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宝を盗みに来た——この町では住人が帰宅後に消える  作者: アグ


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町の宝

錆びついたドアが、ギィ……と不快な金属音を立てて開いた。


海馬が先頭を切って足を踏み入れ、その後ろを黒スーツの部下たちが無言で続いていく。


俺は繋いだ子供の手を少しだけ強めに握り直し、彼らの後を追った。


人ひとりがやっと通れるほどの、狭い石壁の通路。


壁面には湿った水滴がびっしりと張りつき、足元には冷たい水たまりができている。靴底が水を踏みつけるたび、ぴちゃり、ぴちゃりと不気味な足音が洞窟内に反響した。


やがて、通路の先に湿気で錆びついた鉄製の階段が現れた。


「また、階段か……」


一体、どこまで深く潜らせる気だ。


こんな洞窟の奥深くに追い詰めて、何の取り引きをするつもりなのか。逃げ場のない狭隘地など、どう考えても拠点としての立地がいいとは思えない。


俺は内心の不審感を押し殺し、黙って階段を下りていく。


すると、重苦しい静寂を破るように、遠くから打ち寄せる波の音が聞こえてきた。


「……海?」


一段下りるたびに、その重低音は地鳴りのように大きくなっていく。やがて、潮の匂いがツンと鼻腔をくすぐった。

階段を下りきる。


その先に広がっていたのは、俺の矮小な想像を遥かに超えた巨大な大空間だった。


「…………」


思わず、足が止まる。


目の前には、吸い込まれそうなほど真っ青な海が広がっていた。


洞窟の壁が大きく切り取られ、外の海域とそのまま直結しているのだ。波が鍾乳洞の中までゆるやかに滑り込み、青い水面を静かに揺らしていた。


岩の隙間から差し込んだ自然光を受けて、水面がきらきらと眩い光を放つ。その揺らめく光線が天井から伸びる鍾乳石に反射し、洞窟全体を神秘的な青色に染め上げていた。


まるで、巨大なサファイアの内側に迷い込んだかのような錯覚を覚える。


視線を足元に下げる。


濡れた足元には、青く透き通った小石が幾重にも転がっていた。水滴を纏った石は光を弾き、一つ一つがカットされた宝石のように輝いている。


俺はかがみ込み、そのうちの一つを拾い上げた。指先に伝わる冷たい感触。


「……サファイアか」


原石ゆえに小粒ではある。だが、市場に流せば確実に値がつく本物だ。


その青い輝きに目を奪われたまま、俺はこの寂れた町に古くから伝わる怪しげな伝承を思い出していた。


――この町には、誰にも持ち出せない宝がある。


目の前にどこまでも広がる青い海。


洞窟全体を満たす、幻想的な青い光。


そして、足元に惜しげもなく散らばるサファイアの原石。

伝承に語られていた「誰にも持ち出せない宝」とは、この情景そのものを指していたのかもしれない。


ふと、海とは反対側の洞窟奥へ視線を向ける。


そこには、人の手によってしっかりと舗装され、明かりが灯された道が続いていた。


「……あっちが、町の人間が使う正規の道か」


なるほど。腑に落ちた。


この洞窟は、地元の人間なら日常的に行き来できる場所なのだろう。ただ、観光地として外部に公開されていないだけだ。町民にとっては身近な秘密基地のような場所でも、外から来た人間には存在すら知られていない。


そして、俺たちが今通ってきたのはその道とは真逆。地下施設からこの海へ直接繋がる、隠された裏道だった。


俺は、これまで得たバラバラの情報を頭の中で急速につなぎ合わせていく。


地元の漁師には、この海域で漁をするなと脅しをかけて遠ざけている。人の目が極端に少ない海域。町の人間しか立ち入らない裏洞窟。そして、外洋へ直接繋がる船着き場。


「……そういうことか」


ここなら、大型の船を使って人間を誰にも気づかれずに運び出せる。


洞窟の中に船を引き入れれば、上空や沿岸からの監視で発見されるリスクはゼロだ。商品を奥から運び込み、取引相手と面と向かってやり取りする。取引が終わって船が去ってしまえば、証拠も痕跡も一切残らない。



俺はもう一度、海を見つめた。


さっきまで息をのむほど美しいと思っていた景色が、今は胸がむかつくほど禍々しく見える。


この息をのむような美しい場所で、生きた人間が売られている。


目の前に広がる海の向こうから黒い船がやってきて、ここで人間と金銭が汚らしく交換されるのだ。


足元には輝くサファイア。目の前には、神秘的な青い海。


そして、そのすぐ傍らで、人間がただの「商品」として扱われている。


「……宝の場所で、人間まで売るのか」


抑えきれない嫌悪感が、呟きとなって漏れた。


これほど美しく荘厳な場所なのに。ここで行われている営みは、人間の欲望の底なしの醜悪さそのものだ。


海面がゆったりと揺れる。洞窟に反響する波の音だけが、ここで何が行われようと知ったことではないと言いたげに、静かに響いていた。


俺は手の中の原石を見つめ、小さくため息をつく。


今ならはっきりと理解できる。


宝とは、足元に落ちている小さな石ころのことではない。この洞窟、この海、この景観というシステムそのものが、この悪徳な町にとっての「持ち出せない宝」なのだ。


俺は手の中の原石をポケットに滑り込ませた。


石ころ一つなら盗み出すことはできる。だが――この場所そのものを泥棒の手で持ち出すことは不可能だ。


「……これは、盗み出すのは無理だな」


ぼやくように呟いた俺の声を聞いていたのか、前を歩いていた海馬が下品に口元を歪めてニヤリと笑った。


「なんだ、宮野さんは伝承を聞いて、宝を盗みに来たのか?」


俺は思考を切り替え、海馬に視線を向ける。


「興味本位ですよ。都会での小綺麗な泥棒稼業にも飽きが来ましてね。おかげで、死と隣り合わせの刺激的で楽しい旅になってますよ」


俺は薄笑いを浮かべ、挑発するようにニヤリと笑い返した。


海馬は腹の虫が納まらないのか、舌打ちをひとつ響かせる。


俺は平静を装いながら、鍾乳洞の中を素早く観察する。


物陰になる背の高い鍾乳石や岩の亀裂は意外と多い。これなら身を隠すポイントには困らないはずだ。久城の奴、指示通り潜入用カメラはうまく仕掛けられているだろうか……。


「お前らの迎えが来たようだな」


海馬が海を指差したその時、俺の足元にカツンと硬い何かが当たった。


「……なんだ?」


続いて、カチャンと小さな小石の跳ねる音が響く。



俺の視線は、自然と小石が転がってきた岩陰の方へ向いた。

鍾乳洞の大きな影から、すっと手が現れる。そして――見慣れた顔がひょっこりと覗いた。


久城!


なんで、あいつがこんな最前線に潜り込んでいるんだ……!


この緊迫した現場で、お前の出る幕なんてどこにもないだろうが!


久城は腕っぷしが強いわけでも、特殊部隊のような戦闘能力があるわけでもない。相手は重武装の警備体制。しかもこちらには幼い子供という人質までいるのだ。一体どうするつもりなんだ。


「どうした? 何か落ちていたのか?」


異変を察知したのか、隣に立っていた黒スーツの男が怪訝そうに尋ねてくる。


「いや、綺麗だと思ってな。あれだ、見納めってやつだ」


適当な軽口で誤魔化しながら、俺はあからさまに久城の方を見ないよう視線を逸らした。


すると岩陰の久城が、こちらに向かって必死に合図を出してきた。両手を胸の前で少しずつ横に広げていく。


くそ。こんな土壇場になる前に、手信号の合図くらい事前に取り決めておけばよかった。


久城は両手を「くの字」にして、口を開け閉めするような動きを数回繰り返す。そして、再び両手を大きく広げた。


まさか……何かでかい嘘でも吐いて、時間稼ぎでもしろっていうのか?


だが船はもう、すぐ目と鼻の先まで来ているんだぞ。


くそ、どうしようもない奴だ。


「最後に一つ、訊いてもいいか?」


俺は海馬に向かって声を張った。海馬が鬱陶しそうに振り向く。


「なんだ? 土壇場の命乞いか? 今さら許しを乞うなら、部下にしてやらんこともないぞ?」


「悪くない提案ですね」


俺はあえて緊張を解いたふりをして両手を軽く広げてみせた。諦めきれていない愚者を演じるのは時間稼ぎの鉄板だ。


海馬のようなプライドの高い悪党は、敗者の無駄なあがきを聞いて優越感に浸るのが大好きだからな。


海馬の注意が俺に惹きつけられているスキに、俺は自然な動作で久城の方へ一瞬だけ視線を飛ばす。


久城は岩陰から片手を出し、人差し指と親指で円を作っていた。『10』の形だ。 


……10?


10分稼げという意味か? それともまさか、あと10秒で何か仕掛けるから耐えろという意味か!?


頼むから単位まで正確に伝えてくれ! こんな極限状態の場面で『10分引き延ばせ』なのか『10秒後に突入する』なのか分からない謎の暗号を送ってくるな!


もし「10秒」なら、俺が悠長に命乞いの芝居をしている間にカウントダウンが終わって爆破か何かに巻き込まれる。


逆に「10分」なら、俺はこの凶悪な男相手に機嫌を損ねず10分間も決死のフリートークを繰り広げなきゃならないんだぞ。


(……おい久城、頼むから頼むぞ……!)


背筋を冷や汗が伝うのを必死で押し殺し、俺は海馬に向かって意地の悪い笑みを浮かべてみせた。

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