33 記憶の再生は
「これはどういう事だフィリア!」
父は顔を憤怒で染め上げていて、左手には見覚えのある黒髪の束が握りしめられていた。
「何を考えている!? どこまで我々に迷惑をかけるつもりだ!」
その手に持っていた黒髪は絶縁の証として私が断髪した物だ。
「今、我らはお前の浅はかな行いの所為で恥晒しだ! 心狂いのお前をここまで育ててやった恩を忘れ、絶縁し、あまつさえそこの罪人を助けようだと!? ふざけるのもいい加減にしろ!」
「──っ!」
父の右腕が私の襟を掴み上げた。喉が締まり、苦しい。
恐怖と苦悶、そして、少しの歓喜。私は自分の感情を知覚する。
こうして父が触れてくれたのはもしかしたら初めてかもしれなかった。
「はな、して。お父様、くるしい」
「黙れ黙れ! 即刻お前を屋敷へ連れ帰る! もう二度と外には出れないと思え!」
「私は、もう、家を捨て、ました」
「お前の意思など関係あるか! 心狂いの意思など誰も求めておらぬわ!」
父は本気だ。見ればその背後にはオブリビオン家の私兵が居た。
本気で私を閉じ込める気なのだ。それは駄目だ。私はロスティ様のお記憶を取り戻さなければならない。
「フィリア様を、離してくださいっ」
そう言って、ロスティが父の右腕を掴み、私を助けようとした。
「黙れ罪人が!」
父の左腕が強かにロスティの顔を殴り飛ばす。
頬骨が打たれる音。先ほど見た記憶と同じ様な音。ロスティの体は宙を浮き、そして地面へと落ちた。
「お前がアルベルト殿下の婚約者であったから、この心狂いに価値があったのだ! 罪人と成ったお前には何の価値も無い! 身の程を弁えろ!」
父が何かを言っている。私の耳には入ってこない。眼は地面に倒れたロスティを見ていて、耳はその口から出た小さな呻きを聞いていた。
刹那、感情が溢れ出す。カイルが掛けた鎮静魔法を破壊して真っ黒な魔力が泥の様に流れ出した。
「っ」
父が私から離れようとする。それよりも早く、私の手は杖を父へと向けていた。
「コール・悲哀」
放たれるのは悲哀の魔弾。死を意識する程の哀絶。
それを受けた父はその場で胸を掻きむしった。
「き、さま!」
だが、与えた感情よりも私への怒りが強い。悲しみと怒りで顔を歪めた父の魔石の指輪が光り出す。
「放て!」
生まれたのは魔弾。私のとは違う、相手を殺せる魔力の塊。
防御魔法は間に合わない。杖を持ったまま私は硬直する。
「鎮まれっ」
瞬間、カイルの声が響いた。穏やか光が私と父、そして、魔弾を包んだ。
結果、魔弾は急速に勢いを鎮め、私と父も体から力が抜けて、それぞれが地面に膝を付く。
「リムナント子爵、ここは王城です。戦闘行為はお止めいただきます」
「お前は、セディリック家の」
「はい。カイル・セディリックです。今、ここに居るフィリア・オブリビオンは我が主アルベルト殿下の管轄下にあります。いくら子爵の頼みとは言え、お渡しはできません」
カイルの言葉に父は苦々しく顔を歪め、私を睨んだ。
憎悪と侮蔑と憤怒。伝わる感情は激しくて、私の心を乱す。
立ち上がった後、しばらく父は何も言わずに私を睨み続けた。
「お前、何を考えている? そこの罪人の記憶を取り戻すだと? そんな事をしてオブリビオン家に何の利がある?」
「オブリビオン家は関係ありません。私がロスティ様のお記憶を取り戻したいだけです」
「それに何の意味がある? 記憶を取り戻したからと言って何になると言うのだ?」
「ロスティ様は自身の記憶の全てを失ってしまいました。それを取り戻さないと」
「だから、取り戻して、何になる?」
私は気づいた。
怒りに満ちた父の言葉の中に僅かだが、困惑の感情が混ざっていた。
「全ての記憶を取り戻して、ロスティ様を元に戻すんです。そうすれば──」
「──何を言っているんだ、お前は?」
父の中で困惑の感情が大きくなった。
憎悪する訳でも、侮蔑する訳でも、憤怒する訳でもない。
私の言葉に純粋に困惑しているのが伝わった。
何でそんな感情を持つのか? 聞く前に父は言葉を繋げた。
「それは不可能だ。記憶の再生は記憶の定着ではない」
「え?」
背筋が粟立つ。これ以上聞くなと脳が警告する。
「お前は既にいくつかの記憶を再生したらしいな。なら、この女はロスティ・メモワールに成ったのか? 近づいてもいない筈だ」
それはずっと考えない様にしていた事だ。
「最初に失った記憶の量が多過ぎる」
父の言葉が遅く感じる。
「同じ記憶を入れ直したとして、出来上がる人格は別物だ」
でも、この人の感情は伝わってきていて、
「仮に、そこの罪人が全ての記憶を取り戻せたとしても、」
そこには何の乱れも無かった。
「お前の言う元のロスティ・メモワールに戻る事は無い」
私の眼がロスティを見た。
ロスティが視線を逸らす。
それが答えだった。
背けていた真実が私の心を焼く。
「あ」
私はもうロスティ様に会えないのだ。
嘘。うそ。ウソ。そんなわけ無い。
「フィリア、様」
「あ」
紅玉の瞳が私を見た。
「あ、ああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
感情が決壊する。感情の魔力が濁流と成って流れ出す。
心狂い。
その蔑称を体現し、泥と闇を煮詰めた様な魔力がこの場の全てを飲み込んだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
フィリアの世界が壊れてしまいました。物語も終盤です。
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