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宝を盗みに来た——この町では住人が帰宅後に消える  作者: アグ


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牢屋の小さな声

鉄格子の中に閉じ込められた俺は、硬い薄巾の布団に寝転がり、ぼんやりと天井を仰いでいた。


ただ休んでいるわけじゃない。体に余計な力を入れず、視線と耳だけで周囲の情報を拾い上げる。


防犯カメラの位置と画角、巡回する見張りの歩幅と足音の間隔。そして、この暗い地下室に囚われている人間の数。


一人ずつ、静かに頭の中で照合していく。


その中に――見覚えのある顔があった。


関わりたくない。直感がそう告げ、俺はそっと視線を外した。


だが、向こうはそうもいかないらしい。カサリと床を擦る音とともに、焦燥の混じった声が何度も飛んでくる。


「おい! 聞こえてるんだろ! 返事をしろよ!」


あまりにしつこい呼びかけに、俺は鬱陶しさを隠さずため息をつき、億劫そうに上半身を起こした。


「うるさい。黙れ」


低く冷めた声を出すと、男のすぐ隣にいた小さな影がビクリと肩を揺らした。


冷気が胸を刺す。……クソ。


まだ幼い。せいぜい小学生くらいか。こんな薄汚れた場所に放り込まれ、怯えきった目でこちらを見ている。俺は意識して、その子供から視線を逸らした。


「なあ、頼むから聞いてくれ! 俺のこと、分かってるんだろ!?」


男が鉄格子にへばりつき、必死の形相で訴えかけてくる。そいつの落ち窪んだ目を見つめ返す。


「知ってる」


短く答えると、男の引きつった顔にわずかな安堵の色が浮かんだ。だが、俺は間髪入れずに突き放す。


「だから、なんだ」


「頼む、見捨てないでくれ!」


言葉の端々に滲む見苦しさに嫌気がさし、俺は布団の上であぐらをかき直した。頭を掻きながら、冷めた目で男を観察する。


「それで? お前はどうして捕まった。……いや、よく殺されなかったな」


斜め向かいの牢にいるこの男は、今野を殺した海馬の犬だ。

その言葉が逆鱗に触れたのか、男はガチャンと鉄格子を激しく揺らし、血走った目で声を荒らげた。


「ふざけるな! お前の言った通りに動いたから、こんなことになったんだぞ!」


「勘弁してくれよ」


あきれ果てて吐き捨てる。


「お前が今まで重ねてきた悪行を思えば、生きてるだけまだマシだろ。それでも……久城を売らなかったのは意外だったがな」


男の顔が悔しさと恐怖で歪む。


「それは……失敗したって海馬さんに伝えたら、その場ですぐ殺されるのが分かってたからだよ!」


裏返った声が地下室の壁に反響する。


「今野だ! あいつがあんなに海馬さんに気に入られてるなんて知らなかったんだ! あいつを殺したのがマズかったなんて……俺は、俺は何も知らなかったんだよ!」


男の必死な言い訳を聞きながら、俺は胸の中で小さく眉をひそめた。


これはまた、予想外の情報だ。


今野もこいつと同程度の、いつでも使い捨てられるただの駒だと思っていた。だが違ったらしい。海馬にとって、今野は代わりの利かない「特別な人間」だったのか。


新しい情報を頭の引き出しに収めながらも、俺の意識はどうしても逸れてしまう。


男の背後、牢の隅でボロ切れのように丸まり、震えている子供の姿へ。


……クソ。また厄介な毒が胸に広がる。


「それなら、良かったじゃないか」


子供から無理やり視線を外し、男へ平然と言い放つ。


「お前は何もしなくても助かる。俺と同じタイミングで競りにかけられ、どこかへ売られるならな」


男の表情に一瞬、救いを求めるような明るさが戻った。


「ほ、本当か!?」


「嘘は言ってない」


俺は淡々と、氷のように冷たい言葉を重ねる。


「ただ――俺より先に売り飛ばされたら、助からないがな」


一瞬で男の顔から血の気が引いた。


あらためて周囲を見渡す。


この地下牢に閉じ閉じ込められているのは、女が二人。子供が一人。そして、今野を殺した男が一人。


余計なことに首を突っ込むつもりはさらさらなかった。おとなしくここで時間を潰し、外の連中が動くのを待つ。ただそれだけのハズだった。


だが、あの子供の存在だけは計算外だ。


また、拾うことになるのか。


久城の生意気な顔が脳裏をよぎり、続いて石井のやつれ切った表情が浮かぶ。


……もう、懲りただろ。自分の立ち位置くらい弁えろ。


心の中で自嘲気味に呟いたその時、廊下の奥から足音が近づいてきた。


「失礼します」


現れたのは佐藤だった。その両手には、牢の人数分の質素な食事を載せた大きな盆がある。


「お待たせいたしました。皆様の分です」


佐藤は手際よく、一人ずつ食事を配っていく。そして、俺の牢の前で足を止めた。鍵を静かに開け、中へ盆を差し入れる。


その一瞬の隙を突き、俺は極限まで声を落とした。


「お前、ここから逃げろ」


佐藤の手がぴたりと止まる。


「この屋敷は、もうすぐ終わる」


「……どういう意味ですか、それは」


「逃げるなら、俺の家にいろ。すべて片付いたら、俺が引き取ってやる」


佐藤の目が見開かれた。


「一体、何を考えて……」


「そろそろ行け。カメラに見られる」


俺は天井の隅で赤いランプを明滅させる防犯カメラへ視線を走らせ、さらに音量を下げた。


「それと……あの子供を俺の牢に入れろ」


佐藤は一瞬だけ俺の顔を凝視した。それから、静かに牢の扉を閉めながら、くすりと小さく微笑んだ。


「まるで、ここをご自分のお城とでもおっしゃっているようですね」


「そう思ってもらって構わない」


ガチャリと鍵が回る。


「子供を一人移動させる程度でしたら、問題ないかと思います」


佐藤はそう言い残すと、何事もなかったかのように次の牢へと向かっていった。


……やっぱり、こいつは甘すぎる。


食事を配る時から見ていれば分かる。子供の前を通る時だけ、わざと歩幅を緩めていた。


『寒くないか?』


『お腹は空いていないか?』


そんな言葉を優しくかけながら、怪我がないか全身を素早く確認している。あくまで自然に、見張りに怪しまれないように。


こんな仕事、向いているはずがない。


◇


佐藤が食事を配り終えて立ち去り、数時間が経過した。


地下室の重苦しい静寂を破り、再び足音が近づいてくる。食器の回収に来たのだろう。


佐藤は手前の牢から順番に皿を下げていく。


だが――俺と子供の牢だけは、意図的に後回しにされた。


案の定だ。佐藤は子供の牢の前で足を止めると、腰の鍵束を鳴らした。


カチャリ、と重い金属音が響き、扉が開く。


「君、立ってください」


子供は肩を跳ね上がらせたが、壁の隅に縮こまったままピクリとも動かない。無理もない。佐藤は背が高く、体格もいい。こんな暗闇の中で大人に見下ろされれば、子供でなくとも恐怖に竦む。 


「大丈夫ですよ。こちらへ」


佐藤はゆっくりと腰を落とし、刺激しないよう穏やかに手を伸ばした。それでも子供は身をすくめるだけだ。


すると佐藤は、まるで割れ物を扱うかのような手つきで、子供を優しく抱き上げた。小さな体が、佐藤の大きな腕の中にすっぽりと収まる。 


そのまま俺の牢へ歩み寄ると、静かに扉を開け、子供を床へそっと下ろした。


「ここに入ってくださいね」


子供を俺のすぐ隣に座らせる。俺は佐藤をじっと見上げた。


「よく、上の許可が下りましたね」


「この程度、どうとでもなります」


佐藤は何事もなかったような顔で答え、子供の無事を確認してから食器をまとめ、牢の外へ出て行った。


ガチャン。


重厚な鉄の扉が閉ざされる。


俺は自分の隣で、息を殺して体を小さく丸めている子供を見下ろした。


……さて。どうしたものか。


怯えきった子供の扱いなんて、分かるはずがない。今まで誰かの親になったこともなければ、面倒を見た経験もない。俺がスーツを着て相手にしてきたのは、自社の利益や実績のことばかり気にするごく普通の人間たちだ。飛び込みの営業も、無茶な要求を飲む交渉も、すべてそうだった。


「……とりあえず、そのままにしておけ」


俺は牢の隅に畳まれた、薄っぺらい布団を引き寄せた。そして子供の小さな体を、そっとその上に乗せる。


声はかけない。慰めるような器用な真似もできない。


だが、ただ一人で怯え、震えている子供をそのまま放っておくこともできなかった。俺は薄い掛け布団を引き揚げ、子供の頭まで優しく被せた。厳しい現実から、少しでも遮断するように。


その時だった。


「おい! なんで子供だけ助けるんだよ!」


斜め向かいの牢から、今野を殺した男が鉄格子を激しく叩いた。汚い叫び声が狭い地下室に跳ね返る。


布団の中で、子供の体がビクッと大きく跳ねた。


……鬱陶しいな。


俺は布団越しに男を鋭く睨みつけた。


「少し黙れ」


「何が黙れだ! お前、その子供を助けるために同じ檻に入れたんだろ! そうに決まってる!」


男が鉄格子の隙間から指をさし、唾を飛ばす。


「いつ俺が、子供を助けるなんて言った?」


「同じ檻に入れるよう頼んでただろ! 嘘をつくな!」


「ただ入れた、それだけだ」


俺は子供へ視線を落とす。


「助けるなんて、一言も言っていない」


自分でも分かっている。これはただの自己満足だ。目の前で怯える子供を無視しきれなかっただけの、中途半端な偽善だ。


「嘘つけ! お前なら何とかできるんだろ!? 何か汚い手を使って脱出する気なんだろ!」


「……だから、お前は捨て駒なんだよ」


「あ?」


「俺は何もしない。ここで大人しく売り飛ばされるのを待つだけだ」


紛れもない事実だった。仕掛けも打たないし、誰かを脅迫して脱走する気もない。そういった役割はすべて、外にいる人間に任せてある。


今の俺は、ただの『仕掛けられた餌』に過ぎない。


「じゃあ、なんでそんなに余裕なんだよ!」


男が狂ったように鉄格子を揺らす。


「顔色ひとつ変えずに、焦りも不安もない! おかしいだろ、そんなの!」


男の叫びを聞きながら、俺は唇の端をゆっくりと吊り上げた。


「当たり前だろ……」


熱いものが、胸の奥底からドロリと湧き上がってくる。


「俺は今、心底楽しんでるんだから」


男の表情が硬直した。


「これから見知らぬ奴に売られるかもしれない。あるいは――このままあっけなく殺されるかもしれない」


言葉を口にするたび、血液が沸騰するように体が熱を帯びる。口元が、抑えきれない愉悦で歪んでいくのが自分でも分かった。


「こんなに面白い状況……楽しまない方がおかしいだろ」


男の顔からみるみる血の気が引いていった。鉄格子を固く握りしめていた手が、力無く離れる。


一歩、また一歩。


男は恐ろしい化け物でも見る目つきで後ずさり、やがて力尽きたように尻餅をついた。


「お前……正気じゃない……狂ってる……」


「俺が狂ってる?」


俺は喉を鳴らして笑った。


「なら、お前も同類だ」


逃げようとする男の目を、逃さず真っ直ぐに見据える。


「ナイフで人を切り刻むの、本当は大好きだろ?」


男の時が止まったように凍りついた。


「俺と何が違う?」


「ち、違う……俺はそんな……! 脅されてやってたんだ!」


男の声が悲鳴のように裏返る。


脅されて? 俺は眉をひそめた。やはり海馬に何か弱みでも握られているのか。


「脅されてやったのか?」


「違う……違うんだ!」


男は自分の頭を強く抱え込み、逃げるように布団の中へ潜り込んで行った。


……情けない男だ。


俺はそれ以上関わるのをやめ、視線を外した。これで当分は静かになるだろう。


俺は布団の方へ向き直った。布の境界線の中で、小さな体がまだ微かに震えている。


その隣にそっと腰を下ろした。


どう接すればいいのか、正解なんて分からない。それでも俺は、布団の上からゆっくりと背中をさすり続けた。


すると、布の隙間から押し殺した泣き声が漏れ聞こえてきた。


「お兄さん……たすけて……こわいよ……」


『助ける』


そんな言葉なら、口先だけでいくらでも言えた。


「大丈夫だ」「俺が助けてやる」「安心しろ」


その場を取り繕うための嘘なら、しがないサラリーマンとして自社製品を売り込む中で、いくらでも口にしてきた。


――なのに。


俺はその無責任な言葉を、どうしても口にすることができなかった。


「怖いですか?」


喉から出たのは、営業先で愛想笑いを浮かべながら話す時の、あの薄っぺらく整えられた声だった。


子供がゆっくりと布団から顔を出した。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、俺の服の裾を掴む。


「助けて……おうちに、かえりたい……」


俺は何も言えなかった。喉に固い塊が支えて、言葉が出てこない。


大丈夫も、助けるも、家に帰してやるも、どれも簡単な単語なのに――今の俺には、あまりに重すぎた。


真っ直ぐな子供の瞳で見つめられると、自分がいかに卑劣で、汚れた人間であるかを突きつけられているような気がした。


「……私も、帰りたいですね」


ぽつりと漏らした言葉に、子供は布団から身を起こすと、小さな拳を固めて俺の胸をポカポカと叩いた。


「どうして……っ、助けるって言ってくれないの!? お兄ちゃんの嘘つき!」


俺はただ、叩かれるがままになっていた。


この子が物語に求めるような、格好いいヒーローに――俺は絶対になれない。


結局、泣き叫び、怒り、やがて泣き疲れて眠りに落ちるまで、俺は一言も「任せろ」と言ってやれなかった。


できたことといえば、子供が規則正しい寝息を立てるまで、ただ無言で背中を撫で続けることだけだった。


……俺はただのコソ泥だ。


他人の物を盗み、危険な場所に好んで首を突っ込み、自分の命すら暇つぶしの道具みたいに扱っている。


結局――俺みたいな人間は、救いようのないクズなんだろう。


冷たい壁に背中を預ける。


膝元で泥のように眠る子供を一度だけ見下ろし、それから視線を天井へと戻した。


地下室の夜が、静かに深まっていく。


俺は朝が来るまで一瞬も目を閉じず、ただ暗闇の中で天井を見つめ続けていた。

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