警察に連れて行ってもらおう。


抵抗する間もなく、海馬の部下や依頼人たちが次々と地面へ押さえつけられていく。


飛び交う怒号と狂乱の中で――不意に海馬と視線が重なった。


血管の浮き出た血走った目。先ほどまで浮かべていた優越感など、見る影もない。


「宮野! 貴様、嵌めやがったな!」


押し潰されたような声で、海馬が俺を恐ろしい形相で睨みつける。


その惨めな顔を見て、俺は思わず口元をゆるめた。


「嵌めるなんて、滅相もない」


「嘘をつくな!」


警察官に両腕を拘束され、地面にひれ伏しながらも海馬が叫ぶ。


「お前は捕まる前から……こうなることを全部計画していたんだろ!」


――今更、気がついたのか。


俺はひれ伏す海馬を見下ろした。そして、ふと思い出したように言葉を繋ぐ。


「そうそう。あの時、確かに言いましたよね」


海馬の表情が硬直する。俺は親しい友人に話しかけるような笑みを浮かべた。


「次に会う時が楽しみだって言ったんですが……覚えてますか?」


海馬の顔が、屈辱と恐怖で歪んでいく。


「私はね、あなたの今のその姿を……あの時にはもう見えていたんですよ」


海馬が何かを叫ぼうとしたが、その声は警察官の厳しい一喝にかき消された。


俺はそれ以上、彼に視線を向けるのをやめた。


こうなることは、最初から分かっていた。


警察に取り押さえられ、俺を殺したいほどの憎しみで睨みつける。そして――己の愚かさに怒り、絶望で顔を歪ませる。

俺は、そんな海馬の惨めな姿を見るのを、ずっと楽しみにしていたのだ。


――思えば、最近で一番スリルに満ちた時間だった。


自分の命を狙われ、暗闇に閉じ込められ、挙句の果てには人身売買の現場にまで連れてこられた。


普通ならトラウマになりそうな出来事だし、到底「楽しかった」などと言える状況ではない。


それでも。俺は口元に込み上げてくる歪んだ笑みを消せなかった。


海馬のおかげで――随分と刺激的で楽しい休暇を過ごさせてもらった。


「……さて」


俺は腕の中で怯える子供を見つめる。もう安全だ。


駆け寄ってきた警察官へ子供をそっと預ける。警察官が確実に受け取ったのを確認すると、俺はそのままスッとその場を離れた。


混乱が極まり、周囲の視線がひれ伏す海馬たちへ集中しているこの瞬間こそが、最高の潮時だ。


少し離れた暗がりにいた久城と目が合う。久城も多くを語らず、静かに頷いた。


俺たちは混雑する人の流れに紛れ――誰にも気づかれることなく、二人でその場を脱出した。 


「宮野さん、正規ルートの入口にも警察が溢れてますけど……」


背後から久城の焦ったような声が聞こえる。


俺は濡れた洞窟の道を走りながら、ちらりと振り返った。


「淳、来てるんですよね?」


いつもの調子で軽快に問いかける。


「いますが……大丈夫なんすか?」


「なら大丈夫だろ」


俺はそれだけ言って、迷わず前を向いた。


暗く湿った一本道を、久城と二人で駆け抜けていく。


足元には冷たい水が溜まり、走るたびにバシャバシャと靴を濡らした。ゴツゴツとした岩壁からは水滴が滴り落ち、洞窟特有の重く冷ややかな空気が肌にまとわりつく。


背後からは、今も遠く警察の怒号や怒鳴り声が木霊していた。


それでも、俺は一度も振り返らなかった。


もう、すべて終わったのだ。


俺たちはそのまま洞窟の光の先へ抜け――それぞれの日常へと戻っていった。


◇◇◇


――一年後。


トラックの荷台へ淡々と荷物を積み込んでいく業者たちの姿を、俺は少し離れたアパートの敷地から眺めていた。


次々と運び出されていくダンボール。


使い古した家具。


そして、俺のわずかな荷物。


この港町で過ごした一年分の生活の痕跡が、少しずつトラックの中へ消えていく。


「宮野さん……本当に行っちゃうんですか?」


少し切なそうな声をかけてきたのは久城だった。その隣には、相変わらず無表情な石井も立っている。


「もちろんですよ。引き際が肝心ですから」


俺は爽やかに笑ってみせた。


あの事件から一年。


この静かだった町は、劇的な変化を遂げた。


事件の直後、町を裏で牛耳っていた黒幕たちが次々と逮捕され、その異常な人身売買の実態は全国ニュースでも連日大々的に報じられた。 


そして――あの、誰もが思わず見入ってしまうほど美しく、決して「盗むことのできない宝」であった鍾乳洞。


あの場所も正式な手続きを経て整備され、今では有名な観光地として生まれ変わっていた。


かつて人間を道具のように売買していた陰惨な洞窟が、今では全国から家族連れや観光客が訪れる明るい場所になっている。


実に皮肉なものだ。あれほどの場所であっても、使う人間の腹積もりひとつでここまで姿を変えるのだから。


俺は久城へ一歩近づくと、口元に手を添えて内緒話のように小さな声で尋ねた。


「それで……あの時、どうしてあんなピンポイントな場所にいたんです?」


久城が不思議そうに首を傾げる。


「あの時?」


「私は淳に、盗撮用のカメラをつけるようお願いしていたはずですが。それがずっと気になっていまして」


久城は納得したように、にっこりと笑った。


「電話の後、話を聞いて……居ても立っても居られなくて。俺も何かしたかったんすよ」


少し照れくさそうに鼻の頭を掻く。


「宮野さんを助けたくて。それで、あの洞窟に裏から侵入したんす」


「……そうですか」


実に彼らしい、愚直で真っ直ぐな行動だった。


「あ、もちろん取引場所の特定自体は淳さんですよ!」


久城が慌てて付け加える。


「なるほど」


そういうことか。久城が俺のことを心から案じて動いてくれたからこそ、計算外の救出劇が成立したのだ。そして、淳と久城が裏で駆け回ってくれたおかげで、俺の腕に埋め込まれていた味気ないGPSなど役に立たずに済んだというわけだ。

俺は自分の左手首に視線を落とした。


そこには、GPSを強引に取り出した時に残った小さな傷痕がある。指先で愛おしむようにその傷をなぞった。


「助かったよ」


俺は久城の目を真っ直ぐ見つめた。


「俺一人だったら、あそこで終わりだった」


あの窮地。久城と淳が動いてくれなければ、俺は今頃どうなっていたか分からない。


だからこそ、この感謝だけは誤魔化さず、素直に伝えておきたかった。


「それと――」


俺は久城の隣に佇む石井へ、スッと視線を移す。


「石井さんと、これからも仲良くしてくださいね」


「え?」


久城が間の抜けた声を漏らした。俺は石井の反応を楽しみながら、淡々と続けた。 


「淳が狙ってましたよ、石井さんのこと」


「ええっ!? ちょ、宮野さん! どういう意味っすかそれ!?」 


パニックになってわあわあ騒ぎ始めた久城をあっさりと無視し、俺は石井に向き直る。


「石井さんも、本当にありがとうございました」


石井は静かに俺を見つめ、小さく頷いた。


「また、会う機会があればよろしくお願いします」


「こちらこそ。お達者で」


短く、淡泊なやり取りだった。 


別れを惜しむには、俺たちは少し長く危険を共にしすぎたのかもしれない。だから――俺はそれ以上、何も言わなかった。


業者が最後の段ボールを積み込み、トラックの扉をバタンと閉める。


俺は愛車の運転席へ乗り込んだ。窓を開けることもなく、静かにエンジンをかける。


車外では、久城がまだ顔を赤くして何か叫んでおり、石井がそれを呆れ顔で宥めていた。


俺はバックミラー越しに、そんな二人を一度だけ見つめる。

そして――アクセルを踏み込んだ。


ミラーの中で、騒がしい二人の姿がどんどん小さくなっていく。


やがて曲がり角を曲がると、その姿も完全に視界から消え去った。


俺は視線をまっすぐ前方の道路へと戻す。


――さて。


次は、どの街でどんな面白い仕事(スリル)をしようか。

最後まで拝読していただき、ありがとうございます。


今回のお話はここで一区切りとなりますが、宮野の物語はシリーズ化を考えています。


次回のお話の公開予定などは、Xにてお知らせしていく予定です。


ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。


もしよろしければ、最後に作品の評価をしていただけると嬉しいです。

皆さんの評価や感想が、今後の執筆の励みになります。

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