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15 紅の追憶石


***


「着いた、わね」


 冷たい風が頬を撫でる。北の土地特有の済んだ空気が肺を満たしていく。

 綺麗な町並みだった。空から見た景色が頭に残っている。

 風を浴びて畑の草木は穏やかに揺れていた。


「おお、お嬢さん、ここじゃ見ない顔だね。シュバルシア領には観光かい?」

「ええ、そのような物よ」

「そうかいそうかい。良いね、じゃあサービスだ。この焼き菓子を持っていきな」

「あら、ありがとう」


 青空の下で町を歩いていれば、露店の店主達に声を掛けられる。

 想像していたよりも活気があった。痩せた土地だと聞いていたけれど、今の領主は上手く領地を運営できているらしい。


 穏やかな光景だ。なのに、心は晴れなかった。

 わたくしは今から罪を犯す。この生活を作り上げた領主から記憶を奪わなければならない。


 嫌だ、と思う。どうして、とも考える。

 けれど、何を思って考えたところで、罪を犯す事実は変わらない。思ったよりも淡々とわたくしの体は罪を犯すために動いてしまっていた。


 地面に立つ感覚がどこか現実味を失っている。

 思考が勝手に逃げ初め、意識が勝手に別の光景を引きずり出す。

 整えられた学園の中庭。朝焼けを浴びた校舎。カランカラーンと鳴る鐘の音。

 過ごしてきた学園の記憶が思い起こされた。


 アル様はいつも難しい顔で難しい書類を読んでいた。

 壊滅の魔法は自身の体を苛む。この魔法を持ってしまったアル様には多くの苦労があった。

 わたくしには学園の内外に敵が多い。色々な人と戦ってしまっていたから悪役令嬢とさえ呼ばれていた。だから、アル様にはあまり近づかない様にしていた。


 本当は少しだけズボラな人なのに、アル様は弱味を人に見せてはいけないから柔らかな金の髪を毎日完璧に整えている。

 いつも本当に忙しそうだ。これ以上迷惑をかけたくない。


 でも、アル様は目が合えばわたくしに話しかけてくれる。

 小さな時から変わらない。そんな彼の態度が心地良かった。


 アル様の後にわたくしは、ルームメイトのあの子の事を思い出す。

 夜空を映した様な髪。闇を吸った様な瞳。

 フィリア・オブリビオン。あの子がルームメイトに成ったのは偶々だ。おそらくだけど、悪役令嬢と揶揄されたわたくしへの嫌がらせだったのだ。


 自分の感情が魔力に溶け込んでしまう特異体質。それなのに、感情と魔力の制御が極端に苦手な子だった。

 噂だけは会う前から知っていた。オブリビオン家の心狂い。色々な場所で色々な問題を起こしてきたと聞いていた。


 ルームメイトに成って二年が経った。フィリアはとてもわたくしへ懐いてくれている。わたくしを誇り高い令嬢と思ってくれている。

 そんなあの子が今のわたくしを見たらどう思うのだろう?


 頭を振って学園の記憶を振り払う。わたくしは深く息を吸い、歩き出した。

 でも、記憶は振り払えない。わたくしの頭にはここに来る前にフィリアと交わした約束がずっとあった。


 帰ったら、お茶会をしようとわたくしから誘ったのだ。

 約束は果たさなければいけない。

 だから、早くここでやるべき事を終わらせて帰らなければ。




 領主の大屋敷は町の中央にあった。

 古い屋敷だったけれど、石造りの外壁は手入れが行き届いていて、庭の草木も見られる程度には綺麗にされている。

 既に門の近くにはメイドと執事が控えていた。


「ロスティ・メモワール様ですね? お待ちしておりました。主人の所までご案内いたします」

「……ありがとう。よろしく」


 掃除が行き届いた屋敷の中を執事に付いて行く。

 カツ、カツ、とわたくしのヒールが音を鳴らす。その音の度に臓腑がせり上がってくる感覚に襲われた。


「こちらに成ります」


 そう長くない時間で到着してしまって、執事が三階の奥の部屋を開いた。


「おお、ロスティ嬢、来ましたか!」


 張りのある声で、壮年の男、シュバルシア領の現当主が満面の笑みと共に出迎えた。


「遠い所を来てくれて感謝する。王都からはどれくらい時間が掛かったかな?」

「二日です。ホウキは得意なので」

「さすが噂通りの才媛だ。さあ、そこに座ってくれ。すぐに茶と菓子を用意しよう」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて座らせていただきますわ」


 歓迎されていた。領主からは疑いも警戒も感じられない。

 事前に約束は取り付けられていると聞いている。だから、これは正式な訪問だ。わたくしは客人として迎えられているのだ。




 メイドが用意した茶と菓子を挟み、わたくしは領主と二人きりで向かい合う。


「……早速ではございますが、今回の要件についてよろしくて?」

「ああ、もちろん。ちゃんと準備はできているよ。今年の建国祭にシュバルシア領から奉納する魔石についてで合っているかな?」

「ええ、その通りです」


 事前に取り決めていた議題を出す。こんなやり取りには意味は無い。

 心臓が嫌な鼓動を立てていた。今から罪を犯さなければならない。それを止めろと心が警告している。だけど、口は滑らかに動いてしまう。

 ティーカップから湯気が立つ。窓の外では庭師が木々を整えているのが見えた。


「正直に言ってね、今年は厳しかった。いや、今年もと言った方が良いかな?」


 領主はそう切り出し、苦笑する。


「この土地は年々痩せてきている。地脈からの魔力も減っているんだ」

「ええ、聞いています。過去、無理な魔石採掘の所為で地脈そのものにダメージが入ってしまったと」

「うん。まあ、当時の領主にも言い分があるんだろうけどね。他よりも多くの魔石を建国祭に奉納しようとしたのがそもそもの失敗だったんだろうね」


 やれやれと領主が肩を竦ませる。

 隣国との戦争であったり、年々増えている魔物の討伐であったりに魔石は必要で、有数の生産地であったシュバルシア領は栄えていたと聞いている。


 けれど、シュバルシア領の栄光は長く続かない。端的に言ってしまえば、魔石を取り過ぎたのだ。

 魔石は地脈から取り出す物だ。当時の領主は地脈の回復を待たず、大量の魔石を吸い出し続けた。その結果が今の痩せた大地である。


「今のシュバルシア領では、奉納する魔石の量を見込めない。だから、質で勝負する事にしたよ」


 見てくれ、と領主がテーブルの上に魔石を一つ置いた。


「これ、はまた高純度な」


 光と色を見れば分かる。不純物がほとんどない、高品質の魔石だった。

 これ程の物は王城でも数える程しか見た事が無い。


「純度を高めるのにも苦労したがね。どうにかこれと同等の魔石を十個用意できる手筈が整ったんだ。もちろん地脈にはダメージを与えずにね」


 嘘は言っていない様に見えた。きっと様々な苦悩を経てこの魔石は作られたのだ。

 この純度の魔石であれば十個もあれば奉納には充分だ。むしろ、良く精錬した物だと王から褒美だって貰えるだろう。

 心臓がゾクリと震えた。止めろと言う心を無視して、口が回り出す。


「まだ、お手元にあるのはこれ一つという事でしょうか?」

「ああ、作り方が分かったのはつい最近だからね」


 地脈からの魔石の抽出は領主の特権だ。王から下賜された専用の魔石を使って魔法を発動する必要がある。


「一人で作るのは大変だったのでは? 他の方と協力できないのですか?」

「無理だね。ただ魔石を吸い出すだけなら、代役は居るけど、この純度の魔石となると取り出せるのは私だけだ」


 当然の様に領主は言い、窓から庭を、いや、自分が治める領地を眺めた。


「これが、責任という物だろう。王国のため、この土地の為に与えられた権能だ。自分で選んだんだ。他の者には任せられないよ」

「……確か、王国から志願してこの土地の領主に成られたのですよね?」

「ああ、私はこの土地の出だ。王都で財を為そうと一度出て行った者だがね。結局、ここに帰って来てしまった」


 穏やかな声で、責任を果たそうという大人の声だった。


「痩せた土地だ。正直何も無い。だが、やれる事がある内はもう少し守りたいと思っている」


 胸の奥が軋む。ああ、嫌だなと思ってしまう。どうにか、このまま帰れないかと考えてしまう。でも、どの選択肢も私には無い。


「……良く分かりました」


 わたくしは微笑み、背筋を伸ばして、立ち上がった。


「リメンバー【シルヴィア】」


 魔力を込めて追憶石を地面に落とす。その瞬間、石が記憶した聖女の魔法が発動した。

 結界の発動範囲は限定的。わたくしと領主を囲む程度の大きさ。


「なっ!?」


 突然のわたくしの行動に領主は狼狽している。だが、体に染み込ませた動きなのだろう。魔石を通して最低限の防護魔法を発動していた。

 しかし、その程度の防護魔法であればわたくしは崩せてしまう。

 タンッ。テーブルを飛び越え、わたくしは領主へと迫る。左手には別の追憶石。


「リメンバー【カーラ】」


 放つのは呪詛師の魔法。中途半端に作られた防護魔法は一瞬にして霧散する。


「くっ」


 領主の反応も早い。杖を取り出し、本格的に応戦しようとしている。だけど、既にわたくしは距離を詰め終えていた。

 わたくしの両手が領主の顔を掴む。


「なぜ──」

「──メモライズ」


 両手にある魔力を込め、指輪の魔石を通し、メモワール家の魔法を発動した。

 それで全ては終わりだった。領主の顔から外した手には、領主の追憶石があった。

 同時に結界の魔法を解除し、わたくしは楚々とした笑みを顔に張り付かせ領主へ話し掛ける。


「どうされましたか?」

「……いや、あれ?」


 領主は戸惑った様な顔をして、こちらを見る。バクバクと鳴る心臓を無視して、言葉を続けた。


「お疲れなのかもしれませんね。どうぞお座りに成って」

「あ、ああ、うん、座らせてもらおう」


 座り直して、わたくしは領主を見る。彼は戸惑った様な表情で、首を傾げていた。


「……えーっと、ロスティ嬢、申し訳ないが聞かせてくれ」

「ええ、何でもお答えいたします」

「何の要件で君はシュバルシア領に来たのでしたか?」

「特別な用事ではありませんわ。近況報告を聞きに来ただけです」


 張り付かせた笑みはきっと綺麗にできていたのだろう。




 領主との話を終え、わたくしは屋敷を出た。


「……やっちゃった」


 ポツリと呟いた。

 胸のポケットに入れた領主の追憶石。大きな物ではない。奪った記憶は少しだけだ。


 ああ、けれど、これでこの領主は終わりだ。建国祭に魔石は間に合わない。

 背後からは貧しいけれど活気のある領民達の喧騒が聞こえる。

 その声を浴びながら、わたくしは領主の大屋敷を見上げた。

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