謎の契約書2
沈む車内――
気まずい空気が満ちる中、俺はわざと軽い調子で口を開く。
「500万を久城さんに押し付けて、転勤でさよならですか?」
その瞬間。
木浦の目が揺れた。
……やっぱり。
心臓が少し跳ねる。
こういう瞬間は、嫌いじゃない。
木浦は視線を泳がせながら、何度も久城を見る。
追い詰められた人間特有の動き。
「と、トンズラなんてしない……」
声が小さい。
弱い。
俺はバックミラー越しに木浦を見る。
するつもりだったんだろ。
車内に重たい沈黙が落ちた。
その空気を壊すように、石井が深くため息をつく。
「……その言葉、信用する方が無理ありますよ」
石井は久城へ視線を向けた。
「久城さんも黙ってないで、何か言ったらどうですか?」
借金の話が出てから。
久城はずっと黙ったままだった。
「ああ……何というか……」
久城にしたら、裏切られた気分なんだろう。
別に、このまま木浦を逃がしてもいい。
俺の借金じゃない。
とばっちりが来るわけでもない。
――まあ。
グチャグチャに揉めるなら、それはそれで面白そうだ。
「はっきりさせないと! 大金をこの人に押し付けられるのよ!」
石井は本気で心配しているらしい。
珍しく、膝を小刻みに揺らしていた。
「悪いけど……俺もそんな大金、あげられない……」
歯切れの悪い声。
覚悟も、怒鳴る勢いもない。
中途半端だ。
そういうのが、一番つまらない。
とりあえず、借用書見せてもらいますか?」
口にしてから、自分で少し呆れる。
……俺は何を言ってるんだ。
首を突っ込む気はなかった。
だが、久城を見ていると妙にもどかしくなる。
「しゃ、借用書ですか……」
木浦は慌てたようにカバンを開け、中を探り始めた。
書類を掻き回す手つきが落ち着かない。
――こういうタイプは。
「は、入ってないみたいだ。家かも……」
ほらな。
「嘘かもしれません。久城さん、カバン確認してみてください」
木浦の隣にいる久城へ声をかける。
「は、はい……」
弱々しい返事。
久城は遠慮がちに木浦のカバンへ手を伸ばした。
久城はカバンの中からファイルを取り出し、一枚ずつ確認していく。
慣れない手つきだった。
見ていて危なっかしい。
「私が見ます。貸してください」
石井も大概お節介だ。
久城の不慣れさに耐えられなかったのだろう。
……まあ、俺も同じだが。
久城はファイルをカバンへ戻し、そのまま石井へ渡した。
石井は受け取ると膝の上に置き、慣れた手つきで中を確認していく。
紙をめくる音だけが車内に響く。
「ありそうですか?」
俺は石井に聞く。
「……本当になさそうですね」
そう答えながらも、石井の手は止まらない。
まだ疑っているらしい。
「それで、返すあてはあるんですか?」
聞くまでもない。
あるなら、久城を騙して連帯保証人になんてしない。
「……ない」
木浦が小さく答える。
俺はバックミラー越しに久城を見る。
「久城さんも、怒っていいところなんですよ」
わざとだった。
火が付きそうな空気ほど、妙に落ち着く。
「なんか……ショックすぎて……怒れないと言うか……」
久城は消沈するタイプらしい。
普段の久城なら、もっと感情的になると思っていた。
「分かりました。久城さんはもちろん、木浦さんの借金を肩代わりする気はないんですよね?」
久城は小さく頷く。
「無いです……そんな金、俺にも無いんで……」
だろうな。
貯金してるタイプにも見えない。
「なら、木浦さんの家に行って借用書を確認する。それで、借りた相手にも連絡を入れて――縁を切るぐらいしかないですね」
木浦は黙ったまま俯いている。
まあ、正直。
こいつがどうなろうと知ったことじゃない。
自分で撒いた種だ。
だが。
借用書があるってことは――もう申請は済んでるのか?
嫌な予感がした。
「木浦さん。もう金は借りたんですか?」
その瞬間、木浦の顔色が変わった。
視線が落ちる。
「……はい」
やっぱりか。
「連帯保証人って、簡単には外せないんですよ」
俺はできるだけ簡単に説明する。
車内が静かになる。
石井が、期待するような目でこちらを見ていた。
……そんな顔をされても困る。
「どうにか出来ないんですか?」
俺は小さくため息をついた。
「木浦さん。久城さんより金を持ってる知り合いは?」
木浦は顔を上げない。
「……いません」
「じゃあ、ご両親は?」
「……両親はいます」
歯切れが悪い。
俺は久城へ視線を向けた。
「久城さん。昔からの友達なら、木浦さんの親のこと知ってますか?」
久城は答える前に、木浦の顔をちらりと見る。
……お前が伺ってどうするんだ。
思わず、小さくため息が漏れた。
「知ってます。小さいですけど、この町で会社やってて……」
俺は木浦を見る。
親が金を持ってるのに。
わざわざ、久城を連帯保証人に選んだ。
――訳ありか?
石井がカバンのチャックを閉めながら口を開く。
「だったら、親に頼めばいいじゃないですか」
普通なら、そうなる。
石井の言ってることは間違っていない。
だが――
久城と木浦の表情が、同時に曇った。
「頼めない理由でも?」
木浦は答えない。
代わりに、久城が重そうに口を開く。
「コイツ……昔、暴力沙汰で警察に世話になってて。それ以来、親に見捨てられてるんすよ」
暴力沙汰――と言っても幅が広い。
だが。
親に切られるぐらいだ。
相当なことをやらかしたんだろう。
……その話を聞くと、久城が今までこいつと連るんでいた方が不思議だった。




