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05 記憶の絶望

「……ロスティ様」


 クリスタリア魔法学院、学生寮の一室で私はベッドの上に座っていた。

 舞踏会からもう数日が経っていた。あれからロスティ様はアルベルト様に連れて行かれ、私もホウキ隊に拘束された。


 私は牢屋に入れられ、すぐに釈放された。アルベルト様が罪を不問にしたからだ。

 アルベルト様の意図は分からない。王子へ杖を向けるなど許されて良い罪ではない。

 本来ならば感謝や謝罪の手紙や贈り物をするべきだ。だけど、頭も体もまともに動かない。


 食事の味も、昼夜の区別も曖昧だ。ベッドに流れ落ちた黒髪はほとんど動かず、朝鳴き鳥の羽ばたきだけが時を告げている。

 この部屋はロスティ様との相部屋だ。主が帰らない向かいのベッド。ロスティ様は少しだけ朝に弱くて、そんな彼女を起こすのが私の日課だった。


「ロスティ様、何で?」


 朝の光、鳥の囀り。今の私にはどうでも良い。頭にあるのはロスティ様の事だけだ。

 あの夜、ロスティ様は自身へ魔法を使い、自分の記憶を追憶石にして空へと放ってしまった。

 大量の追憶石だ。あれ程の記憶をロスティ様は自ら失わせたのだ。


 一体、ロスティ様はどうなってしまったのだろう?

 そんな事ばかりがグルグルと頭に浮かぶ。煩悶に囚われた私は何もできないままこの部屋に引きこもっていた。


「この追憶石は何なんですか、ロスティ様?」


 私の両手の上にはロスティ様が落とした白い追憶石があった。

 これを拾い上げた時、頭に流れた記憶。あれはロスティ様の物だ。


 記憶にあった感情は身を引き裂かれる様な絶望だ。あのような感情をロスティ様が持っていたと私は知らなかった。

 ロスティ・メモワールは絶望していた。

 私は、私だけは知らなければいけなかった事を私は知らなかったのだ。


 白い追憶石に肌で触れているから、今も私の頭には記憶が再生されている。

 何度も何度もロスティ様の絶望を私は再現する。


「あなたに何があったのですか? 何故、私に教えてくれなかったのですか?」


 言葉に出しても答えは無い。それを持っていた人は今この場には居ないのだ。

 私はロスティ様に救われた。一族から疎まれ、学園でも孤立していた私を救い上げてくれたのがロスティ様だ。

 私を救ったロスティ様の笑顔は今も瞼の裏に焼き付いて離れない。

 そんな人の絶望に私は気づけていなくて、ロスティ様は私の眼の前で自分の記憶を失わせた。


 ロスティ様はどれ程の記憶を失ってしまったのだろう?

 どうしてこれ程までに追い詰められてしまったのだろう?


 私は何も知らなかったのだ。一番近くであの人を見ていた筈なのに。


 何もできずに、私はただ白い宝石から絶望を再現する。

 臓腑が引っ繰り返る様な苦しみ。胸を抉る様な悔しさ。眼を穿つ様な怒り。

 これはロスティ様の感情だ。私の物ではない。


 ああ、けれど、境目が分からなくなっていく。


 ふと、廊下の方から足音が聞こえた。

 誰かがこの部屋の前を通ったのだろう。ここは学生寮だ。今は授業中の筈だったが、忘れ物などを取りに来たのかもしれない。


 次の瞬間、廊下で小さな悲鳴が上がった。


「……え、なに、なに、これ?」


 震える声がして、その後に嗚咽が鳴った。


「あ」


 その嗚咽に気づいた。部屋は私から漏れ出した泥の様な魔力で溢れ、それが外に流れている。

 まずい。私は追憶石を服のポケットに入れ、手から離す。


 絶望の再現が止まる。泥が次々と泡の様に消えていった。

 そのまま、息を潜め、部屋の前へ耳を澄ませた。


「……何? 何だったの?」


 少しして、部屋の前から小走りで誰かが去っていく音がした。


「……ごめん、なさい」


 部屋の四隅を見る。そこには魔力遮断の魔法が込められた魔石があった。これを超えてしまう程、私は魔力を溢れさせてしまったのだ。

 私の魔法が今誰かを傷つけた。ロスティ様が認めてくれた魔法がまた誰かを傷つけてしまったのだ。


 私は心狂いのフィリア・オブリビオン。その魔力は他者の心を狂わせる。

 眼を閉じて顔を覆う。


 何も考えるな、何も考えるな、何も考えるな。

 何度も自分にそう言い聞かせる。




 コンコンコンコン。部屋がノックされたのはしばらく後の事だった。


「フィリア様、フィリア・オブリビオン様は居られますか?」


 知らない男の声だった。引きこもってしまった私をオブリビオン家が見かねたのか? と想像が頭を過ぎる。そんな事はあり得ない。お父様もお母様も年の離れた弟のお世話に夢中だ。私に気を割く筈が無い。

 であれば、誰だろう? オブリビオン家だけでなく、この学園で私にわざわざ話し掛ける者はロスティ様を除いて居なかった。


「フィリア・オブリビオン様、フィリア・オブリビオン様、居られませんか? アルベルト様から御用命を預かっております。かのロスティ・メモワール様の事です」


 バァン!


 私はドアを殴るように開け放ち、廊下へ飛び出していた。


「ロスティ様に何かあったのっ!?」


 そこに居たのは王国ホウキ兵だった。舞踏会の夜、アルベルト様へ魔法紙を渡した青年だ。

 彼は魔弾の様に廊下へ転がり倒れた私に目を丸くしている。令嬢としてあるまじき姿だったけれど、そんな事はどうでも良い。

 今この男はロスティ様の事を話したのだ。早くその続きを聞かなければならない。


「ロスティ様は、ロスティ様はどうなってしまったのっ!?」


 抑えようとしていた感情が嘘の様に爆発する。まずいとは分かっていた。今私は魔力拘束をしていない。なのに自分でも分かる程に感情が高ぶっている。

 溢れた魔力が泥の様に周囲を染める。それを止められないままに私はホウキ兵の腕を掴んでしまった。


「ねえ教えてよ! ロスティ様は今何処に居るの!?」

「っ。これが噂の」


 ホウキ兵は顔をしかめる。私の魔力が彼へ伝搬しているのだ。

 すぐにホウキ兵が右手中指の指輪の魔石に魔力を込めた。


「鎮まれ」


 瞬間、彼の魔法が発動し、私から溢れた魔力が穏やかな水面の様に沈静化する。

 今の動きで分かる。このホウキ兵はフィリア・オブリビオンがどの様な存在か知った上でアルベルト様に送り込まれたのだ。


「フィリア様、どうか落ち着きください。自分はあなた様をロスティ・メモワール様の所へお連れせよと御用命を承っております」

「すぐに連れて行ってっ」


 私は眼を見開き、ホウキ兵へ声を張り上げた。先ほどから感情が暴走している。ホウキ兵の魔法が無ければ、魔力の泥がこの寮全てを吞み込んでしまう。

 けれど、止められない。止める事ができない。

 気持ちは逸り、心臓が鳴り、頭の後ろが熱く成っている。


「では、こちらへ。外にホウキを用意しております。フィリア様はホウキに乗る事は?」

「できるわ。ええ、ロスティ様と何度も飛んだもの!」


 何でもする。理由なんて無い。ロスティ様に会えるのであれば、他の全ては二の次だ。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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