危険な入り口
追加料金を弾かれた業者の手際は、現金なほどに鮮やかだった。
壁の裏、コンセントパネルの隙間、果ては換気口のダクト内まで――彼らは半日以上をかけて、この呪われた一軒家を徹底的に調べ回った。
そして、最終的にリビングのローテーブルへ並べられたのは。
五つ。
人の親指ほどしかない、無機質な黒い超小型広角カメラだった。
「……こんなに、あったのか」
自分で誘導しておきながら、並んだ実物を見た瞬間、背筋にツララを突き立てられたような悪寒が走った。
知らない間に、ずっと見られていたのだ。
俺がこの部屋で飯を食い、着替え、無防備に眠りについている間も。どこで、何をしていようが、あのモニタールームの主は画面越しに俺のプライバシーを貪り尽くしていた。
作業着の男が額の汗を拭い、ゴム手袋をパチンと音を立てて外しながら口を開く。
「いや、それにしてもかなり巧妙な仕込み方でしたよ。配線もコンセントの裏から直で取ってありましたし、普通に生活してるぶんじゃ逆立ちしたって気づきませんよ」
俺はテーブルの上のカメラを凝視する。
電源の切られたはずの黒いレンズが、まだこちらを嘲笑うように覗き込んでいる気がした。
だが、これでいい。
向こうのモニターには今、ノイズが走るか、あるいは「業者を呼んで大掃除をしていたら、偶然カメラが発見されて次々と回線が切れていく」という映像がリアルタイムで映し出されていたはずだ。
あくまで『不運な偶然』。宮野という無害な住人が、たまたま掃除熱を出した結果の事故。
それが向こうへの牽制(警告)になるのか。
それとも――
ハチの巣を突いたように、余計に相手を刺激してしまうのか。
そこまでは、まだ読み切れない。
「お客様、この取り外したカメラ、どうします? うちで処分もできますけど」
ガタイのいい男に聞かれ、俺は一瞬だけ思考を巡らせる。
触りたくもないほど不気味な代物だ。だが、手放すわけにはいかない。
「……あ、いや、置いていってください。気持ち悪いんで、後で一応警察に持っていくか……細かく砕いて捨てますから」
「そうですか。じゃあ、これで作業は完了となります」
業者の二人は深く頭を下げ、追加の報酬を懐に収めて満足げに家を出ていった。
パタン、と静かに玄関のドアが閉まる。
その瞬間。
家の中が、妙にシンと静まり返ったように感じた。
まるで今まで、耳には聞こえない『誰かの視線の音』が、絶えず室内にノイズのように満ちていたかのように。
「クソッ……!」
衝動のままに、俺は五つのうちの一つのカメラを掴み、剥き出しの壁へと全力で叩きつけた。
カツンッ! と乾いた硬質な音が響く。
プラスチックの筐体が派手に砕け、内部の精密な基盤が床へと虚しく散らばった。
それを見た瞬間――
心臓の奥から、ドクドクと燃えるような妙な高揚感が駆け抜けた。
壊した。
あの忌々しい相手の“目”を。
ずっとこちらを上から目線で見下ろしていた監視者の視線を、自分の手で完全にブチ潰してやったのだ。
呼吸が、熱い。
鼓動が、うるさいほどに速くなっていく。
――ああ、この感覚だ。
かつて、誰もいない深夜の邸宅に、鍵を開けて忍び込む直前の、あの皮膚がひりつくような興奮。
見つかったら終わり。捕まれば人生が破滅する。
なのに、その危険な境界線へと足を踏み入れる瞬間だけ、五感が、身体の奥の細胞が、異常なほどに冴え渡っていく。
あの、狂おしいほどの依存的な感覚。
俺は床に散らばったカメラの残骸を見下ろしたまま、激しく上下する自分の呼吸音を冷徹に聞いていた。
だが。
次の瞬間、コソ泥としての冷ややかな猜疑心が、脳裏に別の影を落とした。
――もし、まだ残っていたら?
あの優秀な掃除屋たちすら見逃している、本命のカメラがまだどこかに隠されているかもしれない。
その考えがよぎった瞬間、熱かった高揚感が一気に氷点下へと冷えていく。
「……五台」
各部屋に一台ずつ。
そして、この広いリビングに二台。
一見すると、部屋の数とカメラのバランスは完璧に合っている。
けど――何かがおかしい。
俺はゆっくりと、キッチンの暗がりへと視線を巡らせた。
業者たちの捜索では、キッチンからは何も見つからなかった。
だが、俺の野生の直感は叫んでいる。あそこには、絶対に『何か』があるはずだ。
この数ヶ月、あそこに立ってコーヒーを淹れるたび、俺の背中にはいつも、言葉にできない悍ましいざわつきが走っていたからだ。
見られている時の空気の震えを、俺は誰よりも知っている。
他人の家に忍び込み、他人の領域を盗む側にいたからこそ、空間のわずかな歪みには誰よりも敏感なのだ。
俺はゆっくりと顔を上げた。
――換気扇。
そういえば、業者の男たちは「レンジフードの表面」は磨いていたが、その奥のファンまで分解してはいない。
そう気づいた瞬間、胸の奥が妙にカッと熱くなった。
見つけられる。
間違いなく、あの中に潜んでいる。そんな確信めいた閃きが脳内を走る。
危ないヤマへ踏み込む直前の、あのじっとりとした嫌な高揚感。
俺はダイニングの椅子をガタガタと引き寄せると、そのまま靴のまま座面に足を乗せた。
ギチ、と体重を支える木製の椅子が軋む。
視線は、獲物を狙う鷹のように換気扇の奥へと釘付けになっていた。
フードの横。鉄板の継ぎ目。
その辺りが、妙に不自然に浮いている気がしてならなかった。
この構造なら、中は確か、排気ダクトに続く空洞になっているはずだ。
俺は手を伸ばし、金属の整流網を慎重に外す。
ガチャン、と重苦しい金属音が小さく響くたび、心臓の鼓動がさらに一段と加速していく。
まるで、誰かが厳重に隠した宝箱の鍵を、ピッキングで強引に暴いているかのような全能感。
いや。実際、俺は今、この家の支配者の秘密を暴いているのだ。
俺は、油まじりの暗闇の中へ、容赦なく右手を突っ込んだ。
視界は遮られ、指先にはベタついた古い油の不快な感触が絡みつく。
それでも、コソ泥の精密な指先は、ミリ単位の違和感を求めて壁の裏を探り続けた。
すると――
指先が、滑らかな金属ではない「何か」に触れた。
不自然な硬い出っ張り。
明らかに建築資材ではない、後から作られた人工物の感触。
その瞬間。
脳髄を、ゾクゾクッとした強烈な快感が突き抜けた。
見つけた。
頭の奥が、麻薬でも打たれたように白く痺れていく。
見つけてしまった。
「……やっぱり、コレか」
俺は暗闇の中で、口元を醜く歪めながら、ゆっくりとその異物を指先で掴み、引き抜いた。
これで、六個目だ。
俺は油の付いた超小型カメラを指先で弄びながら、自分の顔の筋肉が、抑えきれない愉悦で歪んでいくのを感じていた。
コソ泥時代、ターゲットの家で一番高価な貴金属の隠し場所を「一発で引き当てた時」の、あの極上のカタルシスに酷く似ている。
隠されているモノを見つける瞬間。
他人の隠したい秘密の核心へ、この手でズカズカと土足で踏み込む瞬間。
あの最悪で、最高な感覚が、じわじわと俺の理性を痺れさせていく。
俺はまだ作動中だったカメラの電源を物理的に落とし、リビングのテーブルへ持って行った。
先ほどの五台の横に、そっと並べる。
六つの、物言わぬ黒いレンズ。
さっきまで、ずっと俺の一挙手一投足を見張っていた、地主の「眼」の全てだ。
「……さて」
ソファに深く腰掛け、俺は並んだカメラを眺めながら呟いた。
ここからが、本当の本番だ。
これだけのカメラを一斉に外されたことで、モニタールームの向こうにいる連中がどう動くか。
自分たちの盗撮がバレたと知って、烈火のごとく怒るのか。
それとも、泳がせているのがバレたと思って静観を決め込むのか。
あるいは――痺れを切らして、実力行使で俺の前に直接姿を現すのか。
考えるだけで、脳の神経がバチバチと火花を散らすように冴え渡っていく。
ここからは、どちらが先に仕掛けるかの高度な化かし合いだ。相手の動きを、優秀な営業マンとしてのプロファイリングで観察し尽くしてやる。
それに。
今回のカメラの全撤去で、向こうの出方を探るだけじゃない。
近いうちに、怪しい動きをしているあの「隣の家」へ、実際に忍び込んで裏を取る必要もあるだろう。
この町は排他的で、情報が漏れるのが異常に早い。
警察も、近隣住民も、職場の人間も、誰が地主グループと裏で繋がっているか分かったもんじゃない。
下手に一般人のふりをして動けば、一気に網を絞られて囲まれる。
だからこそ、ここからは誰よりも慎重に、コソ泥の足取りで進めなければならない。
……けれど。
気づけば俺は、最初にこの家で見つけた「町に伝わる宝探し」のことなど、半分どうでもよくなっていた。
この閉鎖的な町の底流に漂う、ドス黒く、血の匂いのする圧倒的な危険。
その危険の塊を、自分の嘘と技術でひっくり返してやるという、最悪な遊戯の誘惑に――俺の魂は、どうしようもないほど深く惹かれ始めていた。




