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宝を盗みに来た——この町では住人が帰宅後に消える  作者: アグ


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23/52

この先の境界線

俺たち三人で事務所へ入っていく。


石井は、きっともう何らかの噂を耳にしているのだろう。


今朝、俺の家の前に掃除屋の車が長く停まっていたこと、そこで何かが起きたこと。さっきの玄関先での、ほんの一瞬の反応。値踏みするような視線。そして、会話に入ってくるまでのわずかな間。


元優秀営業マンの観察眼は、石井の微細な仕草から、すでに彼女が「何かを察している」と判断していた。


「宮野さんは……警察には行かなかったんですか?」


デスクへ向かいながら、石井が不安そうに眉をひそめて聞いてくる。


俺は顔なじみの顧客に向けるような、人当たりの良い苦笑いを浮かべた。


「行きませんでしたよ」 


大袈裟に少しだけ両肩をすくめてみせる。


「だって、隠しカメラが全部で六台も出てきた、なんて警察に話したら……逆に事情聴取だ何だって、面倒な事になりそうじゃないですか」


半分は冗談っぽく笑い飛ばす。だが、もう半分は純然たる本音だった。


この閉鎖的な町の警察が、一体どこまで信用出来るのか分かったものではない。下手に公の権力を動かせば、それこそ地主グループの逆鱗に触れ、何が起きるか想像もつかなかった。


今野が自分の席から俺をじっと見つめたまま、真面目な顔で言葉を継ぐ。


「それでも、普通は行くべきだったんじゃないですか? 盗撮なんて明らかな犯罪行為なんだし」


その声にトゲはない。ただ、善良な一般市民としての“当然の手順”を口にしているだけだった。まっとうな人間なら、100人が100人そう言うだろう。


俺は一瞬だけ、今野から視線を外す。


――でも俺は、表だって警察という組織と深く関わりたくないんだよ。過去の経歴スネに傷があるコソ泥としてはな。


それに、カメラを仕掛けた犯人の側だって、そこは完全に計算ずくのはずだ。


「……それに、あのカメラだって、誰が仕掛けたか分かったもんじゃないですからね。もちろん、本体に犯人の指紋なんて一枚も残していないでしょうし」


口に出しながら、俺は内心で冷ややかに確信していた。


隠す側のプロなら、そんな素人染みたミスは絶対にしない。


俺がターゲットの家に忍び込む際、指紋一つ残さないのと同じように。


石井は自分の席に通勤カバンを置きながら、納得のいかない風に言う。


「それでも、被害届だけでも出した方がいいんじゃないですか?」


今野もミーティングテーブルの端に腰を下ろし、小さく頷いて石井に同意した。


俺はそんな二人を交互に見つめ、声のトーンを一つ落として静かに口を開く。


「いや、警察が本気で動くかもわからないですよ。カメラはもう俺が取り外しちゃったし、最悪の場合、『注目を浴びたいための自作自演』だと警察に疑われる可能性だってあるんじゃないですか?」


その言葉に、石井の表情がぴくりと固まる。


確かに、客観的な状況証拠としては極めて弱い。カメラはすでに壁から引き抜かれ、配線も切られている。残っているのは、壁や天井の隅に空いた、虫ピンの跡のような小さな穴だけだ。


事件の証拠としては薄すぎる。映像のバックアップがあるわけでもないし、通信の記録もない。“かつて、そこにカメラがあった”という、曖昧な痕跡しか残っていないのだ。


もし今から警察が入ったとしても、仕掛けた本尊はとっくに尻尾を巻いて上手く逃げ切るだろう。


なんなら、賃貸契約書に書かれていた「松谷」という名義の、名前だけの所有者にすべての罪を押し付ければいい。


そうすれば、表舞台に引きずり出されて生贄になるのは、その身代わりだけだ。


見事なトカゲの尻尾切り。


本体である地主グループや海馬は闇の中に潜んだまま、乾いた尻尾だけが切り離されて終わる。証拠がここまで弱い段階で警察を介入させても、たどり着くのはせいぜいその程度。


それ以上奥の暗部へは、簡単には追えない。


俺はテーブルの上の今野を見て、何気なさを装って静かに尋ねた。


「そういえば、松谷さんってご存じですか? 私が借りている家の、一応の大家さんなんですが」


その瞬間、今野の額の割れ目がわずかに強張ったのを、俺の目は見逃さなかった。


一拍、不自然な間が空く。


……今の反応は何だ。


名前を知っていて動揺したのか、それとも、その名前にまつわる何かに触れたくないのか。


今野は小さく短く息を吐き出してから、平静を装って答えた。


「知ってるぞ。よくこの町の秋祭りで、ステージの司会をやってる人間だ。地元の顔役みたいなもんだよ」


俺は隣の石井に視線を向ける。


「そうなんですか?」


石井は綺麗な顎に人差し指を当てて、少し考え込むように目を細めた。


「……確かに、言われてみればそんな気もしますね。お祭りで見かけたことがあるような……」


はっきりとは覚えていないらしい。彼女にとってはその程度の認識なのだ。


今野はテーブルの横のフックに自分のカバンを掛けながら、さらに情報を付け足した。


「ここの地主の海馬さんとも、かなり仲が良いはずだ。二人で一緒に出歩いてるのも、この界隈じゃよく見るぞ」


松谷、そして海馬。その二つの名前に、バラバラだったパズルのピースが少しだけ繋がった気がした。


俺は今野に、あえて挑発的な視線を向ける。


「じゃあもしかして、大家の松谷さんに鍵を借りて、海馬さんが私の家にあのカメラを仕掛けていた……なんて可能性もありますかね?」


軽く冗談めかして、おどけたトーンで言ってみせた。


今野は一瞬だけ、フッと息を止めるような間を置いてから、短く鼻で笑う。


「まさか。いくらなんでもそれはないだろ」


だが、その笑い声に明確な確信はなかった。ただ、その場を“否定するための乾いた笑い”だけが空間に残った。


石井がデスクの置き時計を見て、静かにパソコンの電源を立ち上げる。それを合図に、俺たちの朝の会話は自然と終わりを迎えた。


席に戻りながら、今朝の収穫を頭の中で整理する。


今野のここまでの反応を見る限り、あちら側の「完全な身内」とまでは言い切れない。ただ、町のパワーバランスを知っているからこそ、どこか怯え、引っかかっているような節はある。


一方、石井に関しては、本当にカメラの件や地主の裏の動きを詳しくは知らなさそうだった。もし石井が地主側のスパイとして動いていたなら、俺がこれまで探ってきたことは全て筒抜けになっていてもおかしくない。


だが、監視カメラの配置やタイミングを見るに、そういった気配はどこにもなかった。


むしろ、状況が明確に動き出したのは別のタイミングだ。


俺が昨日、あの六台のカメラを全て取り外してから――そこから向こうの焦りが始まっている。


「……よし」


俺は小さく呟き、まずは目の前の退屈な仕事に集中することにした。


昼頃――。


いつもは事務的な会話しかしない石井が、珍しく、こちらを振り返って声を掛けてきた。


「宮野さん、ちょっといいですか?」


俺はパソコンの画面から石井の方へと視線を移し、椅子からゆっくりと立ち上がる。


「珍しいですね。どうです、お昼、一緒に食べに行きますか?」


石井は少しだけ逡巡するような間を置いてから、黙って小さく頷いた。


職場から少し離れた、昼時でもほとんど人がいない寂れた公園のベンチ。


俺は近くのコンビニで買ったおにぎりとお茶を、カサカサと音を立ててビニール袋から取り出した。


石井は、自分で包んできた小ぶりの弁当箱をカバンから取り出す。


「宮野さん」


「なんですか?」


石井は弁当の包みを開けながら、周囲に声が漏れないよう、低く小さな声で聞いた。


「……家の中の“違和感”、本当はいつから気づいてたんですか?」


俺は梅のおにぎりの包装をペリペリと剥がし、正面を見据えたまま一口かじる。


「完全に確信に変わったのは、この前みんなでカラオケに行った時ですかね」


石井が、驚いたようにパッと顔を上げる。


「おかしい、誰かに見られている、と思ったのは、もっとずっと前からでしたけど」


石井は箸を持ったまま、自分が作った弁当の中身を、じっと見つめていた。


「それって……私と久城さんが、初めて宮野さんの前で『地主』の話をした時からですか?」


俺は少しだけ咀嚼のスピードを落とし、迷った。


この、正義感は強いがまだ一般人の域を出ない同僚に、本当のことをどこまで話すべきか。


「……まあ、その時には、ある程度この町の構造の推測はできていました」


石井は小さく、納得したように頷きながら、弁当のおかずをそっと口に運ぶ。


「やっぱり、ただの勘違いではなかったんですね」


俺は静かに頷いた。 


「もちろんです。最初は……営業マンとしてのただの勘違い、違和感程度でした。ただ、あの家にいる時に肌にまとわりつくような……常に見られてる感覚だけは、どうしても消えなかった」 


石井の箸が、ピタリと止まる。


「じゃあ、やっぱり……あの人がたまたま突然失踪したとか、行方不明になったわけじゃないんですね」


石井の端正な顔が、急激に暗く曇っていく。確か彼女は以前、この町で行方不明になった、仲良くなった人がいると言っていた。


――その人物が、今も本当に生きているのかどうかすら分からない。


だが、確実にこの町のロクでもない闇に巻き込まれ、良からぬ目に遭っている。


そんな冷酷な確信だけが、俺の胸の奥に重く、深く沈んでいた。


「はい。間違いなく意図的なものでしょうね」


俺はおにぎりを飲み込み、お茶を一口すする。


「……石井さん、こういう話は、いくら人が少なくても公共の場でするのは危険です。壁に耳あり、ですから」


石井はハッとしたように息を呑み、声を潜めながら、怯えた様子で小さく周囲の木々を見渡した。 


まだ石井自身は、この泥沼の深部には深く巻き込まれていない。だが、あの間抜けな久城の方は、借金の件も含めて既に完全に目をつけられている可能性が高い。


だからこそ、俺もあえてここ数日は彼らとの派手な接触を減らしていたのだ。


下手にこちらから大きな動きを見せれば、カメラを外されて焦っている向こうの警戒心を無駄に強めるだけだ。


時間が経てば、そのうち向こうの監視や出方も少しは緩むかもしれない。まずは、相手がどう動くかをじっくり観察させてもらうとしよう。


俺は再びおにぎりを口に運びながら、隣の石井の横顔を、冷徹な目で静かに見つめていた。

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