31 紫の追憶石
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冷たい風が頬を撫でる。夜星の空をホウキで駆ける。
いつの間にか、記憶魔法で罪を犯した数は両手足の指を使っても数えられなくなっていた。
眩暈がする。首の後ろが引き攣っていて、喉の奥から胃液が上がる感覚がする。
ずっとまともに寝られていない。フィリアに隠すのも限界が来ていた。
「言う資格は無いわね」
わたくしは罪人だ。貴族、外交官、領主、命じられるままに多くの者から記憶を奪ってしまった。この頭には入れたくも無い国の秘密が数多く記憶されてしまっている。
罪が露見すれば死罪だ。それだけの罪を犯した魔法使いが弱音を吐いて良い資格は無い。
「王城で、何の用なのかしら」
きっと新しい命令だ。また誰かの記憶を奪わなければならないのだ。
慣れてしまった筈なのに、嫌な予感が背筋を撫でる。
普段、依頼は手紙であったり、言伝であったり、とにかく間接的な方法で来ていた。
けれど、今日初めて直接命令を下すと言われた。粛々と命令に従うわたくしを信用したのか、それとも、第三者を挟む事すら許されない程の命令なのか。
おそらく後者だ。わたくしはきっと更に後戻りできない程の罪を犯すのだ。
分かっていても進むしかない。既に手を汚したのだ。
胃が捩じられる様に痛かった。
王城のホウキ乗り場で、仮面で顔を隠したホウキ兵がわたくしを待っていた。
「来たか。屈め。これを着けてもらう。許可が出るまで決して外すな」
「目隠し? 厳重な事ね」
「黙れ」
わたくしよりは上の年だろうが、若い男の声だ。ホウキ兵に問答無用で顔全体に厚い布が巻かれて視界が真っ暗に成る。
布からは鉄の様な匂いがした。
「わたくしはあなた達の命令をちゃんと聞いているのに、この扱いは酷いのではなくて?」
「意見は聞いていない。お前は黙って着いてくれば良いんだ」
手に縄か何かを持たされてわたくしは真っ暗な視界の中で王城を歩く。
右に左に。前に後ろに。上に下に。きっと何処を歩いたのか悟らせないためだろう。複雑な順番で歩かされて足が痛くなった頃に「ここだ」と前からホウキ兵の声がした。
楽器でも叩く様な複雑なノックの音がした後、「入れ」と言う声がした。
縄を引かれ、足裏の感触が絨毯へと変化して数歩の所でわたくしは立ち止まる。
「……来たか、ロスティ・メモワール」
少し前の場所から声がした。薬か何かで声を変えている様で男か女か分からない。
「ひとまず、お初にお目にかかります、と言わせてくださいませ。ええ、わたくしはロスティ・メモワールでございます」
部屋の主であろう者はしばらく黙っていた。わたくしを見る気配だけがする。
同じようにわたくしも黙っていた。相手の出方が分からない。
「新しい命令だ。お前にあるお方の記憶を奪ってもらう」
「……それはいつもの事でしょう? 誰の、何の記憶を奪えとおっしゃるのですか?」
首筋が引き攣る感覚。暗闇の中で体が早くここから逃げろと言っている。だけれど、今のわたくしには選択権が無かった。
少しの沈黙を挟んだ後、部屋の主がわたくしの質問に答えた。
「アルベルト殿下のお記憶だ」
「──」
頭の中から言葉が消えた。ほとんど無意識に手は追憶石を掴んでいて、声が下方向へと投げつけていた。
「リメンバー【ルビィ】」
放ったのは爆炎の魔法の記憶。室内で使う物ではない。
この部屋ごと爆発させてしまえと魔法がその記憶を開放する──
──筈だった。
部屋に鳴ったのは魔石が絨毯に落ちる小さな音だけ。
何で? と考える前にわたくしは後ろ手に拘束され、絨毯へと押し倒された。
顔から落ち、頬骨が悲鳴を上げる。その痛みの中で、部屋の主の声がした。
「お前の顔を覆っているソレには竜の血を染み込ませている。着けている限り魔法は使えんよ」
竜の血は魔力を吸う。わたくしの魔力はこの布へ吸い上げられてしまっていた。
「……どういう、事? 何で、アル様のお記憶を?」
「あのお方の魔法だ。あの魔法が全てを狂わせたのだ」
苦々しい声がする。
「破壊の王子。破滅の王子。壊滅のアルベルト・リムナント殿下。その様なお方を王にするわけにはいかないのだ」
アル様の魔法を唾棄するべき物だと断じる様な嫌な声。
「ふざけ、ないで。アル様は、ずっとこの国に尽くしてきた。北果ての竜。東海の海魔。西の山の石の巨人。討伐を為されたのはアル様よ。あの方の魔法がこの国を助けたのよ!」
壊滅の魔法。アル様が宿したお力。その魔法は触れた物を区別なく壊滅させる。
王族には望まれない力だ。この力は自身の体すらも壊滅させてしまうからだ。
今はまだ平気だ。だけど、成長と共に制限なく強まっていく壊滅の魔力にアル様はいつか耐えられなくなる。
未だアル様の未来を救う方法は見つかっていない。
いつかの何処かで自身の命が壊滅される。この運命への恐怖はどれ程だろう?
この力を持って、アル様は色々な苦労をした。
けれど、あの方は忌むべきとされた壊滅の力を国に尽くすために使ってきた。
ホウキ兵を率い、民を脅かす魔物を倒しに東奔西走。学園に顔を出せる機会は少なく、ただでさえ少ない自由な時間を捧げた。
アル様に救われた民は少なくない。その献身をこの部屋の主は否定する。
「王に求められる資質ではない。壊滅の力は制御不能だ。今は制御できたとしてもいつかの未来必ずや暴走し、この国へ被害を与える」
「それはカビの生えた伝承の話よっ。今のアル様を見なさいっ」
ガン! もがくわたくしの頭がまた強く絨毯へと叩き落された。
衝撃を受けた頭と頬が痛い。それに呻くわたくしに部屋の主は言葉を続ける。
「ロスティ・メモワール、お前の意思は聞いていない。お前にはアルベルト殿下の記憶をできる限り全て吸い出してもらう」
「駄目、よ。廃人に成る」
「廃人にしろと言っている」
わたくしの言葉は聞き入れられない。頬と頭の痛みが熱を持つ。
「お前達、第一王子派閥ねっ」
リムナント王国には今王子はお二人しかいらっしゃらない。第一王子のクライン殿下、そして第二王子のアル様だ。
わたくし達の王はまだどちらを後継にするか定められておられない。
来るアル様の成人の日、王は後継者を選定するだろうと言われている。
従来通りであれば、第一王子であるクライン様が次の王だ。アル様もそのようにおっしゃっている。
実際、クライン様の施策は素晴らしかった。
成人を迎えて既に数年。クライン様はリムナント王国の教育や貧困の改善に努め、見事その成果を出されている。
餓死者は減り、貴族のみに許されていた教育が国民全土に広がりつつあった。
問題だったのはクライン様の体質だ。
自身が保有できない程の過剰な魔力を持つ彼の方のお体はとても弱い。
血の気を感じられない白い肌。いつ過剰魔力で倒れてしまうかも分からない体の者を王にして良いのかと囁かれていた。
「アル様を廃人にすれば、クライン様が王に成るっ。それが望みなんでしょう!?」
そこに来てのアル様だ。壊滅の力はいつか暴発し、アル様の命を終わらせるとされていたけれど、そのお体は頑強で、ホウキ兵を率いて戦う事すらできる。
どちらが王に望ましいのか。その裁定はまだ下されていない。
しかし、仮にアル様に何か不幸があったのであれば、クライン様が次代の王に確定だ。
その不幸を起こせと、この者は言っている。そんな事を望むのはクライン様を王にしたい者達、すなわち第一王子の派閥に決まっていた。
「質問には答えない。お前はただ、アルベルト殿下のお記憶を奪えば良い。お前の魔法は魔力と一緒に記憶を奪うのだろう。魔法も使えない抜け殻にしてしまえ」
「ふざけ、るな。婚約者のわたくしが、何でアル様のお記憶を」
もがいても背中の上のホウキ兵を振り払えない。わたくしに動かせるのは口だけだった。
「お前をそのためにアルベルト殿下の婚約者にした。役目を果たせ」
「……え?」
また頭から言葉が消えた。今耳に入って来た言葉の意味を理解できなかった。
「お前はメモワール家の力だけでアルベルト殿下の婚約者に成れたと思っているのか?」
何を言われている?
「婚約者にまで成れば、アルベルト殿下の警戒も解けるだろう。十年に渡り、共に競い合ってきた才媛とも成れば尚更だ」
息が止まっていた。頭が理解を拒んでいる。
今ここでこの相手がわざわざ嘘を言う理由があるだろうか?
理由の候補すらわたくしの頭は思いつかない。
なら、この言葉は真実という事に成る。
それはつまり、わたくしが研鑽してきた今までの全てがアル様を壊す為にあったという事だ。
「決行は次の舞踏会。アルベルト殿下の成人を祝した前夜祭だ。殿下もこの日は討伐からお帰りに成られる。魔法を掛けてでもお前にアルベルト殿下の記憶を奪わせる」
決定事項として声は告げる。わたくしは何かを言おうとした。
「お前は〝寝ていろ〟」
頭上から声がする。何かの魔法が掛けられ、わたくしの意識は急速に落ち、その口はもう動かなかった。
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