第43話「廻せ」
切り替えの時が来た。
心臓部。七箇所のバイパスが回っている。四十五度で。旧回路の七十度と並行して。二つの回転が共存している。まだ——切り替えていない。
フェーダーが歌い始めた。声で。旧回路の回転速度を測りながら——新回路の回転速度を合わせていく。
声が地下空間に響いている。低い声。倍音を含んだ声。千年の歯車が声に応えて——微かに振動を変えている。
「四十七ヘルツ——四十六——四十五——」
フェーダーの声が数字を刻んでいく。旧回路と新回路の回転差が縮まっていく。
切り替え用の歯車を押し込む役は——五人で分担した。七箇所を五人で。
ベルがステッキで二箇所。心臓部の最深部。最も精密さが求められる二箇所。 ルストが柄で三箇所。頭のないハンマーの柄。しかし鍛冶師の腕力と精度で——正確に。 カリンが手帳の革表紙で一箇所。手帳を四十五度に傾けて歯車に当てて押す。記録者の道具が——工具になる。 グロックが管理用工具で一箇所。五十年間計器の微調整に使ってきた細い金属棒。精密さは——誰にも負けない。
五人が七箇所の接続点に散った。それぞれの持ち場に。暗い通路の中で。蒸気灯のちらつく光の中で。
「四十三——四十二・五——四十二・二——」
フェーダーの声が——震え始めた。七つの振動数を同時に制御している。声帯が限界に近い。しかし——止めない。止められない。
地上で——異変が起きていた。街灯がちらついている。路面電車の速度が変わっている。蒸気管の圧力が揺れている。街の人々が立ち止まっている。何かが起きていることを——体で感じている。
「四十二——同速!」
フェーダーの声が叫んだ。声が裂けそうだった。しかし——正確だった。揺れのある正確さ。七つの振動数が完全に一致した瞬間。
〇・三秒の窓。
「今——!」
五人が——同時に接続歯車を押し込んだ。
ベルのステッキが金色に光った。ギアシフトではない。しかし四十五度の角度で。歯車エンブレムが接続歯車に触れた。 ルストの柄が正確に三箇所を突いた。頭がなくても——鍛冶師の手は正確だった。 カリンの手帳が四十五度に傾いて歯車に当たった。革表紙が歯車を押した。記録者の手帳が——千年の歯車を動かした。 グロックの工具が一箇所を精密に押し込んだ。五十年間の手の感覚が——一ミリの狂いもなく。
がちん。がちん。がちん。がちん。がちん。がちん。がちん。
七つの音が——一つの音として響いた。心臓部全体に。壁面に。天井に。床に。千年の歯車に。
旧回路が切断された。新回路に——全流量が切り替わった。七十度から——四十五度に。
衝撃は——なかった。フェーダーの声の同調が完璧だったから。
しかし——旧回路の歯車が暴れた。
切断された七十度の歯車列に、行き場を失った回転エネルギーが残っている。新回路に流れなかった残存エネルギー。歯車が空転を始めた。軋みが走った。このまま放置すれば——旧回路の歯車が砕けて破片が飛ぶ。
「スチーム・リボン——!」
ベルがステッキから蒸気を噴射した。ギアの粉が蒸気に溶けた。金色のリボンが七本——ステッキの先端から伸びて、旧回路の七箇所の歯車に巻きついた。
空転が——止まった。金色のリボンが歯車の回転を優しく減速させている。急停止ではなく——減速。リボンの弾力が衝撃を吸収しながら、歯車をゆっくり止めていく。
十秒。二十秒。三十秒。
旧回路の歯車が——完全に止まった。千年間回り続けていた七十度の歯車が。静かに。穏やかに。
リボンが消えた。金色の粒子に変わって——空気に溶けた。
唸りが——消えた。
千年間鳴り続けていた唸りが。低周波振動が。お父さんの工房の警告音と同じ唸りが。——消えた。
代わりに——穏やかな回転音だけが残った。がちり。がちり。がちり。正しいリズム。正しい角度。四十五度の噛み合いが生む——正しい音。
地上で——街灯のちらつきが止まった。路面電車の速度が安定した。蒸気管の圧力が均一になった。
街の人々が——立ち止まっていた。何かが変わったことに気づいて。しかし何が変わったのかはわからずに。ただ——静かになった。
静かになった。それだけ。しかしその「それだけ」が——千年ぶりだった。
グロックが計器を見ていた。携帯用の小さな計器。管理室から持ち出した。針が——安定している。揺れがない。五十年間揺れ続けていた針が——正しい位置で止まっている。
グロックの目から——涙が落ちた。二度目の涙。前回は悔恨。今回は——。
「動いとる。正しく。——千年ぶりに」
フェーダーが——倒れた。膝から崩れた。声を出し続けた負荷。喉が焼けている。声が——出ない。
「フェーダー——!」
カリンが駆け寄った。水を飲ませた。
フェーダーが——声の出ない口で、唇だけで言った。
「……歌えた」




