表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宝を盗みに来た——この町では住人が帰宅後に消える  作者: アグ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
35/51

本当の想い

俺は持ち帰ったカメラのデータをパソコンに移し、現像の作業を始めていた。


選択したデータをまとめて印刷にかける。


「……久城も、結構撮ったな」


静かな部屋で、一人黙々と作業を進める。規則的に響くコピー機の駆動音だけが、排熱の匂いとともに部屋を満たしていた。


その時、不意に家のインターホンが鳴った。


作業の手を止め、立ち上がって玄関へ向かう。ドアを開けると、そこには久城と、その隣に石井が立っていた。


久城の表情はまだ硬い。それでも昨日よりは血色が良く、少しだけ落ち着きを取り戻したように見えた。


俺は額に手を当て、小さくため息をついた。


「何しに来たんですか? 石井さんまで連れてきて」


石井は眉間に皺を寄せ、鋭い視線を俺へ向けてくる。俺の突き放すような言い方が気に入らなかったのか。それとも――久城から昨日の話を聞いているのか。


「その。心配で……」


久城が弱々しい声で呟く。


俺は久城から石井へと視線を移した。石井の目は「引く気はありません」と頑なに訴えている。もう一度、今度は重いため息を吐き出した。


「分かりました。ここだと人の目もあります、中にどうぞ」


二人をリビングに招き入れる。彼らはきちんと靴を揃え、「お邪魔します」と静かに足を踏み入れた。


階段の横を通りかかったその時、ガチャン、とコピー機が停止する音が静かな廊下に響いた。


俺は何事もなかったかのように進もうとしたが、久城が足を止め、二階を見上げた。


「今の音、なんすか?」 


こういう時ばかり、妙にめざとい。


「コピー機を使ってたんですよ」


そう言って、あの屋敷の写真の現像が終わったことを隠した。久城も思い当たる節があるのだろう、それ以上は追求せず、気まずそうにリビングへ向かう。


「写真……取ってこないんすか?」


その問いを無視して、俺は二人をテーブルの目の前にあるソファーに座らせた。


「あれほど言ったのに」


俺は、隠しきれずに微かに震えている久城の手元を見つめた。


「久城さん。昨日のこと、覚えていますか? 私は『ここまで』と言いました」


久城は気まずそうに俯く。何か言いたげに唇を動かすものの、言葉にならないのか、ただ押し黙ってしまった。


そんな久城を庇うように、隣にいた石井が静かに口を開く。


「宮野さんって、こんなに鈍感だとは思いませんでした」


俺が悪いと? ……それに、鈍感、だと。


その言葉だけは、言われる義理がない。人の些細な仕草や視線の動き、呼吸の乱れまで見逃さないこの俺を捕まえて、鈍感とは。


思わず自嘲気味な苦笑が漏れそうになった。


「私は、自分では鋭い方だと思っていましたが」


石井は真っ直ぐに俺を見つめ、小さく首を横に振った。


「宮野さんは察しもいいですし、要領もいいです」


そう言って、隣の久城へ優しい視線を向ける。


「その分、自分がどう思われているかには気付けてないんですよ」


……そんなはずはない。久城が俺に心を許していることくらい分かっている。石井だって、それなりに俺を信用してくれているはずだ。それ以外に、一体何があるというんだ。


「ほらね。やっぱり分かってない顔してる」


気付けば、俺は眉間に皺を寄せたまま考え込んでいた。


「分かっていますよ。久城さんが私を心配してくれていることくらい」


それが、俺なりの精一杯の答えだった。


「心配……それだけじゃないんですけどね」


石井は意味深に呟くだけで、それ以上は語ろうとしない。


俺は思わず久城へ目を向けた。視線の先にいた久城は、どこか悲しげな、今にも泣き出しそうな表情を浮かべている。


「やめてください」


その表情から目を逸らさず、静かに、しかし拒絶を込めて言った。


「そんな顔で見られても、私はここから離れる気はありません」


この町に来て、あの『海馬』を目の当たりにして――俺は真相を知った。こんなにも胸が高鳴る出来事が続いているのに、ここを離れる理由なんてどこにもない。俺は海馬と同じだ。狂っている人間だから。


「それなら、俺も付き合うっす。一人より、その方がいいと思いますし」


今まで黙っていた久城が、覚悟を決めたように視線を上げて言った。


「無理は良くないですよ。まだ手が震えているじゃないですか」


俺は話を打ち切るようにキッチンへ向かおうとした。その瞬間、石井が俺の手首を掴んだ。


「私も付き合いますよ」


肌に触れる体温に、思わず動きを止める。……付き合う? 一瞬だけ、その言葉の本当の意味を測りかねてしまった。


「石井さんは、まだ何も知りません。これ以上、近づいてはいけない」


内容を知ってしまっている久城ならともかく、石井はまだ何も知らないのだ。世の中には、知らないままでいた方が幸せなことなんて山ほどある。


そこまで考えて、ある疑念が頭を過った。


「久城さん……まさか」


今まで見せたことのない鋭い眼差しを久城へ向ける。情報を漏らしたのか、と。


「久城さんは何も話してないですよ」


久城が怯えるより先に、石井が一歩前へ出た。まるで久城を俺の視線から守るように、その小さな体を滑り込ませる。


「……分かりました。とりあえず座ってください。お茶でも淹れます」


何を、こんなに熱くなっているんだ。久城や石井がどうなろうと、俺には関係ないはずなのに。


それなのに、胸の奥で燻るこの苛立ちの正体が自分でも分からず、ひどくもどかしい。不愉快さを振り払うようにコップを強く握りしめた。


ゴトン――。


叩きつけるような硬い音が台所に響く。


「……今まで通り、利用したらいい」


俺は、訳の分からない苛立ちに無理やり都合の良い理由をつけると、三人分のお茶を盆に乗せて運んだ。二人が座るテーブルへ、今度は静かにコップを置く。


「さっきの音、何だったんすか?」


久城が尋ねる。俺はさっき、台所でコップを乱暴に置いた音を聞かれたのだと気付いた。


「コップを滑らせただけですよ」


そう答え、俺はテーブルを挟むようにして床へ腰を下ろした。


誰も何も言わない。静かな時間だけが、重く、ゆっくりと流れていく。


その沈黙を破ったのは、やはり石井だった。


「それで、屋敷で何か見たんですか? 私は何も聞かされてませんが」


久城は落ち着かない様子で、何度も俺の顔を窺っている。


「聞いたら、本当に逃げられませんよ。久城さんですら、もう命の保証はありません」


少し脅せば、「やっぱりやめます」と言ってくれるのではないか。……そんな淡い期待を抱いている自分が、ひどく滑稽で、ひどく惨めだった。


石井はすぐには答えなかった。迷っているのか、視線を落としたままじっと黙り込んでいる。


「命は一つしかありません。もう帰った方がいい。久城さんも一緒に。ここにいるのは危険です。本社には私から掛け合います。人事異動くらいなら、どうにでもできますから」


必死に説得の言葉を並べる。二人には、ここで舞台から降り

てもらうために。


――今までなら、利用価値があるうちは使い潰せばいいと思っていたはずだ。


それなのに、なぜ俺は、これほどまでに二人を庇おうとしている?


久城が乾いた笑いを漏らしながら、震える声で言った。


「宮野さんって、本当に……良い人っすよね。俺はもう逃げられないの、分かってます。だから、石井さんだけでも人事異動させてください」


震える手。震える声。なのに、その眼差しは真っ直ぐだった。


……何を言っている。俺が良い人? そんなはずがあるものか。全部、久城の思い違いだ。


「久城さんも名前を変えて、身元を隠せばまだ間に合います」


俺なら、それくらいできる。死んだことにして、新しい人生を用意することも。その程度の人脈と手段は持っている。


その時、横から一段低くなった石井の声が、張り詰めた部屋

に響いた。


「宮野さん。いい加減にしてください」


その一言だけで、部屋の空気が凍りつく。


「私たちは逃げないって言ってるんです。鋭い宮野さんなら……もう分かってますよね?」


石井の言葉が、胸の奥深くへ容赦なく突き刺さる。心臓が早鐘を打ち始める。けれど、この鼓動は、怪異や謎を追うときのいつもの高揚感とは明らかに違っていた。


もっと泥泥とした、嫌なものだ。何か大切なものを、致命的に失ってしまいそうな――そんな正体の分からない恐怖と不安が、胸の奥を静かに締めつけていく。


「ですが……私は、これ以上何も……助けられないかもしれません」


思わず口をついて出た、掠れた声。


その瞬間、胸の奥でバラバラだったピースが綺麗に繋がった。


さっきまで感じていた、理不尽な苛立ちも。得体の知れない不安も。


――ああ、そうか。俺は、二人を助けたかったのか。


「なんとかなりますよ」


久城が、いつものようにへらりと笑った。手の震えはまだ残っている。それなのに、その笑顔は不思議なくらいに明るく、頼もしかった。


「証拠は、もう揃っているようなものですから」


そうだ。証拠はある。二階のカメラの中に、すべてが残っている。


「宮野さんが心配してることは、痛いほど分かってます」


石井もまた、すべてを見透かしたように優しく微笑んでいた。


……何を言っている。心配? この俺が、他人の心配など。


二人に引く気がないのは、もう嫌というほど分かった。なら、これ以上言葉を重ねるのは無駄だ。


だったら、今まで通り利用すればいい。ただ、それだけのことだ。


俺は胸の内に芽生えた『助けたい』というひどく脆くて邪魔な感情を、心の奥底へとうつむけて押し沈めた。


二度と浮かび上がってこないように。誰にも、彼ら自身にさえも気付かれないほど、深く、冷たい海の底へ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ