洞窟の奥には?
小さな事務所に、冷めた空気が落ちていた。
古いエアコンが低く唸り、壁の時計が一定のリズムを刻んでいる。
三人分の息遣いだけが、やけに大きい。
石井は目を伏せたまま、わずかに顎を動かす。
「俺が話すんすか?」
間の抜けた声が、静寂を割った。
石井の指がすっと立つ。
口元に当てられたそれは、無言の制止だった。
「静かにしてくださいって言ったばかりですよ」
俺は、ゆっくりと久城を睨む。
「……分かったよ。俺が話すんで、ちゃんと聞いてくださいよ」
久城が身を乗り出す。
椅子がわずかに軋んだ。
「宮野さんの家――」
「生贄にされてるって」
一瞬、思考が止まる。
“生贄”
その言葉だけが、場に残った。
……くだらない。
だが、妙だ。
「そんな話、信じるわけないですよ」
背もたれに体を預ける。
石井が小さく息を吐く。
「あそこの家、何人も入れ替わってるんですよ」
――貸家だ。珍しくもない。
「みんな、退居が不自然なんです」
石井はテーブルに視線を落としたまま続ける。
「行方不明。……それに、自殺」
情報としては、繋がる。
だが、整いすぎている。
「たまたまじゃないのか?」
声は、崩れていない。
「それが……あの貸家、地主の持ち家で。来る人、みんな宮野さんみたいに外からで」
外から来た人間ばかり。
偶然にしては、偏りすぎている。
秒針の音だけが、規則正しく響く。
――ガチャ。
重いドアが開いた。
それぞれが無言のまま席に戻る。
椅子の脚が、床を擦った。
「おはよう……」
入ってきた今野が、足を止める。
視線が、順にこちらをなぞった。
「なんだ、この空気。……何の話だ?」
俺はパソコンを指で示す。
「いえ、石井さんに。この一帯、営業で回ったことあるか聞いてただけですよ」
「そこか? そこはなぁ……」
今野の声が、わずかに濁る。
「今野さん、大丈夫っすよ。さっき説明したんで。地主の敷地なら、行く必要ないって」
久城の軽い声。
今野が、ゆっくりと笑みを浮かべる。
「……そうか。余計なことまで話したな」
視線が、順にこちらをなぞる。
「この空気が、よく分かる」
俺は、久城を一瞥する。
石井はすでに画面に視線を落とし、キーボードを叩いている。
やけに音が速い。
「いいじゃないっすかぁ。みんな知ってる話ですよ」
「今野さん。話は触りしか聞いてないので、大丈夫ですよ」
「宮野さん、すみません。うちの者が、不安を煽るようなことを」
今野の視線が、わずかに細くなる。
「本当に大丈夫ですから。噂は噂ですし」
一拍、置く。
「俺なんて、ここ来てイケメンになりましたし」
――誰も、否定しなかった。
仕事が終わる。
俺と、久城と石井。
どちらに当たるか。
久城は口が軽い。
だが、軽すぎる。
石井は固い。
だが、踏み込めない。
――時間がない。
二人が帰る前に、動くか。
それとも。
家を探るか。
……あの部屋、何もないとは思えない。
迷いが、切れない。
「お? まだ帰らないんすか?」
顔を上げると、久城が笑っていた。
「あ、ぁぁ……ちょっと考え事あってな」
石井の手が止まる。
「それって……朝のことですか?」
否定は、しない。
「それなら、いい所あるんで」
久城が、軽く顎で外を示す。
「三人で話しません?」
一瞬、迷う。
……二人まとめて聞けるなら、悪くない。
「久城さん、その口、滑らせませんか?」
石井の声は低い。
「言いませんよ。どれだけ信用ないんすか」
「朝、話したじゃないですか」
言ったあとで、気づく。
遅い。
「……朝?」
久城の目が細くなる。
空気が、わずかに揺れた。
「いいじゃないっすか」
間を切るように、久城が笑う。
「ちょうどいい場所、知ってるんで。そこで話しましょうよ」
石井が、わずかに眉を寄せる。
「……どこですか?」
「近いっすよ。人も来ないし」
軽い口調のまま、久城は立ち上がる。
一瞬だけ、視線が合う。
――試してるのか。
「……行きましょう」
外に出る。
夜の空気が、肌に触れる。
久城が先に立つ。
迷いのない足取り。
石井が、その少し後ろを歩く。
俺は、さらに後ろ。
道は、次第に暗くなる。
街灯が減る。
人の気配も、消える。
「この先っす」
久城が振り返らずに言う。
足を止める。
そこから先は、舗装が途切れていた。
土の道。
その先に、黒い口が開いている。
――洞窟。
「……ここか?」
「はい。誰も来ないんで」
久城が笑う。
その笑みが、少しだけ深く見えた。
風が、奥から吹き出す。
冷たい。
「……いい場所ですね」
石井の声は、わずかに硬い。
俺は、洞窟の奥を見る。
暗い。
何も見えない。
――だが。
視線を逸らせなかった。




