惚れたぞマコ 〜 暗躍のうねり xliv
レイラに起こったこと、それは自身の知らないところでファーストキスを奪われる、という、思春期ならば一大事件となるものだ。
〈いや、今さらそんなことを気にする歳でもないが、初めてはもっと、その……いや、忘れてくれ、この歳にもなってキスの経験もないなど、かえって恥ずかしい話だな〉
そんな時期を既に越えた世代のレイラは、放つ言葉に哀愁を滲ませる。しかし、そんな表情とは裏腹に、心の内では、キスがどうのといった些細なところに拘って止まない、甘酸っぱい感性を秘めていたのだった。
しかし、それが赤ちゃんにもほど近い幼い女の子なら、対象外なのでは? との都合良い解釈で甘酸っぱい心への自己防衛を図る、少し成長を見せるレイラでもあった。
そんな裏側が見えないソフィアは、否定とともに真っ直ぐに寄り添うように賛辞を投げる。
〈ううん。そんなの人それぞれだし、自身をしっかり護ってきたことは素敵なことよ?〉
ソフィアのその言葉におためごかしは一切ない。ソフィアは何も持たない者、特に見目、続いて優しい心根や、他の取り柄などが備わらない者がレイラと同じように時機を失してしまっている場合なら、おそらく無責任にそのような言葉は掛けない。
しかし、レイラの見目は抜群だ。そしてその他にも一般的に女性としてはプラスに働きにくいかもしれないが武に長けているという類い稀な長所を備えている。
不足するのは内面的なものだけで、そこさえ補えたなら、今はマイナスな立ち位置にいてもいくらでも補える、まさに伸び代しかない素材とも言えるわけだ。ある意味勿体ないくらいの逸材なのだ。
これまでのレイラは、強面の影響がおそらく濃かったのだろう。幸か不幸かレイラはどこまでも無垢なままの女性。何色にでも染まることが可能なのだ。レイラが望むなら、ソフィアはいくらでもアシストしてあげられるわけだ。
しかし、レイラは無垢ではあるが、裏を返せば、未経験、「知らない」がゆえに生まれる歪む気持ちも数多く重ねてきた。一般的な乙女の花開く時機は既に失しているから、焦燥感を抱く時機も乗り越えているが、そんな乙女の当事者たる自覚などはなく喪失感だけが、ひしひしと積もっている状態だ。
これは、この先がうまくいくことなど思い描けないことから、レイラは心の殻を絶賛構築し、自身を護り通す自己防衛的な思考のみが暗躍しているような状況だ。そんな不備不遇的な思考のみが先行してしまう、まるで癖のようなものが染み付いているようだった。
〈そ、そうなのか? ……って違うだろ……このまま往き遅れそうなほどに、そっち方面でオレは男に面識がないんだ〉
レイラが自身の不甲斐ないと思う過去に対し、ソフィアは否定して優しさで包み返す。レイラが望むなら、ソフィアにはレイラをなんとかしてみせるプランも幾通りか考えたようだ。しかし、それはさておき、今は、本題はその先にあるからと続ける。
〈ううん。素敵よ? 話を進めるわね。それで舌を絡める必要があったのだけれど、レイラさん、あなたの意識は既になくて……このまま戻らなければ命の危険に関わる、ってそんな状況だったの。それなのに、小さなマコちゃの舌では届かなかったのね〉
〈舌? って、まさかこの娘のか?〉
―― そりゃ届かんわな。小さそうだからな。
―― なるほど……届くためにはオレの意識……
―― ん? 今、舌を絡める……って言ったような?
―― キ、キスだけでも未知のゾーンだったのに、舌をなんて
―― それもしかして、ディ、ディ、ディープキスってやつなのでは?
―― しかも、この娘の小さな……
―― こんな可愛い娘のこんなにも愛らしい小さな……
―― 舌がオレの舌に!?
―― え? いいのかそれ?
―― もしもこれが知らぬ男なら、汚された気持ちにもなりそうだが
―― この天使のような可愛らしい娘の舌というのなら
―― 反対に清められる? ような……。
―― いや、マコからしたらオレ、こんなオバちゃんに汚されるのもどうなんだ?
―― いや、オレはオバちゃんではないがな……
―― マコに言われ続けたせいで、間違ったじゃねーか、まったく。
―― だが、あれ? 待て待て! これはオレを救おうと? ……
〈そう。だから仕方な……〉
〈そそ、そーか!〉
―― コレは救命措置。そうなら、もっと対象外では?
レイラの心の安寧へと、解釈スキルはまた、その切れを増すようだ。
〈ええ、だから仕方なく、頰や心臓を叩いたり……〉
―― そうか……苦労を掛けたみたいだな……。
〈緊急時だから仕方無しに、その、胸とか、ヘソとかその下も刺激させてもらったけど、それでも反応がほとんんどなくて〉
―― ん? え? えーっ!
―― そそ、その下って?
〈仕方なしに最終手段としてお尻……の穴? ちょいちょいと刺激させてもらったってわけ。ごめんなさいね。仕方なかったの〉
―― ななな、何? おお、お尻?
ソフィアの指し示す部位の言葉が進むほどに、レイラの乙女の防火壁はガンガン突破されていく。その都度せり上がり、狭まる包囲網は容赦なく心を突き上げる。
レイラの顔は紅潮し、今にも湯気が出そうなほどの火照りと、瞳が異常な量で潤い始める。
お尻の穴が襲撃されたなどは、通常なら絶対に起こりえない想定外。空いた口が塞がらないまま、レイラは絶句する。
お尻の穴にキュッと力が入り、頭の芯へ一直線に激震、特大の震えが駆け抜ける。
ビビビッ。ゾクゾクゾク。
―― おお、落ち着け、オレ……。
〈ふぉぉぉ。いや、仕方ないことは理解した。理解はしたが……〉
―― ふぅーっ、ふぅーっ……。
〈オレが……自身の意識のないところで……〉
―― 落ち着けレイラ……。
〈お前らが女であることは幸いかもだが、キスだけでなく、その下のほうも、いやまさかのお尻まで……〉
―― マコたちもオレを見てる……。
―― ふ、踏み堪えろ……。
〈オレはなにか……途轍もなく尊いものを沢山失った気がしてきた……〉
―― 涙が出てきそう……。
いっぱいっぱいに飽和気味のレイラだが、そんな心情を露わにするレイラに初な可愛らしさを感じたソフィアは、自身との捉え方の違いに頰を緩めつつ、心を寄せて、それを上書きできるかもな交換の話題を投げかける。
〈ふふっ。また大げさな……確かにね。知らないうちに、というのはアレだけど、でもマコちゃのキス、気持ちよかったでしょ?〉
それはキスをしたかしないかの話ではなく、キスにより得られたものの話だ。
〈キ、キス? あー確かに何か途轍もなく気持ちいい感覚があったような……あれはマコ? おまえだったのか?〉
夢見心地の間に行われたことだったから、その辺りの整理はまったくついていないレイラで、言葉に誘導されるように朧気な記憶は鮮明さを少しだけ取り戻す。
―― ちょっと待て、レイラ!
―― 相手がこの娘なら反対に嬉しいことでは?
〈うん。やっぱりそんなに気持ちよかったの? いいなぁ、マコ自身はわかんないんだけどね〉
問われたマコトは、イルの時と同様にレイラに感想を尋ねる。すると、尋ねられたレイラは、フォーカスが整っていくように、しだいにその時の感触は現実感を増しながら、唇、そして体全体へと巡る快感が蘇ってくる。
―― そ、そうだ。きっとそれだ。
―― 夢の中かと思っていたが、そうか現実だったか。
〈お、思い出してきた、あの感触。マコ! 頼む。もう一度してみてもらえないか? 今、意識があるところで正しくどんなものだったかを知りたいんだ〉
記憶から浮かび上がってくる、めくるめく甘美な誘い。それが夢でなかったのなら……マコトが許すならば、今現実に体験できるということ。それを知ったレイラは必死の形相でマコトに頼み込む。
〈うーん。どうしよっかなぁ……なんてね。いいよ。はい、んくっ〉
マコト自身は、そのような快感を得ることには繋がらないが、心を許す相手が喜ぶのなら、まったく嫌ではないから、もったいぶるフェイントからの速攻サプライズ。
唇を塞がれ、目を見開きながら驚くレイラだが、その次の瞬間にはしだいに瞳を緩ませ、全身から力みはすぅーっと解かれる。
―― こ、これは……何が起こっているんだ?
―― マコの舌を通して、大量の暖かい何かが流れ込んでくる。
ビクン!!
―― うわっ! 何の合図? えも言われぬ快感!
―― その後は……これはまた……全身のあらゆるところへと巡っていき、
―― 労り解しと、じわじわ癒されていく感じか……。
それは唇が触れたかどうかという次元ではなく、唇から舌を通して流れ込むマコトの魔力そのものが体全体へと沁み渡るように伝搬する気持ちよさだった。
―― 全身が重さを失ったように……湯船で全身を浮かばせような……。
―― この弛緩させられる流れに抗えない。ふぅゎゎ……。
ソフィアの狙いはそこだった。これを知れば、いろいろと見方は変わってくる。そう思えたから、マコトのキスの気持ちよさに話題を振ったのだった。
―― ソフィアはこの気持ちよさを言いたかったのかぁ……。
―― なんか、ファーストキスがどうの、なんて、どうでもよくなってきた。
―― いやむしろ、最初のキスがマコというのが、俄然誇らしくなってきたぞ。
マコトは、一頻りの魔力注入なら、これくらいで充分だろう、と突如唇を離す。
〈ぷはぁ、こんなもんかな? ……〉
―― え? 嫌だ! まだだめだ!
まだ気持ちよさを味わっていたいレイラには、突然の終了による喪失感は大きすぎたようだ。レイラは急遽終了したマコトのキスを強引に再開させる。
〈ダメだ。はぁはぁ。もう一度、ブチュ〉
―― 強引だったが、許せマコ。
―― あと少しだけ味あわせてくれ。
申し訳なさそうに一歩引いてお願いしてくれるイルと違い、脳筋系のような強引さのレイラに、マコトはタジタジだ。
しかし、少しだけ継続したら、魔力注入続きでマコトはホンの少し飽きてきたことと、敵への対応もあまり放置できないため、強引にキスを打ち切る。
〈ぶふっ、長い長い、もういいよね?〉
これでレイラが満足したかどうかは不明だが、ひとまず一頻りの体験はできたものと、レイラは素直に引き下がるようだ。
〈ん。まぁな。ありがとな。ソフィアの言う通り、マコとのキスの気持ちよさがあるなら、他はどうでもいい気がしてきた。それにコレ、キスというよりはマコから流れ込んでくる何か、エネルギー? コレが形容し難い気持ちよさをくれるみたいだ。何がどうなればこんなにも気持ち良いのかわからんが……惚れたぞマコ! もうマコに残りの人生を捧げてもいいくらいにな〉
清々しい顔付きで、まるで告白するかのような言葉を放つレイラ。本来の調子を取り戻しつつあるレイラの語気の強い言葉に、マコトは圧倒されながら、言葉を返せずにいた。
しかし、これまでの常識を覆すほどの身体への変化が、ある意味で強要された形のレイラだから、体調は回復したとはいえ、大きすぎる変化に身体の芯や、神経、脳の思考回路には大きな負荷が掛かっていたのも事実のようだ。
レイラは別の意味での休養を身体の芯から迫られる。
〈というか、今日は色々ありすぎたからか、意識が飛びそうになってきた。ところで大事なことを聞いてなかったが、オレたちを痛めつけてきたヤツラはどうなったんだ?〉
ようやく、周囲に対する気配りができるまで意識が回復してきたレイラは、ソフィアに敵への対応状況を尋ねる。
〈あー、まだ途中よ〉
その問いにはソフィアが答える。
〈あ、オネーサン。ヤツラはこれからマコがお仕置きするから安心して!〉
続いて、これから対応することをマコトはにこやかに告げる。
〈そ、そうか。お仕置きしてくれるか。オレは今ちょっと対応無理そう……だが、次に目を覚ましたときに手伝えるなら、オレも加勢する……そろそろ意識が限界かもだ。マコ、頼んだぞ!〉
〈オッケー、任せて〉
体力自慢のレイラもここが限界のようだった。おそらくギリギリまで粘ってみたのだろう。身体の臨界点を越えたのか、抗えずレイラの意識は遠のいていく。
〈そうか……う……突然眠気が……疲れてはないはずだが、身体が引き戻されるように……すまん、これ以上は意識が保てそうにない……〉
そうして、レイラは再び眠りに就いた。
ようやく次の対応に掛かれることから、マコトはジンに状況を報告する。
『パパ? レイラさんは無事回復できた。ひとまず今はママと闘うつもりはないみたい。これで諦めてくれたならいいんだけどね。これから今マコたちを取り囲む敵に軽く反撃開始といくね?』
併せて、マコトは今からの行動も告げる。
『おー、お疲れマコト。よくやったな。レイラさんが無事で、敵の敵は味方ってことなら、ひとまずオレたちが何かを失うことや、対応しなければならないことは見事クリアしたってことだな?』
『うん。そういうことになるね。って、あれ? 正面の景色が海だらけ! 陸地が見えない。どうして?』
ジンとの会話を進めながら、辺りを見回したマコトは、チヌークの正面方向の景色が異なることに気が付き尋ねる。
『あー、さっきまではV国対応のために富士の演習場へ向かってたんだ。だが、もうV国は気にしなくても良さそうなことと、今オレたちを取り囲むコイツらは富士の前に日本本土、つまり陸地側に連れていくわけにはいかないから、ジワジワと旋回継続して今南進しているところだ』
どうやら、旋回していることに気付けないくらい、緩やかな旋回でゆっくりと南向きに転針していたようだ。
『なるほど。確かに。危ないヤツラだからね。これからやることも陸地向いてると、もしかしたらを考える必要があったから、すごく助かる。さすがパパ!』
本当に緩やかな旋回ではあるが、微妙に旋回する、と言う行動は、敵の低周波照射のための精密照準機構に影響を与えていたのかも知れない。低周波で捉えるソフィアへの照準が少し狂えば途端に照射機能は効かなくなり、その補正のためにまた、時間を要することになるわけだ。
『お! そうか。ということは何かを放つ算段があるということだな?』
『その通り。でも誰にも大怪我もさせるつもりはないし、ヘリへの物理攻撃にはならないように進めるから、安心して』
マコトの言葉から、反撃の方法にアタリをつけるジン。マコトは念のため、大胆な攻撃行動は取らない旨を付け加える。
『わかった。くれぐれも慎重にな』
『はーい』




