34 狂乱の泥
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
感情の泥が溢れ出す。止められない。絶望を孕んだソレはあっと言う間にホウキ乗り場を飲み込んだ。
「フィリア様!」
軍用ホウキの上でロスティとカイルが叫んでいる。彼女の顔は悲痛に満ちていた。
早く鎮めなければ。分かっている。感情を殺せと長年の習慣が言っている。
駄目だ。絶望を止められない。
ロスティ様、ロスティ様、ロスティ様。もうあの方に会えない。もうあの方と話せない。もうあの方に触れられない。
ならば、生きる意味が何処にあるの?
「鎮まれ!」
鎮静の光が私を打つ。けれど、意味はない。絶望には果てが無かった。
「カイル、何が起こっている!?」
「感情魔法の暴走だ! 早く止めないとまずいぞ!」
「鎮静魔法は!?」
「効いてない!」
空にホウキ兵達が集まっていた。兵達はそれぞれが魔石を向け、魔法を放つ。
拘束の光輪が私を捉えた。全身が強く締め付けられ意識を落とそうとしてくる。
けれど、感情が暴走した私はその意識を手放せない。
絶望を溶かした泥が王城を浸食していく。
「殺すしかないか?」
ホウキ兵の誰かから声が上がった。
非殺傷の魔法ではフィリア・オブリビオンを止められない。ならば、殺してでも王城への被害を抑えなければ。
そんな言葉が聞こえる。
それでも良い。
この絶望を終わらせてくれるならば何でも良い。
私の体は抵抗する動作も見せずに泥を吐き出すだけだ。
「あ、おい! 待てロスティ・メモワール!」
その時、カイルの焦る声が聞こえた。その声が出した名前に私は空を仰ぐ。
「フィリア様ぁ!」
ロスティが空から降ってきた。
兵から奪ったホウキに乗って真っ直ぐに私へと落ちて来る。
「やめ、て」
近づくな。近寄るな。近寄らないで。
拒絶の泥が彼女へ伸びる。
けれど、ロスティは避けてくれない。闇の様な真っ黒な泥がその体を飲み込んでしまう。
泥の向こう。ロスティが顔を歪めた。私の絶望がその心を浸食する。
早く逃げて、と私は声無く叫ぶ。
こんな気持ちの悪い物をあなたに触れて欲しくない、とロスティへ言う。
私の心を知られたくない、と世界へ願う。
「やめて」
願いは聞き届けられない。
顔を歪めたまま目を見開いて、泥闇をロスティは真っ直ぐに進んでくる。
進む先は決まっていて、届く先も分かっていた。
逃げようと体が動く。だけど、もう彼女は目の前に迫っていた。
ホウキを捨て、ロスティは飛ぶ。そして、その両腕に私を抱き締められた。
いつか知った暖かさが私を包む。それでも絶望の泥は止まらない。
「はな、れて。壊れちゃう、から」
「いい、え。ぜったいに、はなれません」
ロスティが空を睨み、声を張り上げた。
「ロスティ・メモワールがここに居ます! フィリア様は殺させません! この人を殺すと言うのであれば、わたしごと撃ちなさい!」
聞いた事が無い大きな声。その声の中で、触れ合う私達の感情が溶け合っていく。
ロスティは本気で私を守ろうとしていた。心を狂わせ、狂乱の泥をまき散らすこの女を本気で助けたいと思っていて、私を傷つけさせまいと願っていた。
「どう、して」
私が会いたいのはロスティ様だ。決してこの少女ではない。
知っている暖かさが絶望を強くする。それは触れ合う少女にも流れ込み、ロスティは息も吸えない程に顔を歪めていた。
ああ、なら、仕方ないか。
震える体温を感じながら私は杖を出し、自分の顔に向けた。
普通の魔弾は苦手だ。だけど、この距離なら人一人を殺すくらいできる。
「駄目です! フィリア様!」
魔石の杖へ魔力を込めようとした私をロスティが止めようとした正にその瞬間だった。
「〝壊れろ〟」
ただの命令だった。その一言で、私から溢れ出していた感情の泥が全て砕け散る。
何が起きたのか。それをこの場の全員が直ぐに理解する。
ホウキ乗り場の向こう。アルベルト様が魔石の腕輪をこちらに向けて立っていた。
「おお、これが噂の心狂いか。なるほど、感情への魔力感度が高過ぎんだな」
「兄上、あまり離れないでください。まだ泥が残っているかもしれません」
アルベルト様とクライン様が王城の中からこちらに歩いてくる。
二人の殿下の登場にこの場の全員が息を止めた。
ホウキ乗り場の中央で殿下達は足を止め、私と私を抱き締めるロスティを見る。
「フィリア・オブリビオン、何があった?」
「……私が、魔力を暴走させてしまいました」
「何故だ?」
「それは、ロスティ様が元に戻らないと、言われて」
「誰にだ?」
有無を言わせないアルベルト様の声に私の眼は自然と父を探す。
父は少し離れた場所で気を失っていた。
「そうか」
私の視線を答えとし、アルベルト様は短く頷いた後、こちらへと歩く。
どの様な理由であれ、私は王城で魔力を暴走させてしまい、その暴走を止めるのに殿下のお手を使わせてしまった。
罪の裁定はアルベルト様の手の上にある。
「早く次の記憶石を探したまえ。それをお前への罰とする」
「……え?」
返事を聞く気は無い、とでも言う様にアルベルト様は頭上のホウキ兵達を見た。
「言葉の通りだ。この者は僕の名代だ。罰も命じた。何人たりとも拘束は許さない」
有無を言わせぬ言葉を受けてホウキ兵達が空中で身を正す。
その中からカイルが下りて来た。
「……お手を煩わせてしまい、申し訳ございません。アルベルト様」
「気にするな。カイル、あと少しだ。全霊で彼女達の監視と護衛を続けろ」
確信めいた言葉を出した後、アルベルト様が私達を見る。
「ロスティ、次の追憶石の場所は?」
「こちら、です」
震えながらロスティが白の追憶石を取り出す。そこからはまた光が伸びていた。何度か見たから分かる。次の追憶石はここから近い場所にある様だった。
怜悧な蒼玉の瞳が細められ、アルベルト様が言う。
「君達の時間はあまり残っていない。残りの追憶石を何としても見つけたまえ」
どうして? と聞き返せない。今のお言葉は殿下として命令だった。
「承知、いたしました」
もう私には何の意味も残っていないのに。それでもロスティ様の記憶探しを続けなければならないのだ。
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