四日間の生存ゲーム
一人で無くしたものを探すように、写真に写る資料へ目を走らせる。
奥からガチャンと部屋のドアが開く音が聞こえた。
俺は歪んだ表情をいつもの顔へと作り直す。
「少し休んで、だいぶ落ち着いたみたいですね」
胸の内を押し隠し、穏やかな笑みを浮かべる。
顔を上げると、久城の隣には落ち着きを取り戻した石井が立っていた。
「大丈夫ですか?」
石井の頬には涙の跡がくっきりと残っている。
「取り乱して……すみませんでした」
二人は最初に座っていた席へ腰を下ろした。久城はテーブルいっぱいに並んだ写真へ視線を落とす。
「何か見つかりましたか?」
「いえ。資料に書かれているのは名前と性別だけです。住所も家族構成も分かりません」
俺は写真を一枚手に取り、じっと見つめる。
この町の住人は、本当に何も残っていないのか。
……そんなはずはない。
秘密は必ず漏れる。
金で口を割る奴。酒で余計なことを喋る奴。捕まって全部吐く奴。
裏の世界じゃ、そんな人間はいくらでも見てきた。だから秘密を抱える側も、口を滑らせた人間を放ってはおかない。人を売るような連中なら、なおさらだ。
あの海馬が、その程度のことを見逃すとは思えない。
「一つ聞いてもいいですか?」
久城と石井が顔を上げる。
「この町で、突然いなくなった人はいませんか?」
久城は苦笑いを浮かべた。
「いますよ。俺らみたいに生まれてからずっといる方が珍しいっす」
石井も頷く。
「隣町は都会ですし、出て行きたがる人は多いですよ」
表向きはいくらでも理由を作れる。引っ越し、就職、結婚。消えた人間なんて、そうやって簡単に片付けられる。
俺は二人の表情を観察した。まだ核心には触れていない。
「では、質問を変えます」
二人の肩がわずかに揺れた。
「宝の場所を間違えて話した人は、どうなりました?」
その瞬間、二人はピクリと体を震わせる。まるで見えない縄で首を絞められたように、ぴたりと口を閉ざした。
……その反応で十分だ。売られるだけじゃない。口封じもしている。
「どうなるかまでは……分からないっすよ」
重たい沈黙のあと、久城がようやく乾いた声を絞り出した。
「ただ、いなくなったのは確かっす」
「引っ越した、と聞かされたんですか?」
石井は拳を白くなるほど強く握り締める。
「なんで……宝の話になって……」
お前たちが教えてくれたじゃないか。『宝の場所は教えられない』――秘密そのものより、その言葉を口にした時のお前たちの怯え。あれだけで、この町が何を恐れ、誰に支配されているのかは十分伝わっていた。
「いや、なんでもないです」
俺は写真へ視線を戻した。
残る手掛かりは、屋敷の見取り図くらいか。久城が撮ってきたのは、トイレから書類のあった部屋までの室内写真。一枚ずつ確認していく。窓はどれも同じ造りだ。
――鍵の構造は? ガラスの厚みは? ピッキングなら十秒とかからない。
じわじわと胸の奥から熱いものが込み上げてくる。たまらない。この圧倒的な防犯体制。これだけ厳重に囲われた「他人の領域」に、泥棒の手を突っ込んで中身をすべて引きずり出す。想像するだけで、脳の芯が痺れるような快感が駆け巡る。
問題はカメラだった。思っていた以上に台数が多い。死角も少なく、下手に動けばすぐ映る。さすがに警戒が甘い相手じゃない。
だが、それでこそだ。簡単に入り込める部屋の宝なんて、盗んでも一文の価値もない。
俺たち三人は廊下の写真を並べ、一枚ずつ見比べる。
すると、石井が一枚の写真を手に取り、凝視したまま固まった。
「その写真に何かありましたか?」
「……このドア、変じゃないですか?」
「変?」
俺も横から写真を覗き込む。だが、他のドアと何が違うのか分からない。
石井は見取り図を広げた。
「やっぱり、おかしいですよ」
指先で廊下のルートをなぞっていく。
「見取り図には、このドアがないんです」
俺は思わず身を乗り出した。
「どういうことです?」
石井はゆっくり顔を上げる。
「ドアが、一つ多いんですよ」
久城も写真と見取り図を見比べる。
「あっ……」
石井は見取り図の一か所を指差した。
「久城さんはトイレを出て、この部屋まで戻る道じゃなく。こっちの道を撮影したんですよね?」
久城は何度も頷く。
「そうっす。来た道を戻れば元の部屋の前を通るんで、反対に向かって歩いて撮りました」
間違いない。見取り図ではドアは五つ。だが、写真には六つ写っている。
写真の陰、壁の木目に紛れ込ませるようにして、もう一つのノブが確かに存在していた。
一本、多い。
隠し部屋か。それとも見取り図が偽物か。
「そのドアの中には入れなかったんですよね?」
俺は当時の状況を再確認する。
「開いてなかったですよ。それで、あの部屋に着いたら鍵だけ開いていたんです」
……そこがおかしい。
証拠になるような書類を、あんな場所へ無造作に置いておくはずがない。
あれは誰かに見つけさせるためだったのか。それとも――久城をあの部屋へ誘い込み、そのまま消すつもりだったのか。
久城は以前から海馬の粗探しをしていた。邪魔な存在だったことは間違いない。
そして石井も、もう無関係ではいられない。久城は証拠を見た。石井は俺と行動を共にした。口封じをするなら、二人とも対象になる。私ならそう判断する。
ぞくぞくと、背筋を歓喜の悪寒が走り抜けた。
海馬という男は、思っていた以上にイカれていて、残虐で、そして最高に「面白い」獲物だ。ただのコソ泥仕事のつもりだったが、これは命を賭けた極上のゲームだ。絶対に生きてこのゲームをコンプリートしてやる。
「久城さん。一人になるのは避けてください」
二人が顔を上げる。
「今日から私の家に泊まってください」
そして、怯える石井へ冷徹な視線を向けた。
「石井さんは、家へ帰ったら今野さんに『宮野が宝の場所を突き止めた』と伝えてください」
「……え?」
「切羽詰まった様子で、そう吹き込むんです。そして、私たちには二度と近づかないでください」
石井の表情が驚愕に強張る。
「もし一日……いや、二日経っても私が姿を現さなければ、洞窟へ行ってください」
久城が隠していた缶の姿が脳裏をよぎる。
「あの缶を持って、この町ではなく、隣町の警察署へ駆け込んで届けてください」
石井は息をのみ、ゆっくり首を横へ振った。
「それじゃ……私が宮野さんを売って、裏切ったことになります……!」
久城もガタッと椅子を鳴らして立ち上がる。
「なんでですか! そんなことしたら宮野さんが海馬に捕まるじゃないですか!」
私は目を閉じ、小さく息を吐いた。
次の瞬間――。
――ドンッ!!
弾かれたように、拳を木製のテーブルへ叩きつける。
「あなたたちが、この件に首を突っ込んだんだ!」
部屋の空気が一瞬で凍り付く。二人の息が止まるのが分かった。
「私は善人じゃありません。必要なら、人を騙す。トカゲの尻尾にだって利用する」
二人は完全に威圧され、青ざめた顔で俺を見つめている。
「だから、二人にもその嫌な役をやってもらいます」
あえてドスの利いた声を落とし、残酷に、静かに続けた。
「生き残るためです」
利用して生き残る。二人がどう傷つこうと。私を人でなしと恨もうと。軽蔑しようと。
――生きてさえいれば、それでいい。
その果てに、俺があの海馬の喉元を食い破る瞬間を拝めるなら、悪魔に魂を売ったって構わない。
「そんな方法で生き残れる訳……」
石井が震える声を漏らす。
そうだ。それだけで生き残れるほど甘くない。警察だって、はいそうですかと動く訳がない。証拠が必要だ。それも海馬を完全に引きずり下ろす、決定的な証拠が。
最低でも四日は足掻かなければならない。
私がわざと捕まってから。海馬の懐へ入り込み、奴の喉元へ刃を突き立てるその瞬間まで。
爪を剥がされるか、骨を折られるか。どちらにせよ五体満足で戻れる保証はない。
だが、脳裏に浮かぶ最悪のシミュレーションに、俺の心臓はドラムのように跳ね上がっていた。恐怖ではない。これは興奮だ。強者からすべてを盗み出すスリルが、俺の血液を沸騰させている。
四日だ。その程度の時間さえ稼げれば、まだ勝ち目はある。
死ななければ、こちらの勝ちだ。




