屋敷の中
俺はカバンに、必要な資料と計画書をできる限り詰め込んだ。
本当なら、一緒に来るのは今野だと思っていた。
……なのに。
なんで久城なんだよ。もっと適任がいただろう。
俺は地主の屋敷へ向かう山道を車で走らせていた。
「今日は営業の勉強だと思って、ついて来てください」
助手席の久城は、ドアに肘をつき、頬杖をついたまま顔をしかめている。
「いや、俺じゃなくてもよかったっすよね?」
まぁ、今までの流れを考えれば、進んで行きたがる人間なんていない。だが、不思議と俺は胸が高鳴っていた。屋敷へ続く道を走っているだけで、抑えきれない高揚感が込み上げてくる。
「仕方ないんです。今野さんに『営業のやり方を教えてやれ』って言われたんですよ」
平然を装ってそう答える。すると久城はガタッと身を乗り出した。
「営業って……犯罪者かもしれない家に行くんですよ? もし殺されたらどうするんすか?」
確かに。これまでの失踪や自殺は、あまりにも不自然だった。
だからこそ、会わなければならない。噂や推測だけでは判断できない。まずは顔を見る。話はそれからだ。
「先に言い出したの、久城さんじゃないですか。『ちまちま調べるより、正面から乗り込んだ方が早い』って」
久城は慌てて姿勢を正した。
「そこまで強気には言ってませんよ!」
後先考えず口にした言葉だったことは分かっている。それでも、俺はあの時の久城の一言を採用した。
どうせ探るなら、正面から。その方が、相手の顔も、本性も見える。
そして、もうすぐ。噂の地主の屋敷が見えてくる。
屋敷というだけあって、外壁の装飾も庭の広さも桁違いだった。
玄関前で足を止め、俺はインターホンを押す。ここまで立派なら、防犯カメラくらいあるだろう。視線を玄関の端へ向けると、案の定、小さなレンズがこちらをじっと見下ろしていた。
「久城さん。いつもの口調は駄目ですよ」
「わかってます、わかってます」
久城は何度も首を縦に振る。
「それと、席を外せるタイミングがあったら外します。その間、どうにか時間を稼いでください」
久城が目を見開いた。
「ちょ、そんな話聞いてないっすよ」
確かに、久城にプレゼンができるとは思っていない。だが、仕方ない。俺はポケットから手のひらに収まる小型カメラを取り出し、こっそり久城の手に握らせた。
「じゃあ変更です。理由をつけて室内を撮ってきてください。入れそうな部屋は全部」
「は?」
「できれば屋敷の間取りも」
久城の眉間に深い皺が寄る。
「俺にコソ泥みたいな真似しろって言うんすか?」
「人聞きが悪いですね。調査です」
「いや、ほぼ一緒っすよ!」
そんなやり取りをしていると、カチリ、と静かに錠が外れ、厳つい黒スーツの男が姿を現した。
男は右手を胸元に添え、無駄のない所作で綺麗に一礼する。
「宮野様と久城様でしょうか?」
俺は懐から名刺入れを取り出し、滑らかな動作で差し出した。
「初めまして。宮野と申します」
「これはご丁寧に」
男は恭しく受け取り、深く頭を下げる。すると、久城も慌てて後に続き、ポケットからクシャッとした名刺を取り出した。
「ど、どうぞ」
……一目で緊張しているのがわかる。名刺を渡すのに「どうぞ」ってなんだ。友達にお菓子でも配ってるのか。
黒スーツの男も、一瞬だけ目を丸くしたあと、わずかに苦笑を浮かべた。
「ありがとうございます。久城様ですね」
「は、はいっ!」
声まで裏返っている。普段は図々しいくらいなのに、こういう場になると急に小動物みたいになるのだから面白い。
黒スーツの男に促され、俺たちは屋敷の中へ足を踏み入れた。
扉の先には、馬鹿みたいに広いエントランスが広がっていた。磨き上げられた大理石の床。傷一つない壁。柔らかな光を落とす照明。その全てに、隅々まで手入れが行き届いている。
壁には、有名画家のものと思われる絵画が何点も飾られていた。
……この一枚だけで何百万するんだ?
俺は歩調を崩さないまま、視線だけでそれらを値踏みする。高価な骨董品や美術品の情報は、常に頭に入れている。ある程度なら真贋の見分けもつく。
これくらい把握していなければ、泥棒として生きていくことなどできない。もっとも、俺は盗まない。盗めないんじゃない。盗まないだけだ。
男の後ろについて歩きながら、俺の脳は無意識に、この空間を「攻略対象」として処理し始めていた。
玄関から廊下までの距離。階段の位置。窓の数。監視カメラの死角。すれ違う使用人の人数。そして、万が一の際の脱出経路。
癖というやつだ。呼吸をするのと同じように、俺の脳は勝手に立体的な地図を描き始める。
もしここが仕事場なら。
もしここが獲物なら。
もしここで命を狙われたなら。
そんな「もしも」を積み重ねながら歩いていると、ふと肌を刺すような違和感を覚えた。
――静かすぎる。
これほどの屋敷にしては、人の気配が妙に少ない。
まるで、この家そのものが巨大な生き物で、俺たちを胃袋へと誘うために息を潜めているかのように。
黒スーツの男に先導され、俺たちは廊下の奥にある重厚な扉の前まで案内された。
磨き上げられた木製の扉は、上品な装飾が施されており、この屋敷の主の趣味の良さを嫌でも感じさせる。
男は足を止めると、背筋を伸ばし、コンコン、と規則正しく扉を叩いた。
「旦那様。宮野様と久城様をお連れしました」
数秒の静寂。
そして、扉の向こうから、腹の底に冷たく響くような、重厚な男の声が聞こえてきた。
「――入りたまえ」
短い一言。それだけなのに、圧倒的な威圧感があった。
まるで、この部屋に足を踏み入れた瞬間から、全ての主導権を奪われ、逃げ場をなくされる――そんな錯覚を覚えるほどの、重く、圧し掛かるような声。
俺は無意識に、だが静かに息を整えた。
さて。この町の王様と、ご対面だ。




