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宝を盗みに来た——この町では住人が帰宅後に消える  作者: アグ


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12/52

新たな可能性

カラオケボックスの狭い室内には、安っぽい芳香剤と、微かに湿ったエアコンの風が淀んでいる。


防音壁の向こうから漏れ聞こえる他人の歌声が、逆にこの空間の異常な静けさを際立たせていた。


タブレットの画面に映し出されているのは、崖の斜面に沿って不自然に組まれた鉄パイプの通路だ。


工事用の足場のように細く、無理やり取り付けられたそれは、明らかに人目を避けるために造られたものだった。


俺は石井の手からタブレットを受け取る。


「入り口は……ぱっと見、分かりませんね」


画面を航空写真の表示に切り替え、二本の指でピンチアウトしていく。


画素が粗くなり、影に隠れた岩肌が露わになる。岩肌を這うように伸びる黒いパイプ。


だが——それが地上へと繋がる起点が見当たらない。どこかで途切れている。


「もっと離れた場所にあるんじゃないっすか?」


久城が背後からぬっと顔を覗き込み、コーラの甘い匂いを漂わせながら言った。


そのまま、少し考えるように細めた目で画面を凝視する。


「……この右側。ここ、公園あるんすよ」


久城の指先が、画面の一点をトントンと叩いた。


俺は言われた方向へ画面をスライドさせる。ごちゃごちゃとした住宅地を抜けた先に、遊具が数個置かれただけの小さな公園が映し出された。


「ここ、夜は街灯も薄暗くて、ほとんど人が来ないんで」


何気ない一言。



だが、その滑らかな口調が、俺の耳に妙に引っかかった。


「映画とかだとさ、ゴミ箱の下に地下ハッチがあったり、公衆トイレの裏に隠し扉があったりしますよね」


場違いなほど軽い口調。緊張感のない笑み。


俺は引きつりそうな頬を抑え、苦笑いを浮かべる。


「久城さん……それ、SFの見すぎじゃないですか?」


久城は「バレました?」と言いたげに、にやりと口元を歪めた。


「よく分かりましたね。まぁ、俺の勘ですけど」


そのやり取りを、石井は一言も発さずに見つめていた。ただ、冷徹な目で画面と久城の横顔を交互に往復している。

やがて、石井は小さく首を振った。


「……公園は、ないと思います」


視線はタブレットに落としたまま、声のトーンだけを一段落とす。


「子供が使う場所ですし、昼間の人目は多い。いくら夜間に人が途切れるとはいえ、そんなリスクのある場所に拠点の入り口を造るメリットがない」


——確かにそうだ。


夜間に誰かを連れ去る、あるいは運び込むにしても、わざわざ目印になるような公共の場所を選ぶ理由がない。


……公園は、違う。別のどこかだ。


俺はゆっくりと顔を上げ、正面に座る久城を見つめた。


「久城さん」


一拍、贅沢に間を置く。室内のカラオケの機材が、小さくブーンと電子音を立てている。


「話、戻りますけど」


久城がコーラのグラスを傾けたまま、上目遣いでこちらを見た。


「ん? なにっすか?」


「俺の家の近所、聞き込みしましたよね」


久城は喉を鳴らしてコーラを飲み干すと、一度、深く頷いた。


「ああ、しましたよ。宮野さんの家の周りをぐるっと」


空になったコップを、テーブルのプラスチックの天板に静かに置く。


その指先の動きを、俺の目は執拗に追いかけていた。


「その時——」


わずかに上体を前に傾け、物理的な距離を詰める。


「変なこと、言ってた人……いませんでしたか? どんな小さなことでもいいんです」


久城はコーラの入っていたグラスを、今度は両手で包むように握り直した。


結露した表面の水滴を、親指の腹で静かになぞる。


じわりと、冷たい水滴が皮膚に吸い込まれ、親指が動いた軌跡だけが綺麗に拭い去られる。ゆっくりと、何度も、それを擦り広げていく。


「……いや。俺には、なんの違和感も感じませんでしたよ」


一瞬。


答えるまでに、わずかな、しかし決定的な「間」があった。


部屋に重苦しい沈黙が落ちる。


「……宮野さん」


それまで黙っていた石井が、遮るように口を開いた。


「久城さんにそれを聞いても、あまり意味はないと思います」


石井の視線は、冷ややかに久城へと向けられていた。


「この人、基本的に単純ですから。こういう聞き込みも、全体の『雰囲気』とか感覚でしか見ていない。細かい言葉の裏まで読めるタイプじゃないですよ」


冗談めかした口振りだったが、その言葉のナイフには確かな刺があった。


——長い付き合い。互いの限界を知り尽くしているからこその、容赦のない断言。


「……そうか」


俺は肺の底から小さく息を吐き出した。


「じゃあ——覚えてる範囲でいいです」


久城の目から視線を外さない。逃がさないように、声を低く這わせる。


「彼らが話した言葉を、できるだけ細かく、そのまま教えてください」


久城はグラスから手を離し、背もたれのない長椅子にどさりと背中を預けた。


天井の照明を仰ぐように、わずかに視線を上に向ける。


「そうっすねぇ……。直近の、あの、六人目の家の人たちなら——まだ覚えてるかも」


首を不自然に傾げる。


衣服が擦れる音、その仕草のすべてが、妙に引き延ばされたスローモーションのように見えた。


「それでいいです。頼みます」


短く促す。


久城は「了解」とでも言うように、一度だけ深く頷いた。

——仕方ない。


俺たちと違って、久城はただの一般人だ。事件の匂いや、人間の嘘が孕む微かな違和感まで拾えというのは酷な話だ。

だが——



それでもいい。素材さえ揃えば、調理するのは俺の役目だ。


すでに俺の頭の中では、パズルのピースがいくつかの形を成し、ひとつの不気味な仮説が浮かび上がり始めていた。


もし、その仮説が当たっているのだとしたら。


今から久城の口から語られる話は——


単なる「近所の噂話」じゃ、終わらない。


揃いすぎた証言


久城は視線を宙に浮かせたまま、記憶の引き出しを手探りするように、ゆっくりと口を開いた。


「六人目は……老夫婦でしたね。確か」


少し間を置く。


「旦那さんの方が、随分と足が悪くて。普段からあんまり外には出ない、大人しい人だったみたいっす」


——普通だ。


高齢化の進む住宅街なら、どこにでも転がっているような話。


「でも、奥さんの方はアクティブっていうか、よく近所で見かけられてましたよ」


「夜でも?」


俺が言葉を挟むと、久城は考える風でもなく、あっさりと頷いた。


「っすね。なんか……夜遅くに、誰かと会ってたみたいで」


「誰か? 心当たりは?」


「さぁ……そこまでは。近所の人も、暗くて顔までは見えなかったって言ってたし」


久城は曖昧に笑う。


だが——。



「ただ、近所の何人かが同じことを言ってたんすよ」


久城は軽く肩をすくめてみせた。


「“あの人たち、よく海馬さんのところに行ってたよね”って」


一瞬、思考の歯車がガチリと止まる。


「地主の……海馬か?」


「そうそう、あの広い屋敷の。なんか個人的な用事でもあったんじゃないっすかね」


——軽い。


言葉の重みが、この事件の異常性に全く見合っていない。


「それに——」


久城は悪びれもせずに続ける。


「みんな、判で押したみたいに同じこと言ってましたよ。“本当に、いい人たちだったのにねぇ”って」


「……みんなが、同じ言葉を?」


「っす。誰に聞いても同じトーン、同じ感じでした。絵に描いたような善人だったって」


笑いながら言う久城の顔を眺めながら、俺の背筋に冷たいものが走る。


違和感は、まさにそこにあった。


久城は首を左右に傾けてボキリと軽い音を鳴らしてから、さらに記憶を引っ張り出すように言葉を継いだ。


「その六人目の老夫婦……失踪する前日の日中も、至って普通だったみたいっすよ」


「“みたい”?」


今度は石井がすかさず言葉を拾った。刑事の目が鋭く光る。


「近所の人の話っす。夕方までは、確かに家に明かりがついてて、中にいた気配があったって」


久城は手持ち無沙汰そうに、人差し指でテーブルの天板をリズミカルに叩く。トントン、と乾いた音が響く。


「で、夜になってから——奥さんの方だけが、一人で外に出ていくのが目撃されてるんです」


「旦那は?」


「家っすね。さっきも言った通り、足が悪いんで」


——そこまでは、まだ辻褄が合う。


「時間はいつ頃ですか?」


俺が聞く。


久城は少しだけ視線を泳がせ、記憶を確認してから答えた。


「九時くらい、って言ってましたね」


「“言ってた”? 誰が」


石井の声が、明らかに低く、威圧を孕んだものに変わる。


「えっと……何人かっすよ。その通りを偶然通りかかった近所の人たち」 


曖昧な答え。集団の顔が見えない。


だが——。


「みんな、全く同じ時間帯を口にするんすよね」


久城は石井の気迫に気づいた様子もなく、のんきに続ける。


「“九時過ぎに、奥さんが歩いているのを見た”って。みんな揃って」


一瞬、室内の空気が凝固したような沈黙が落ちた。


「……揃いすぎじゃないですか?」


石井が不快そうに眉をひそめる。別の目撃者たちが、分単位で同じ時間を証言する。そんな偶然が、この手の事件で起こる確率がどれだけある?


「まぁ……狭い田舎の住宅街ですし、たまたまじゃないっすか?」


久城は「考えすぎですよ」とでも言いたげに、軽く笑う。


「それで、その後の足取りは?」


俺は久城の目を見据えたまま、逃がさないように問いを重ねる。 


「それが——」


久城は、そこで少しだけ言葉を切った。今日初めて、彼の声から軽薄さが一瞬だけ消える。


「その日の夜、やっぱり地主のとこに行ってたらしいっす」


じわり、と部屋の空気が張り詰める。


「……海馬の家に?」


石井が、念を押すように確認する。


「っす。なんか、差し迫った用事でもあったみたいで」


「誰がそれを見たんだ」


「近所の人っすよ」


即答だった。あまりにも、淀みがない。事前に用意されていた台本を読み上げるかのように、早すぎる回答。


「帰ってきたのは?」


俺の問いに、久城は今度は小首を傾げた。


「それは……誰も見てないみたいっすね。夜も深かったですし」


——不自然だ。あまりにも不自然すぎる。


「でも——」


久城は悪びれずに言葉を続けた。


「“あの奥さんなら、用事を済ませてちゃんと家に帰ってきてたはずだ”って、みんな口を揃えて言ってましたよ」


「……見ていないのに、帰宅したと断言しているのか?」


石井の声が、わずかに鋭く、突き刺すような響きを帯びる。


「そうっすね」


久城はあっさりと頷く。


「なんていうか……“そういうもんだろ”って感じで。あの時間なら、普通はもう家に帰って寝るだろう、みたいな」


久城はまた、いつもの軽い笑みを浮かべた。


だが、その軽さが、かえって奇妙な輪郭を持って俺たちの前に浮かび上がる。


——完璧に揃いすぎた、目撃時間。


——誰も見ていないはずの、確信に満ちた帰宅の証言。


——近隣住民全員が共有している、全く同じニュアンスの言葉。


まるで、誰かに「そう証言しろ」と吹き込まれたかのような——。


俺は、胸の奥で暴れそうになる鼓動を抑えながら、静かに息を吐き出した。

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