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宝を盗みに来た——この町では住人が帰宅後に消える  作者: アグ


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3/51

不穏な町

この海の町に来てから、数日が経った。


その間、俺は職場や近所での関係作りを進めていた。


――当然、情報収集も兼ねて、だ。


口の軽い久城や、向かいの席の石井加奈とも、ごく自然に打ち解けている。本社の営業で培った人当たりの良さを演じるなど、俺にとっては造作もないことだった。


だが、この町は思っていた以上に噂の回りが早い。


小さい町だからだろう。一つの話にはすぐに尾ひれがつき、気づけばまったく別物に変わっている。


引っ越してきて、まだ数日。それなのに――いつの間にか俺は、町内で「都会から来たエリートのイケメン社員」に仕立て上げられていた。


どこの誰の話だ。


自席で思わず、苦笑が漏れる。


気づけば、俺は勝手に別人に作り替えられている。この情報の伝達速度は、はっきり言って異常だ。


――そしてこれは、裏の仕事(コソ泥)にも、確実に影響する。


良くも、悪くも、だ。


例えば、こちらで盗みを働けば、すぐに顔が割れるだろう。一度目につけば、噂は一気に広がる。


だが逆に――どの家に誰がいるか。いつ留守になるか。そういう防犯上の致命的な情報も、すでにコミュニティのどこかに流れ、流通しているということだ。


都会とは違う。ここでは、一つのミスが致命傷になる。


俺の中でマンネリ化していた「盗み」への衝動が、今は妙な高揚を伴って、体の奥底で蘇りつつあった。


心が、わずかに浮く。


だが同時に、理解もしている。今まで以上に慎重になる必要があると。


気づけば、職場の鉄扉の前に立っていた。


重い扉を押し開ける。


――まだ、誰もいない。


静まり返った室内で席に着き、今日の予定を確認する。


その時――鉄の重いドアが開く音が、事務所に鈍く響いた。


「あ、宮野さん。おはようございます。早いですね」


振り向くと、石井さんがいた。


小柄な体に、柔らかく波打つ髪。この職場で数少ない、“気が抜ける存在”だ。


「おはようございます、石井さん」


軽く会釈して席に着くと、自然と向かい合う形になる。


パソコンを立ち上げながら、俺は何気ない、世間話の調子で口を開いた 。


「石井さん、ちょっといいですか」


「はい?」


首をかしげる仕草が、いつも通り柔らかい。


俺は手元の画面を示しながら、ここ数日ずっと気になっていた町外れの一帯を指さした。


市役所を中心に、円を描くように広がる町並み。だがその一角だけが、ぽっかりと切り離されたように浮いているのだ。


「この区間、営業で行ったことあります?」


「あー……」


石井さんの声が、わずかに濁った。


「そこは……行ってないです。というか、うちの営業所は誰も近づかないですね」


視線が、ほんの一瞬だけ逸れる。


その違和感を逃さず、俺は問いを重ねた。


「何かあるんですか、そこに」


少し静まり返った事務所に――勢いよくドアが開いた。


「おはようございまーす!」


空気を読まない明るさで、久城が入ってくる。


「お、何すか何すか。朝から二人で内緒話? 邪推しちゃいますよ?」


初めて会った日から、ずっとこの調子だ。距離感がおかしい。


「久城さん、おはようございます」


石井さんが、いつも通り丁寧に返す。


俺はというと――思わず、久城の首元に目がいった。


ネクタイが、見事に曲がっている。本人は結び直す気すらなさそうだ。相変わらず隙だらけの男だ。


「で? 何の話してたんですか?」


ずいっと顔を寄せてくる。さっきまでの静かな空気が、完全に壊れた。


石井さんが、久城の方へ体を向ける。


それは久城に応じる動きというよりは――俺の追及から逃れるための、あるいは助けを求めるような、曖昧で不自然な動きだった。どうやら、本当にはっきり口にしたくない話らしい。


俺は構わず、ターゲットを久城に切り替えた。石井さんより、口が軽い。聞くならこっちだ。


「この地区に、営業で行っていない理由を聞いていたんだよ」


「あー……そこっすか」


久城が、頭をかく。いつもの軽さが、ほんの少しだけ鈍る。


「いや、その……なんて言うか……」


言い淀む。言いづらい、というよりは――その場所を表す言葉そのものが、喉に詰まって出てこないようだった。


「あ――思い出しました。“地主”が住んでるんですよ、そこに」


さっきまでの詰まりが嘘みたいに、久城が軽く言った。


どうやら本当に、ただ言葉が出てこなかっただけらい。……こいつの教育、やり直した方がいいな。


「この一帯、全部その地主の敷地なんですか?」


俺の問いかけに、石井さんの声がわずかに落ちる。


「……そうです。あの一角の土地は、すべてあの方のものです」


短い肯定。それだけで十分だった。この反応は――絶対に何かある。


「いやぁ、ここマジでやばいんすよ」


久城が、いつもの調子で口を開く。


「地主の『恐怖政治』みたいな場所で――」


次の瞬間。


石井さんが、慌ててその口を両手で塞いだ。


「ちょっ、久城さん……っ!」


「――っ」


完全には塞ぎきれなかった言葉の残響が、冷たく耳に残る。

――恐怖政治。聞き間違いじゃない。


「宮野さん、違うんです。今のは……その、久城のいつもの冗談で……」


石井さんが顔を青くして、必死に取り繕うように言葉を重ねる。


だが、久城はその手を煩わしそうに振り払った。


「ひでぇなぁ石井さん、嘘じゃないっすよ。まぁでも、俺らみたいな一般の会社員が関わることはないんで。近づかなきゃ問題ないっす」


――本当に、そうか?


正直、久城の楽観的な言葉はあまり信用していない。


――が。次に出てきた言葉は、到底聞き流せなかった。


「そういえば宮野さんって、あの海辺の青い屋根の貸し屋

に住んでますよね?」


一瞬、思考の全機能が止まる。


なぜ、それを――。


遅れて、どうにか声を出した。


「……そうですけど。それが何か?」


わずかに、喉が引っかかる。


ここに来る時、あの家を契約したときの不動産業者の態度を思い出す。


はっきりとは言わなかった。だが、あの家は『普通じゃない』と、確かに奴はニュアンスを匂わせていた。


「久城さん!」


石井さんが、強い声で割って入った。いつもの柔らかさは微塵もない。はっきりとした、恐怖の混じった制止だった。


「それ以上は――余計なこと、言わないでください」


本気で止めている。空気が、わずかに張り詰めた。


「石井さん」


久城が、珍しく真面目な声を出す。


「これ、この町に住んでる奴なら、みんな知ってる話っすよ。だったら――」


一瞬、俺の方をまっすぐ見る。


「宮野さんが、何も知らないままあそこに住んでるの、逆に一番おかしくないですか?」


空気が張る。石井さんの表情が、絶望に小さく強張った。

俺は、視線を外さずに口を開く。


「……そうですね」


短く肯定する。


「俺も、知らないままでいるつもりはありません。内容次第では、悠長に仕事の指導なんてしている場合じゃなくなる」


この町に隠された「誰も持ち帰れない宝」、そして俺が今まさに足を踏み入れてしまった、あの青い屋根の家。


すべてを暴き、手に入れるために、俺はここに来たんだ。


「だから、教えてください。あの家で、何があったんですか」


石井さんは、怯えたように事務所内を見渡した。


――俺たち三人以外、誰もいない。今野所長もまだ来ていない。


それでも念を押すように、もう一度周囲に視線を巡らせてから、彼女は机越しにわずかに身を乗り出した。


「……なるべく、小声で話してください」


限界まで落ちた声が、鼓膜を微かに揺らす。


「他の人に、一言でも聞かれたら……本当に、この町にいられなくなりますから」


その一言で、オフィスの空気が変わった。


ただの田舎の噂話じゃない。触れてはいけない、絶対的な「禁忌」がそこにある。


俺は、小さく頷いた。


警戒は、正しい。むしろ――これで確信した。


この寂れた海の町には、表に出ない巨大な「歪み」がある。


そしてそれは、俺が今、泥棒の技術とプライドをかけて足を踏み入れようとしている、あの「青い屋根の家」と――確実に、血の繋がった線で繋がっている。

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