家に隠された目
とある場所の、とあるモニタールーム。
薄暗い室内に整然と並ぶ無数の画面。監視カメラの無機質な映像が、数秒おきに絶えず切り替わっている。そのなかの一つの画面が、大きく中央のメインモニターに映し出された。
青白い光が、一人の若い男の輪郭を冷酷に照らし出す。
「面白いやつが来たな」
男は低く口元を歪めながら、椅子の背もたれに深く身体を預けた。指先でトントンと規則正しく机を叩き、背後に控える老人へ声をかける。
「ええ。まさか、あの短時間で完全に鍵を替えられるとは、我々も思ってもみませんでしたな」
老人は穏やかな、だが感情の抜け落ちた声で返した。画面の向こうで、新しく入居した男が静かに部屋の掃除をしている。
「面白い」
男は目を細め、小さく呟いた。モニターを見つめるその鋭い視線が、画面の中の男の動きにある妙な違和感を捉える。
「この男……少し変わってるな。何かが違う」
老人が怪訝そうに首を傾げた。
「何が違うのでしょう? 映像を見る限り、ただ熱心に室内を掃除しているだけかと」
「それにしては、視線の配り方がおかしい。掃除しているふりをして、何かを探してる」
画面越しの宮野が、ふとカメラの設置場所のすぐ近くへ歩み寄る。男はわずかに身を乗り出した。
「引っ越したばかりの普通の人間が、家具の裏や天井のこんな隅まで執拗に磨くか?」
違和感を覚えながらも、老人は少し考え込んでから言った。
「かと言って、重度の潔癖症というわけでもなさそうです
し……。しばらく様子を見るべきかと思われます」
男はゆっくりと頷く。
「そうだな。近隣の住民や職場からも、特に不審な噂は出ていない。どこにでもいる真面目な人間だと聞いているが……」
「ええ、そのはずです」
その時――。
モニタールームの静寂を破り、電子音のチャイムが鋭く響いた。
男はニヤリと獣のような口元を歪め、ゆっくりと立ち上がって重厚な扉へと向かう。
「客が来る時間だったな。今回の『商品』を、じっくりと見てもらわないと」
老人は静かに目を細め、深く頭を下げた。
先に男が部屋を出る。その後を追うように、影のような足取りで老人もモニタールームを後にした。
まとわりつく視線
俺――宮野がこの町に来てから、随分と時間が経った。
あの後、久城のクソ重たい借金の件も、俺の裏からの根回しと交渉術でなんとか表向きは収まった。
それでも。俺は相変わらず、職場でも、町の店でも、そしてこの家でも、一瞬たりとも気を抜けない毎日を送っている。
特に、この家だ。
玄関のドアを開けるたび、あるいはリビングでくつろいでいる時ですら、皮膚にじっとりとへばりつくような不快な「視線」が消えない。
誰かに、常に見られている。
胸糞悪くなってくるほどの執拗さだ。
だが、部屋の中で感じるその視線の発信源に向けて、俺は一度も目を向けたことはない。気づいていないフリ、呑気で無害な住人のフリを完璧に演じ続けている。
だが――こうも何ヶ月も監視が続けば、流石に次の手を打つべき頃合いだ。
ただ怯えて暮らす趣味はない。カメラが向こうの意図しない形で、あくまで「偶然」見つかるような……そんな自然な状況を作れないか。
俺は思考を巡らせながら、キッチンへ向かった。
棚からお気に入りのコーヒーカップを取り出し、手際よくコーヒー豆を用意する。
……そろそろ、専門の掃除業者でも呼ぶか
それとなく誘導すれば、素人の俺が偶然見つけたという形にせず、向こうが仕事の過程で自然に見つけてくれる。
俺のコソ泥としての、そして営業マンとしての直感が告げている。
――隠されているのは、一個じゃない。リビング、寝室、玄関……最低でも三、四個はある気がしている。
俺はコーヒーを淹れ終えると、リビングへ移った。
ソファに深く腰を下ろし、熱い液体を一口すする。それからポケットからスマホを取り出し、ブラウザの検索画面を開いた。
業者を頼むなら――絶対にこの町の外の人間だ。
町の業者はすべて地主やあの不動産屋と繋がっている可能性がある。頼むなら、このコミュニティの利権とは一切無関係な、外部の全国チェーンのクリーン業者だ。
スマホのウェブ予約画面を開き、偽りのない氏名とこの家の住所を入力していく。
画面に予約カレンダーが表示された。どうやら、運良く明日からすぐに派遣できるようだ。丁度、明日は俺の休みだった。
俺は少しだけ口元を緩め、そのまま予約確定のボタンを押した。
そうなると……。
明日の業者の来訪に向けて、家の中にある「見られてはまずい金や証拠」をどうにかしておかないとまずい。
偽装口座に移すしかないか
使うつもりはなかったが、営業マン時代の裏ルートとコソ泥のツテで、念のためにいくつか作っておいた架空名義の口座だ。
俺はクローゼットの奥から、例の金の詰まった重たいカバンを引っ張り出し、そのまま怪しまれないような自然な動作で車のトランクへ積み込んだ。
この町へ来た当初に比べれば、怪しまれないよう、日々の生活のなかで少しずつ自分名義の口座や別の場所へ分散して移していたこともあり、カバンの重量は随分と軽くなっていた。
俺は運転席に乗り込み、キーを回す。
エンジンをかけ、何食わぬ顔で車を静かに発進させた。
招かれざる「掃除屋」
金をしかるべき場所へ預け終えると、俺はそのまま真っ直ぐ家へ戻り、何事もなかったように夜を明かした。
そして翌日――。
昼を少し過ぎた頃、静まり返った部屋に、鋭いインターホンのチャイムが響いた。
俺はソファからゆっくりと立ち上がる。
一瞬だけ、部屋の空間をぐるりと見回した。
相変わらず、どこか一角から、冷たい視線が俺の背中に突き刺さっている。
「……はい、少々お待ちください」
玄関へ向かい、ガチャリとドアを開ける。
そこには、会社のロゴが入った作業服を着た二人の男が立っていた。
一人は、見るからにガタイがいい。
肩幅が広く、腕も丸太のように太い。体つきや手のひらのタコから、現場での作業にかなり慣れているのがすぐに分かった。
もう一人は、対照的に細身だった。
物静かそうな佇まいだが、帽子を脱いだその目の奥だけは、獲物を値踏みするような妙に鋭い光を宿している。
「こんにちは。本日、ハウスクリーニングのご依頼をいただきました件で伺いました」
細身の男が帽子を胸元に当て、ビジネスライクに軽く頭を下げた。
俺も元優秀営業マンの顔を張り付け、愛想の良い笑みで軽く会釈を返す。
だが、そのわずか数秒の間にも――俺のコソ泥としての観察眼は、二人の靴の磨り減り方、服の汚れの位置、視線の配り方、そして持ち込んできた道具の細部までを完全にスキャンしていた。一度見れば大体の素性が分かる。これはもう、骨の髄まで染み付いた習性だ。
「お待ちしていましたよ。最近引っ越してきたばかりなんですが……どうにも前の住人の汚れというか、細かい部分の汚れが気になりましてね」
俺は玄関の隅、タイルの目地に薄く溜まった土埃へ視線を向けた。
「あー、これは結構頑固にこびり付いてますね」
ガタイのいい男が、その場にしゃがみ込みながら目地を指で擦った。
その横で、細身の男が部屋の内部を窺うように口を開く。
「事前の連絡で、部屋全体の徹底的なクリーニングをご希望と聞いたんですが、引っ越し直後にしては少し珍しいなと思いまして。……失礼ですが、お客様、もしかして潔癖症だったりされます?」
俺は困ったように小さく首を横に振った。
「いえいえ、そういうわけじゃないんですが。せっかくの新生活ですし、最初に徹底的に綺麗にしておきたくて」
細身の男は「なるほど」とだけ返し、貼り付いたような笑みを浮かべた。その視線が、一瞬だけ俺の背後、リビングの奥の天井へと向けられる。
俺は、そのわずかな目の動きを絶対に見逃さなかった。
「中に道具を入れて、早速始めていただけますか?」
俺は二人を部屋へ通した。
そして――俺はあえて、普段なら絶対にやらない行動に出た。
いつもなら無視している、あの「視線」を感じる方向へ、まっすぐに身体を向けたのだ。
リビングの角。天井近くの、何も無い壁。
俺はそこを、親指で無造作に指差した。
「特にあそこ。あの角のあたり、埃がすごく溜まってるのがずっと気になってるんですよ。脚立を使わないと届かないし、重点的にやってもらえますか?」
ガタイのいい男がそちらに視線を向ける。細身の男も、無言のままその部屋の角をじっと見つめた。
そこには、特に何も無い。
棚も無ければ、装飾品も家具も無い。ただの、白いクロスが貼られた壁際だ。
……なのに。
確かにそこから、レンズ越しに俺を見下ろしているような、おぞましい感覚がずっと消えないのだ。
壁のなかの「眼」
ガタイのいい男が手際よく脚立を組み立て、部屋の角へと登っていく。
「あー、確かに埃、結構溜まってますね。クロスの隙間っていうか……」
男は壁際へ顔を近づけ、目を細めた。
「おい、タオル取ってくれ」
下の細身の男が、無言で固く絞った白いタオルを上に手渡す。男はそのタオルを受け取ると、壁の角の埃をガシガシと拭き取っていく。
その時だった。
「……ん?」
男の手が、ピタリと止まった。
「ここ、なんか不自然な穴がありますね。クロスの合わせ目じゃねえな……」
間違いない。
俺は胸の奥で、確信のガッツポーズを突き上げた。
「え、本当ですか? 何か虫の巣か何かですか?」俺はわざとらしく不安そうな声を出す。
男が脚立の上で、その小さな穴の中を凝視した。
「いや、なんか金属っぽいものが……入ってますね。これ、ちょっと奥を突いて取ってみてもいいですか?」
断る理由なんて、どこにもない。
「ええ、お願いします。気味悪いんで、取っちゃってください」
男は指が入らないらしく、何か細くて硬い工具がないかと下に聞いてきた。俺はすかさず、テレビ台の引き出しに入れてあった私物の細いマイナスドライバーを男に手渡した。
男は受け取ったドライバーを、壁の穴へと慎重に差し込む。
「あ、硬いなこれ……接着されてるか、奥で固定されてる……」
小さく悪態をつきながら、壁のボードを傷つけないように、テコの原理でゆっくりと中の「異物」を引っ張り出していく。
そして。
「……よし、出てきました」
男の手の中に、親指の先ほどの、小型の黒い機械が収まっていた。
「これは……カメラ、ですかね?」ガタイのいい男が首を傾げる。
下の細身の男が、それを凝視して低く呟いた。「……カメラだな、確実に」
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で曖昧だった全ての違和感が、完全なる「確信」へと変わる。
男は脚立から降り、取り出した小型カメラを指で摘んで光に透かした。
「しかもこれ、まだ動いてますよ。ほら、裏側のLEDが小さく赤く点滅してる。生きてますね」
やっぱりか。
俺は割れんばかりの喝采を、内心で静かに笑いへと変えた。
玄関に一つ、そしてリビングのここに一つ。なら、寝室や脱衣所、各部屋に最低一つずつは仕込まれていると見て間違いない。思った以上に、徹底的で、悪趣味なストーカーだ。
「うわ、気持ち悪いですね……!」俺はわざとらしく顔をし
かめ、怯える住人のポーズを取った。
隣で細身の男も、複雑な表情を浮かべながら頷く。
「これ、完全に盗撮ですよね。新手の空き巣の下調べか、あるいは前の住人の……」
「そうだな」ガタイのいい男が、険しい顔でカメラを弄る。「普通に犯罪だろ、これ」
俺は視線をその小さなカメラに向けたまま、静かに、だが確実に彼らをコントロールするための営業トークを切り出した。
「……あの、すみません。他にもまだ別の部屋にあるかもしれないと思うと、怖くて今日から眠れそうにないんです。もしよかったら、掃除のついでに、他の部屋の怪しい場所も全部探して、見つけ出してくれませんか?」
二人は一瞬、お互いの顔を見合わせた。
当然だ。彼らはハウスクリーニングの業者であり、盗聴器や隠しカメラの探知専門業者ではない。領分を越えている。
俺はポケットに手を入れ、その重みを感じながら静かに言葉を続けた。
「もちろん、本来の依頼内容じゃないのは分かっています。ですから――基本料金とは別に、特別手当として『追加で』
現金を弾きます。見つけてくれた個数に応じて、色をつけますよ」
その瞬間だった。
二人の男の目の色が、わずかに変わった。プロの掃除屋の目から、ビジネスマンの目へ。
「……分かりました」
細身の男が、少しだけ口元を緩めて頷いた。
「そこまで不気味なものが仕込まれているなら、放っておけませんしね。家中のそれっぽい隙間、全部洗い出して取り外しておきますよ」
探しの専門家ではない。だが、隠す側の心理やオフィスの構造を知る俺が、後ろから「ここが怪しい」「ここが汚れている」と自然に誘導してやれば、彼らはただの優秀な手足となって、すべてのカメラを炙り出してくれる。
なんとなくだが、分かるのだ。
カメラを仕込んだ側の、あのモニタールームの主の考えそうな死角が。
だって、俺も同類だから。隠されたものを見抜き、隙を突く側の匂いは、嫌でも身体が覚えてしまっている。
それに――。
この、自分の仕掛けた罠がパチパチと音を立てて噛み合っていく瞬間の緊張感は、やっぱり、どうしても嫌いじゃない。
トク、トク、と胸の奥で、心臓がやけに冴え渡るように脈打ち始めていた。




