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宝を盗みに来た——この町では住人が帰宅後に消える  作者: アグ


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崖の上の謎

海の匂いが遠のき、都市特有の蒸せ返る熱気と濡れたアスファルトの匂いが、刺さるように五感を刺激する。


私は、宮野さんが姿を消してからすぐにあの暗い洞窟へと引き返し、泥に塗れながら証拠の書類を掘り起こした。これで救える。そう信じて隣町の警察署へ駆け込んだのに、突きつけた真実はすげなく弾き返された。


「石井さん、困ります。何回来てもらっても、提示されているのは行方不明届だけですし、私どももこれ以上は……」


「だから言ってるじゃないですか! この資料を、一枚でもいいから目を通してください! 見れば分かるんです!」


必死に差し出す私の手元を、警察官は底意地の悪い目で見下ろし、面倒そうにファイルへ視線を落とした。


「どうせこれ、あなたが自分で作ったんでしょ。虚偽の資料で警察を動かそうとしないでください」


どうして……。


手元で震えるファイルの中身すら、開いてくれもしないなんて。


絶望で視界が歪む。私は震える手でファイルをカバンに押し込もうとした時、ポケットの隅に挟まっていた一枚のメモ用紙に目が留まった。ぐしゃぐしゃに丸まった紙切れを取り出し、弾かれるように警察署の自動ドアをくぐり抜ける。


容赦なく降り注ぐ雨に打たれながら、濡れて破れかけたメモを丁寧に開く。


そこに書かれていたのは、一筋の希望のような電話番号。

私はハッと息を呑み、以前の会話を記憶の底から手繰り寄せた。


雨で濡れて滑る画面を焦る指で叩き、メモの番号へかける。


耳元で、規則的で無機質なコール音が幾度となく響き渡る。


けれど、いくら待っても出る気配がない。コール音だけが虚しく雨音に溶けていく。


みんな、どうして……。


ここに、こんなにも確かな証拠があるのに。


雨の冷たさに体温を奪われながら、私は胸が破れそうなほど湿った空気を大きく吸い込んでは肺に押し込んだ。逃げ出しそうな心を強引に押し殺し、濡れた靴底で強く地面を蹴って、再び警察署のロビーへと引き返す。


玄関の入り口を横切ろうとする担当警官の背中が見えた。私はなりふり構わず駆け寄り、その制服の肩を強く掴んで引き止める。


「お願いです! お願いですから、証拠の資料だけでも見てください!」


喉を焼き切るような切実な声で叫ぶ。


お願い。誰か一人でもいいから、耳を傾けて。


警官は鬱陶しそうに肩を揺すって私の手を振り払うと、深いため息を吐いた。


「しつこいですよ! 昨日も一昨日も言いましたがね、客観的な根拠がないのに警察は動けないんですよ!」


「だから! これがその根拠なんです!」


雨で濡れ鼠になったファイルから紙を引き抜き、警官の胸元に突きつける。


「そんな湿気た紙切れ寄越されても困るんだよ」


警官は資料を取ろうともせず、汚いものでも見つめるように手を引いた。


なんで……。 


ここまで、ここまで酷いなんて。


悔しさと不条理さに、目から溢れ出そうになる涙を必死で堪える。


その時、頭上から突然、巨大な影が覆い被さってきた。


「姉ちゃん、それだとダメだって」 


頭上から降ってきたのは、拍子抜けするほど落ち着いた、どこか明るい声だった。


振り向くとそこには、濡れた街の景観に全く不釣り合いなアロハシャツを着た、見上げるほど背の高い男が立っていた。


「だ、誰……ですか」


男性が視線を下げ、私の顔を覗き込むと、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。 


「それより、美人な顔が台無しだ。雨にも濡れて」


唐突にかけられた見知らぬ男の優しい言葉に、さっきまで私の心の中で渦を巻いていたどす黒い不安が、不思議と少しずつ晴れていくのを感じた。 


「紹介してなかったな。俺は宮野の友人で、いま久城を引き取ってる。関原淳だ」


男――関原さんはそう軽く自己紹介すると、私と警察官の僅かな隙間にぬっと割って入った。


「姉ちゃん、こういう連中に直談判するにはさ、ちゃんと『やり方』ってのがあるんだよ」


関原淳と名乗った男は、その圧倒的な背幅と体格を使って警官を威圧するように一歩踏み込んだ。警官が引きつった顔で後退ろうとした瞬間、関原さんはその肩に馴々しく腕を回し、耳元へと顔を寄せた。


関原さんが何を囁いたのかは聞こえない。


だが、次の瞬間、警官の顔からみるみる血の気が引き、泥のような土気色へと変わっていくのが目に見えた。


「わ、わかったから! それだけは……! 今、今すぐ捜査を開始するので!」


さっきまでの横柄な態度が一変し、警官は震える手で私の手から資料を引ったくるように受け取ると、奥の執務室へと逃げるように走り去った。


私は何が起きたのか全く理解できず、開いた口が塞がらないまま立ち尽くすしかなかった。


「関原さん……今、警官になにを……」


「うん? そうだなぁ。『汚職って本当に怖いですね』って話」


関原さんは悪戯が成功した少年のように、ニヤリと不敵に笑ってみせた。


そこからは、これまでの停滞が嘘だったかのように、怒涛の勢いに乗って事が動き出し始めた。


◇◇◇◇


時間は進み、三日後。


カビと潮風の匂いが混ざり合う、暗く急な下り階段。


照明の類は一切なく、海馬の部下たちが手にした懐中電灯の細い光だけが、湿った石段を頼りなく照らしていく。


手錠をかけられていない分だけ両手が自由な子供は、恐怖に怯えながら俺の服の裾をぎゅっと強く掴み、必死に小さな足を動かしていた。


「ここは、どこに繋がってるんだ?」


俺は前を行く海馬の背中に問いかける。


「行けば分かる」


返ってきたのは、相変わらず冷淡で短い返答だけだった。

永遠に続くかと思われた暗闇の階段の先に、かすかな光の輪郭が見えてくる。


突き当たりには、赤錆の浮いた重厚な鉄の扉が立ちはだかっていた。


海馬が懐から取り出した重厚な鍵を差し込み、解錠の音が響く。ギギギと嫌な音を立てて扉が開いた。


その瞬間、強烈な潮風が吹き抜け、ドアの隙間から漏れ出た暴力的なまでの太陽光が視界を白く染めた。


外に……繋がってるのか。


扉が完全に開ききる。


眩しさに目を細めた視界の先に広がっていたのは、どこまでも透明で真っ青な海だった。


そして俺たちの目の前には、断崖絶壁の淵から突き出すように架けられた、無骨な鉄筋の橋。


……そういうことか。


「よく考えたな。崖にあるこの橋は一体何のために作られたのかと悩んでいたが……『商品』を秘密裏に運ぶための専用の道だったわけか」


俺の言葉を聞き、海馬は愉悦に顔を歪めた。


「この橋のことを知っていたのか」


海馬が、どこか不愉快そうに俺を見下ろしてくる。


「ああ。崖にこんな橋があるとは知っていたが、わざわざこんな場所に架けた意味が分からなかったんだ。船が近くを通れば、海から丸見えだろう?」


「世の中、便利な物は多いからな。それにしても、こんな大掛かりな仕掛けで、よく今まで警察に見つからなかったもんだ」


俺が冷ややかに皮肉を吐き捨てると、海馬はフンと鼻を鳴らし、再び足を進めた。


後ろから部下たちに背中を突かれ、俺たちも強制的に歩を進めさせられる。


「ここの海域はな、端から誰も来られないように手を打ってるんだよ。地元の漁師どもには『この付近で漁をしたらどうなるか分かってるな』と脅してある」


つまり、地域ぐるみの口封じか。


「それで、わざわざ崖にした理由は?」


俺の問いかけに、海馬が不意に足を止め、振り向いて俺を睨みつけた。


「宮野さんみたいな賢い奴が、隙をついて逃げられないようにだよ」


剥き出しの敵意を込めて海馬が言い放つ。


俺は周囲の部下たちや橋の構造に視線を走らせた。


確かに、こいつらより強い奴なんて世の中いくらでもいる。


そして、見知らぬ外国へ売り飛ばされるくらいなら、海へ飛び降りて死んだ方がマシだと考える人間だって絶対にいるはずだ。


俺は足元から遥か下、荒波が砕ける断崖絶壁に架かる鉄筋の橋を改めて見渡した。


遠くから見下ろした時よりも手すりは遥かに高く、大人の胸元を優に超えている。さらに、連行されている人々の手錠からは太い紐が伸び、手すりのパイプにガッチリと通されていた。


これでは、どんなに身体能力が高かろうと、手すりを乗り越えて飛び降りることなど物理的に不可能だ。


なるほど……子供にわざわざ手錠をつけなかった理由もこれで納得がいった。逃げようにも、手すりの高さだけで幼い子供の身長を超えているのだから。


「なるほどな」


海馬の手中に落ち、これまで散らばっていた不自然な謎のピースが、最悪な形で一つの線となって繋がっていく。


「お前達の行き先は、あと少しで決まる。外国で売り飛ばされる前に、最後に言い残すことはあるか?」


海馬が嗤う。


その言葉を聞いた途端、一緒に捕まっている連中が耐えきれなくなり、「頼む助けてくれ!」「金なら払うから!」と泣き叫び、惨めに命乞いを始めた。俺のすぐ傍にいた子供も、恐怖のあまりしゃくりあげるように泣き出してしまう。


俺は冷めた心地で海馬を見つめ返し、言葉を返した。


「いや……それより、こんな場所でそんなに騒がれて困らないのか? 仮にもここは外だぞ」


潮騒の音に混じって、捕らわれた者たちの悲鳴が木霊している。


「海の音で分からないだろ」


海馬は吐き捨てるように言うと、再び前を向いて歩き出した。


部下たちは泣き叫ぶ人々を容赦なく蹴り飛ばし、無理やり前へ進ませる。その澱みのない手慣れた手つきには、感心すら覚えるほどだった。


橋を渡りきったその先に、またしても一つ、深緑色に塗装された分厚く重い鉄の扉が立ちはだかっていた。


海馬が腰の鍵をガチャリと鳴らし、ドアをゆっくりと押し開けていく。


まるで、帰路のない地獄の底へと直接繋がる扉のように、闇が重々しく口を開けた。

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