23 翠の追憶石
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「……お父様、もう一度おっしゃって。わたくしは聞き間違えてしまったようです」
メモワール家の大屋敷。当主の部屋で、わたくしはお父様と向き合っていた。
当主の椅子に腰かけたお父様は沈痛な表情で、けれど、血走った眼でこちらを見ている。
今すぐこの場から逃げ出せ、と、心が命令する。自分の部屋に戻り、ホウキに乗って学園に戻るのだ。
きっとそうした方が良い。分かっていたけれど、足が動かなかった。
「お父様、わたくしの聞き間違いという事でよろしいですね? もしくは品の無い冗談だと言ってくれてもよろしいですわ」
聞き返す。今なら笑い話で済ませよう。だが、父の顔は待っていても変わらなかった。
「ロスティ、言い間違えでも冗談でも無い。私は記憶を奪って来い、とお前の言ったのだ」
「……おかしいのはわたくしかもしれないわね。休み前の試験に力を入れ過ぎたかしら?」
「対象リストは後ほど伝える。主に貴族や他国からの使者が相手だ。指定した記憶を奪い、読み取った内容を所定の人間へ伝えるだけの、簡単な仕事だ」
「……」
わたくしは窓と扉を見る。どちらも硬く閉じられていて、人の気配は無い。
今の言葉を誰にも聞かれるわけにはいかなかった。
「……どうされてしまったの、お父様? 最近、変よ? お言葉の意味を分かっているの? お父様は今、わたくしに、いえ、メモワール家へ大罪を犯せと言ったのよ?」
「そう言っている」
いよいよおかしい。嫌な汗が首筋に浮き上がる。
ほとんど無意識にわたくしは懐のポケットを指先で探る。
シルヴィアの結界魔法が三つ。アル様の捕縛魔法が二つ。戦えはする追憶石がある。
数えてどうする? お父様と戦う気なの?
「お断りいたします」
「いや、やってもらう。これはメモワール家当主としての命令だ」
「関係ありませんわ。わたくしは卒業したらアル様の元へ嫁ぐのですもの」
第二王子の名に、父の血走った眼がゆっくりとまばたきされた。
「そうだ。アルベルト・リムナント様、お前があの方の婚約者に決まった日を昨日の事の様に覚えている。歴代最優の記憶魔法使いとしてアルベルト様の眼に止まったお前はメモワール家の誇りだ」
会話が嚙み合わない。一体いつからまともに眠れていないのか、血走った目の下には濃い隈がある。
「褒めてくれて嬉しいわ、お父様。おっしゃってくれている通り、誇りたるわたくしは記憶魔法で罪を犯す気は無いの」
「駄目だ、犯してもらう。犯してもらわなければならない」
椅子から立ち上がり、ふらつきながらお父様がわたくしへと詰め寄った。
近くで見たその体は前に見た時よりも随分細い。まるで枯れ枝だ。
「記憶を奪うのだ、ロスティ。お前はそうしなければならない」
「……止まってお父様。これ以上、一歩でも近づけば、ただでは済ませないわ」
左手でシルヴィアとアル様の追憶石を持ち、お父様へと向ける。こんな事はしたくない。
お父様の額には汗が滲み、血走った眼が細かに震えている。ゴクリと喉が鳴った。
「ロスティ……我が娘、頼む」
懇願だった。お父様のこんな言葉を聞きたくなかった。
わたくしはお母様を肖像画でしか知らない。わたくしを産んだ時に亡くなったからだ。
そんなわたくしをたった一人の親として育て、そして、没落しつつあったメモワール家をどうにか立て直したのがお父様だった。
「家のためなのだ。最優たるお前にしか務まらないのだ」
偉大で、尊敬するその人が、今、わたくしに縋りついている。
「お前が務めなければ、メモワール家が途絶えてしまうのだ」
「……いったい、いったい、何が、あったのですか、お父様?」
息が上手く吸えない。痛恨とも、沈痛とも取れる顔でお父様がわたくしに縋る。
頭の中で幼き頃の記憶が蘇る。アル様に気に入られ、婚約者に成った日の事を。
あの日、お父様は涙を浮かべる程に喜んで、その大きな手でわたくしを持ち上げてくれた。
「上からの、命令だ。私にはもう、務まらない」
「上? もう?」
「逆らえないお方だ。逆らえれば消されてしまう。そういうお方達だ」
まさか? と私は父の頭に触れ、記憶を読み取った。
瞬間、頭に流れ込んだのは記憶の嵐。
時系列も視点も何もかもがバラバラなお父様以外の人間達の記憶。
笑い声、悲鳴、怒号。知らない言語、知らない顔。死体の山、生者の処刑。何かの告白。
それらが区別なく頭の中に流れ込んでくる。
グチャグチャに混ぜられた記憶。お父様自身の記憶を見つける事すら難しい。
「……なんて事を」
絶句する。これの意味をわたくしは理解した。
お父様は記憶魔法を行使したのだ。無作為に、無秩序に。
記憶魔法による記憶の読み取りはこの王国では許可なき場合以外禁止されている。それは記憶魔法使いを守る為でもあった。
記憶の読み取りは一歩間違えれば、自身の記憶自体を塗り潰す。加減を間違えれば人格にさえ影響が出る程の危険な魔法だ。
グチャグチャだったから誰の何の記憶を奪ったまでかは分からない。だけれど、お父様は無数の人間から記憶を奪っていて、その奪った記憶に押し潰されてしまったのだ。
「逆らえば、我らは終わりだ。メモワール家も、仕えてくれた使用人も、お前もだ」
お父様がわたくしに縋る。その力は弱い。簡単に振り払える程に。なのに手が動かない。
「頼む、ロスティ。お前しか、いないのだ。そうすれば、お前を守れるのだ」
わたくしは何も言えなかった。記憶の読み取りでは感情までは分からない。
もしもここにわたくしを慕うあの子が居ればもっと正確に分かっただろうか。
分からない事だらけだ。
だけど、はっきりしている事が一つある。
お父様はメモワール家を、わたくしを守るために罪を犯したのだ。
「頼む、頼む。記憶を、奪いに行ってくれ」
そして、壊れた頭で守りたかった筈の私へ罪を犯してくれと頼んでいる。
お父様の縋る声を何度聞いただろう。わたくしは天井を見上げて深く息を吐いた。
頭に浮かぶのはアル様の顔だ。
助けて、と言えばきっと助けてくれる。それくらいには好かれているつもりだ。そんな考えが頭を過る。
けれど、その選択をわたくしは選ばない。そんな選択をわたくしは選べない。
アル様は許さないだろう。彼の天秤はいつも正しくあろうとしている。
そういう人だからわたくしは好きなのだ。
「……お任せくださいませ、お父様」
声は震えない。震えさせない。
「メモワール家、最優の魔法使いとしてご期待に答えましょう」
口から出る声が遠く感じた。
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