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宝を盗みに来た——この町では住人が帰宅後に消える  作者: アグ


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駆け引き

久城から送られてきた、謎の「十」という一文字を頭の中で反芻する。


十秒か、それとも十分か。


……十秒という選択肢は、思考の隅から排除していい。


たった十秒を稼ぐために、久城がわざわざリスクを侵してまでメッセージを送ってくるとは思えない。


そうなると、答えは「十分」だ。


無茶もいいところだな、と胸中で吐き捨てる。


取り引き相手とのやり取りを引き延ばし、この緊迫した状況下で十分間も海馬の意識をこちらに繋ぎ止めなければならない。その隙に久城が裏で何かを仕掛けるつもりなのだろう。

だとすれば、俺自身も腹を括って、相応の芝居を打つ必要がある。


「俺が海馬さんの下に着いたら、見逃してくれるってことか?」


努めて冷静に、探るような視線を向けると、海馬の顔が粘つくように緩んだ。


「ああ、そうだ。正直、手放すのは惜しいと思っているんだ。この状況でも狼狽えることなく、周りを観察している」


油断のならない男だ。こちらの視線や挙動をしっかりと観察している。なら、なおさら一つ一つの動作、言葉の選択に細心の注意を払い、疑念を差し挟む余地を消さなければならない。


俺は海馬の目を見つめ返したまま、あえて冷ややかなトーンで言葉を続けた。


「でも、俺はそこの奴と一緒になるのはごめんだがね」


視線の先には、一週間ほど前に今野を容赦なく殺害した男がいる。海馬に見限られ、今度は商品として売られようとしている男だ。この一週間で相当な痛めつけを受けたのか、薄汚れた服のまま力なく項垂れている。海馬は俺の視線を追い、その男を心底どうでもよさそうに一瞥した。


「そういうことなら、早く言ってくれればよかったのにな」


海馬は満足そうに口角を上げ、再び俺へと視線を戻す。


「俺の右腕として残るなら、どうだ?」


――誰が誰の右腕だ。虫唾が走る。


心の中で吐き散らしながらも、顔には一切出さず、探るような笑みを浮かべて見せた。


「それでは、職場体験ということで。これから行われる取り引きを見てからでも構わないか?」


俺の提案に、海馬は機嫌を良くしたように大きく頷いた。


「そうだな。気に入らなければ、そのまま次に売り飛ばしてもいいしな」


交渉の手応えを得た俺は、重々しい手錠のついた両腕を持ち上げ、海馬の目の前でジャラリと金属音を鳴らして見せた。


「それなら、これを外してくれ。こんなのをつけてたら、また商品と間違えられるだろ?」


「いいだろ。外してやれ」


海馬が軽々しく命じた直後、傍らに控えていた黒服スーツの男が制する声を上げた。


「危険です! もし、嘘をついてここから逃げるつもりかもしれません!」


……鋭いな。正解だ。


俺は顔色ひとつ変えず、その黒服へと緩やかに視線をスライドさせた。挑発的に眉をひそめてみせる。


「俺一人、抑えつけられないってことか? それなら、ここにいる奴ら全員、首にしたほうがいいですよ。海馬さん」


波の音だけが響き、一瞬で場の空気が凍りついた。


黒服たちの体に緊張が走る。これだけ言えば――


「いいから、さっさと外せ!」


案の定、海馬の怒号が静寂を破った。


……やはりな。この男の肥大化したプライドは扱いやすい。


自分の手下どもが「俺一人すら抑え込めない無能」だと他人に思われることを、海馬は何よりも嫌う。そこを突けば、手錠を外させることくらい容易い。


俺は誰にも気づかれないよう、口元をわずかに緩めた。


鍵を持った男が渋々歩み寄り、手錠の穴に鍵を差し込む。


ガチャリ、と重厚な金属音が響き、両腕を縛っていた冷たい拘束が解けた。


手首に残る赤い痕を軽く撫で、海馬の側へ歩み出そうとした――その瞬間。


ぐい、と衣服の裾が強く引っ張られた。


振り返ると、怯えた瞳で俺を見上げる子供の姿があった。小さな手が、すがるように俺の服を掴んで離さない。


「離せ!」


一瞬、思考を巡らせる。どう料理する?


俺はあえて海馬たちの視線を意識しながら、ごく自然な動作で子供の目線まで腰を落とした。そして、手荒に子供の胸ぐらを掴み引き寄せると、耳元へ急速に顔を寄せた。


「俺に合わせろ。怖いことはしない」


不意を突くような低い囁き。子供の瞳から波立つような不安が引き、小さな覚悟の光が宿ったのを確認する。


「……言うことを聞かない奴だな! 海馬さん、この子供の躾をしてくるんで、少し離れます」


俺が露骨にイラついた風を装って声を張ると、海馬は不審がる様子もなく、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべた。


「さっそくか?」


「紐でもいいから貸してください。そこの岩陰に縛りつけて、反省させます」


近くの手下に用意させたロープを受け取り、俺は子供の二の腕を強く掴んで連れていく。子供も話を合わせるように小さく抵抗してみせるが、そこに本気の力は入っていない。


俺たちはゴツゴツとした岩場の手前まで移動した。


俺はロープを子供の腕に複雑に巻きつけるフリをしながら、海馬たちに聞こえないよう囁いた。


「この石の裏に、優しいお兄さんがいる。俺から逃げるふりをして、後ろに回ってくれ」


子供は声を出さず、小さくコクリと頷いた。


次の瞬間、子供は俺の手を振り払うように走り出す。俺もまた、計算された足取りでそれを追いかけ、大きな岩の死角へと滑り込んだ。


岩の陰には、身を潜めた久城が座っていた。


久城は俺と目が合うと、軽やかに手を振ってみせる。


……呑気な顔をしやがって。言ってやりたい文句は山ほどある。だが、今は一刻を争う場面だ。


俺はわざと岩場に響き渡るような大声を張り上げた。


「逃げるな! このままここに縛りつけてやる!」


激しい怒声を叩きつけている最中、久城が体を寄せ、小声で素早く状況を伝えてくる。


「宮野さん。警察が来るまで、あともう少しかかります。淳さんから、十分くらいだと」


なるほど。やはりあの「十」は十分だったか。


俺は芝居を継続し、声を荒らげたまま久城に返す。


「大人しくしてろ!」


久城に手で小さく合図を送り、子供を捕まえようと格闘しているフリを演じる。


「分かった」


久城が短く答え、息を潜める。俺はそのまま岩陰の暗がりで言葉を続けた。


「警察が来ても、すぐには突入させるな。もう少しで取り引きの船が来る。それを引きつけて、逃げ場を無くしたタイミングで突入の合図を出せ」


久城は状況を瞬時に理解し、力強く頷いた。


俺は立ち上がり、海馬たちの視界に入る位置まで子供を粗暴に引っ張り出す。


「逃げるなと言ったろ!」


声を荒らげながら、近くの粗い岩肌にロープを巻きつけて固定するフリをする。そして、岩陰の久城だけに届く声量で小さく告げた。


「何かあったら、迷わず子供を抱えて走れ。この場から離れろ」


久城の気配が静かに頷いたのを感じ取った。


俺は膝をつき、最後にもう一度だけ子供の目を見た。


そこにはまだ、消えきらない不安の色が揺れている。俺はしゃがみ込み、その小さな目を真っ直ぐに見つめ返した。


「何かあっても、あの優しいお兄さんが絶対に助けてくれる。だから……もう少しだけ頑張れ」


俺がこの手で助けると明確に言葉にしたのは、これが最初で最後だった。


立ち上がり、表情を冷酷なそれへと一瞬で切り替えると、俺は海馬たちの待つ場所へと歩み戻る。海馬の前に立ち、吐き捨てるように言った。


「これだから子供は嫌いだ」


海馬は底意地の悪い笑みを浮かべ、俺をじろじろと見つめる。


「そっちが本性ってわけか? 牢屋では随分と甘やかしてたから、てっきり子供が好きなのかと思ってたが」


「好きでも嫌いでもない」


俺は欠片も感情を乗せず、淡々と答える。


「ただ、泣かれると耳障りで面倒だっただけだ」


「へぇ……」


海馬は何かを探るような、嫌な笑みを深めた。


「当たり前だ。誰が好きでこんな――」


言いかけた俺は、不自然にならない程度に言葉を切り、ゆっくりと意識を海へと向けた。


水平線の彼方に見えていた黒い影――取り引きの船が、波を押し分けていつの間にかすぐ目と鼻の先まで接近している。冷たい潮風が、焦燥感を煽るように頬を撫でて通り抜けていった。


俺はそれ以上、何も言わなかった。

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