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宝を盗みに来た——この町では住人が帰宅後に消える  作者: アグ


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2/13

初出勤

俺は異動が受理されると、ひと月かけて身の回りを整理した。


必要なものだけを残し、あとは全部置いてきた。

思い出も、人間関係も——できるだけ軽くして。


そして引っ越しの日。

俺は車を走らせ、海の町へ向かっていた。


長い峠を越え、下りに差しかかったとき——


視界が、開けた。


一面に広がる、海。


陽の光を受けて、水面が細かく砕けるように輝いている。


まるで、散らばった宝石みたいだった。


……ああ、本当に“宝”って、こういうものを言うのかもしれない。


そう思った。


——手に入らないから、価値があるのか。


俺の異動先の住まいは、会社が用意してくれていた。


この町には古いアパートが数軒あるだけで、選択肢はほとんどないらしい。

家賃は六万。相場としては、まあそんなものだ。


一軒家の貸家も同じ六万だと聞いたときも、特に違和感はなかった。


地方なら、珍しくもない。


ただ——


その家は、ずっと空いているらしい。


理由を聞いても、担当者ははっきりとは答えなかった。


「まあ、色々ありましてね」


曖昧に笑って、それ以上は話さない。


……それでも俺は、その家を選んだ。


広さが必要だったのは事実だ。


それに——


他に、選べるほど物件もなかった。


俺はカーナビに案内されるまま、目的の家へ向かった。


やがて車が止まり、目の前に現れたのは——


想像していたより、ずっと新しい家だった。


昭和の古びた家を思い浮かべていたが、外観は平成に建てられたものに見える。


白い外壁に、青い屋根。

屋根の縁には白いラインが入っていて、どこか洒落た印象を受ける。


田舎の家にしては、少しだけ目を引いた。


「……悪くないな」


そう呟きながら、俺はもう一度その家を見上げる。


そのとき——


通りの向こうから、トラックの重いエンジン音が響いてきた。


引っ越し業者だろう。


現実に引き戻されたように、俺は小さく息を吐く。


そして玄関の前に立ち、鍵を差し込んだ。


ここから、俺の新しい生活が始まる。


翌日、俺はさっそく新しい職場へ向かった。


手には、簡単な土産の袋を提げている。


建物は本社と比べると、ずいぶん小さい。

自動ドアですらなく、古い鉄の扉が一枚あるだけだった。


俺はその取っ手を握り、押し開ける。


中に入ると、すぐ目の前が事務所になっていた。


いわゆる、玄関と一体になった造りだ。


奥のデスクには、数人の職員が座っている。


そのうちの一人が顔を上げ、こちらに気づいた。


まさか、入ってすぐ事務所だとは思っていなかった。


一瞬だけ気が抜けていた俺は、慌てて姿勢を正す。

ネクタイと袖に目を落とし、軽く整えた。


すると、奥のデスクから一人の若い男がこちらに歩いてくる。


「こんにちは。本部からいらした宮田さんですか?」


年齢は、俺より少し下に見える。


「はい。指導ということで、しばらくお世話になります」


そう答えると、青年はぱっと表情を明るくした。


「俺、久城くじょう 光ひかるって言います」


少しぎこちない名乗り方だった。


慣れていないのか、久城は慌ててポケットを探り始める。


「あれ……」


名刺を探しているらしい。


その様子がどこか危なっかしくて、思わず口元が緩む。


「私は宮田みやた 誠也せいやです」


俺はスーツの内ポケットから名刺を取り出し、差し出した。


久城はそれを受け取り、申し訳なさそうに頭を掻く。


「すみません……どうやら、家に忘れたみたいで」


その様子を見ていると——


どこか危なっかしい。


ふと、こんな弟がいたらこんな感じなのかもしれない、と思う。


同時に——


こういうタイプは、隙が多いとも感じた。


俺は早速、職場の中を観察する。


テーブルは全部で十個。

そのうち三つが空席だ。


外回りか、それとも——今日は来ていないだけか。


椅子の引き具合、書類の置き方。

どれも中途半端に残っている。


……長時間空けている席じゃない。


一つだけ、何も置かれていない机がある。


あそこが、俺の席だろう。


鍵は……さすがに、目につく場所にはないか。


俺が辺りを見回していると、

久城が不思議そうにこちらを見ていた。


「宮田さんって……なんか、ずっと見てますよね」


一瞬、息が詰まる。


「……何をですか?」


「いや、なんていうか……部屋全体というか」


久城は少し考えてから、言葉を探すように続けた。


「普通の人って、そんなに見ないじゃないですか。机とか、棚とか……」


――気づかれている。


俺はなんでもないように、肩をすくめた。


「クセでな。営業やってると、どうしても目が行く」


久城は「なるほど」と素直に頷く。


「そうなんですね!」


……助かった。


あまり深く考えるタイプじゃないらしい。


それでも、視線の動きには少し気をつけた方がいい。


俺は話題を変えるように口を開く。


「そうだ、久城さん。置き忘れとか、スケジュール管理は苦手な方ですか?」


久城は一瞬きょとんとした後、照れくさそうに笑った。


「実はそうなんです。よく怒られてて……」


やっぱりな。


机の上の書類の置き方、椅子の引き方。

どれも雑というほどじゃないが、気が回っていない。


少し揺さぶれば、いくらでも隙はできる。


「気をつけた方がいいですよ。こういう場所だと、ちょっとしたことで仕事に影響出ますから」


そう言う奴は、泥棒にも狙われやすい。

軽く忠告する。


表向きは、あくまで指導として。


久城は慌てて背筋を伸ばした。


「はい、気をつけます!」


その様子を見て、俺は小さく頷く。


——扱いやすい。


そう思った自分に、わずかに苦笑いする。


久城と話していると、鉄のドアが重く開いた。


音だけで分かる。

さっきまでとは、違う空気だ。


振り向くと、中年の男が立っていた。

険しい表情。視線はまっすぐこちらを捉えている。


――この人間は、油断しない方がいい。


俺は咄嗟に半歩横へずれ、姿勢を正した。


「おはようございます。本日から指導で参りました、宮田と申します」


名刺を差し出す。


男は一瞬だけ俺を見て——表情を緩めた。


「初めまして。ここの責任者をしている今野です」


差し出された名刺を受け取り、視線を落とす。


手入れの行き届いた指先。

スーツの皺も少ない。


久城とは違う。


「よろしくお願いします」


短く返す。


この男は、隙を見せるタイプじゃない。


……少なくとも、簡単には。


久城みたいな人間ばかりじゃないことに、俺は内心で小さく息をついた。


俺はもう一度、今野の名刺に目を落とす。


今野こんの 健たける


整った文字。肩書きも簡潔だ。


無駄がない。


顔を上げると、今野はすでに久城へ視線を向けていた。

さっきまでの柔らかさは消え、表情が引き締まっている。


「……」


言葉はないが、それだけで十分だった。


久城はその視線を受けて、慌てて背筋を伸ばす。


「分かってますよ! すぐ案内するんですよね!」


今野は小さく頷いた。


「頼む」


短い一言。


そのやり取りだけで、この職場の力関係が見える。


「すみません。久城は話し出すと、止まらないことがありまして」


今野がこちらに向き直り、軽く頭を下げる。


「いえ」


俺は短く返した。


久城は気にした様子もなく、事務所の奥へと歩いていく。

そして、何も置かれていない机の前で立ち止まった。


「宮田さん! ここです!」


振り返り、無邪気に手を振る。


その机だけが、妙に整いすぎていた。


「宮田さんの席、ここになります!」


——やはり、あそこか。


俺はゆっくりと歩み寄る。


何もない机。

引き出しも閉じられたまま、使われた形跡がほとんどない。


用意された席というより——


最初から、誰も使っていなかったようにも見える。


「ありがとうございます」


そう言って、椅子に手をかけた。


久城に、あとで引っ越し先の家のことを聞いてみよう。


そう思いながら、俺はカバンを置き、仕事の準備を始める。



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