第6話 第一回集会を開催します
第一回集会の開始十五分前、四十人用教室には、すでに五人の運営者が揃っていた。
黒板には、千夏さんが印刷した《話を聞いてほしい学生のための、小さな相談会》という案内を掲示してある。入口の机には受付票と筆記具、教卓には十五分の説明原稿、三木さんのノートパソコンには時間割と集計表が開かれていた。
準備に不足はない。
不足しているのは、参加者だけである。
「役割札、これで見えるかな」
戸田さんが、自分の胸元に《受付》と書かれた札を当てながら尋ねた。《司会》《時間管理》《相談補助》《代表》も、それぞれの担当者へ配られている。
「十分見えます。参加者から、誰が何を担当しているか分からない状態は避けられます」
「五人全員が運営だってことも、よく分かるな」
三木さんは教室を見渡し、ノートパソコンへ視線を戻した。四十席の机はすべて前を向いており、私たちがどこへ座っても、使用していない席の方が圧倒的に多い。
ただし、これは前日に確認済みの事実である。本日は空席の数ではなく、用意した運営が機能するかを確かめなければならない。
「受付は戸田さん、開始後の司会は千夏さん、説明は私、時間管理は三木さんです。全体説明の後、相談を希望された場合は、佐伯さんと私だけが残ります」
「はい。相談を始める前の確認も、もう一度読みました」
佐伯さんは折り畳んだ一枚の紙へ手を添えた。緊張しているようだが、準備会で相談者役の戸田さんを囲んでしまったときより、表情は落ち着いている。
相談を受けるのは初めてである。緊張しない方が不自然だろう。
「予定どおり行いましょう。困った場合は、その場で役割を交代して構いません」
「光莉さんも?」
千夏さんが案内の傾きを直しながら振り返る。
「もちろんです。私が説明を続けられない状態になれば、原稿を共有している千夏さんへ引き継ぎます」
「そこまでの緊急事態は想定してなかったけど、分かった」
開始十二分前、教室の扉が開いた。
五人の顔が、一斉に入口へ向く。
扉の隙間から覗いた男子学生は、受付机の戸田さん、教卓の私、前方に散らばる三人を順番に見た。戸田さんが椅子から腰を浮かせる。
「相談の方ですか」
学生は扉の横にある教室番号を確認し、手元の携帯電話を見直した。
「あっ、すみません、間違えました。A304室ってどこでしょうか」
「向かいの奥の教室じゃないかな。棟内マップは階段のところにあるよ」
「ありがとうございます」
扉が静かに閉まり、教室内が沈黙する。
三木さんが予定表の時刻を確認するふりをしながら、入口へ目を向ける。
「五人で見ると、逃げられるな」
「教室を間違えた方です。正しい教室へ移動されました」
「そういう話じゃないんだよ」
千夏さんは受付机を入口の正面から少し横へ動かし、私たちには持ち場へ戻るよう手で合図した。参加者が来る前に、前回と同じ改善点を実地で確認できたことになる。
その三分後、扉がもう一度開いた。
今度こそ申込者かもしれない。そう考えた瞬間、私を含む五人全員が立ち上がっていた。
入口に現れた学生は、教室へ踏み入れた片足を止める。視線が役割札を一つずつ移動し、最後に、四十席の向こうに立つ私へ届いた。
「あの、相談会は……」
「こちらです。お待ちしていました」
私が答えるのと同時に、千夏さんが手のひらを下へ向けた。先ほど戸田さんから受けたものと同じ、持ち場へ戻れという合図である。
「全員で立つとびっくりするから。受付はこっちです」
千夏さんが柔らかい声で案内すると、参加者はようやく教室へ入った。戸田さんが受付票を示し、途中で帰っても構わないことと、個別相談を希望するかは説明後に決められることを伝える。
申込者一名に対して、受付、司会、時間管理、相談補助、代表が一名ずついる。役割分担としては正しいが、歓迎の意思を全員同時に示すと、人数差による圧力になるらしい。
参加者は受付を終えると、並んだ机を見回した。
「今日、参加するのは、私だけですか」
「はい。もう一名は、昨日欠席の連絡がありました」
事実を隠す理由はないので、そのまま答える。参加者の視線が、私たち五人の役割札へ戻った。
「でも、運営の人は五人いるんですね」
「初回ですので、予定していた役割をすべて配置しています。ただし、人数が多いことで話しにくい場合は調整します」
「すでに一回、調整したところです」
千夏さんが横へ移した受付机を指すと、参加者は小さく笑った。少なくとも、扉へ戻る様子はなかった。
◇ ◇ ◇
開始時刻になると、千夏さんが教卓の横へ立った。
「それでは、第一回集会を始めます。最初に、団体の説明を十五分、その後に質問を受けます。個別相談を希望する場合は、説明と質問が終わってから申し込んでください」
参加者は前から二列目の中央に座り、佐伯さんと戸田さんは少し間を空けた左右の席、千夏さんは通路側へ移った。最後列では三木さんが時計と画面を同時に確認している。
一人の参加者を、四人の運営者が客席側から支え、私が教壇から説明する配置である。準備会のときより圧力は減ったものの、どこから見ても運営者の方が多い。
「代表の天城光莉です。はじめに、この会が宗教を母体とする学生団体であることを説明します」
私は原稿を開き、参加者へ視線を向けた。
前世の大聖堂で説法を行ったとき、正面に見えたのはステンドグラスを通った光と、床を埋める人々の列だった。声が最後列まで届くよう、呼吸と間の取り方にも訓練が必要だった。
現世の教室にあるのは蛍光灯と黒板であり、最後列にいるのは時間を測る三木さん一人である。声量を大聖堂に合わせれば、説明より先に隣の教室から苦情が来るだろう。
私は教室に適した声で、団体の目的を説明した。
現代社会に適合した形で、人が悩みを話し、必要なら既存の支援へつながることができる場所を作ること。宗教を母体としているが、相談や集会への参加に信仰や入信を求めないこと。寄付も要求しないこと。私たちは医療、法律その他の専門的判断を行わず、必要な場合は大学や専門機関を案内すること。話したくないことは話さなくてよく、途中で退出しても不利益はないこと。
三時間の原案から残した内容は少ない。しかし、目の前の人が参加を続けるか判断するために必要な情報は、すべて入っている。
途中、参加者は二度、配布資料へ視線を落とし、一度だけ入口を見た。退出しようとしたわけではない。戸田さんが《途中退出自由》の案内を確認するため、扉の近くへ移動したからである。
最後の一文を読み終えると、三木さんが片手を上げた。タイマーを見ると、十四分三十八秒。ほぼ予定通りだ。そのまま質疑応答へ切り替える。
「説明について、分かりにくかったところや確認したいことはありますか」
参加者は配布資料の《入信不要》という箇所へ指を置いた。
「宗教は、信じていなくてもいいんですか。相談だけして、入らないというか」
「信仰の有無は、相談の条件ではありません。相談を続けることと、入信することも別です」
「それで、会としては困らないんですか」
できることなら、信仰を共有し、救済の営みをともに担う者は増えてほしい。宗教という形を選んだのも、教えと共同体によって救いを継続できると、前世で知っているからだ。けれど、それは私の長期計画であって、この学生団体がいま相談者に求めるものではない。信仰を持たないという理由で救済の外へ置くなら、私が作ろうとしている場そのものが成り立たない。
「困りません。ここで話すことが役に立つかどうかを、まず確かめてください。信仰について考えるかどうかは、その後も含めて、ご本人が決めることです」
参加者は少し考えてから、個別相談を希望する欄へ印をつけた。
◇ ◇ ◇
質疑応答が終わると、千夏さん、戸田さん、三木さんは予定どおり教室を出る準備を始めた。
三木さんは相談内容を入力しないためにノートパソコンを閉じ、千夏さんは公式アカウントを開いていた携帯電話を鞄へしまう。戸田さんは扉の外へ《個別相談中》の札を出した後、受付の筆記具まで片づけた。
「それでは、私たちはいったん席を外します。終了予定時刻に戻りますが、早く終わった場合は連絡してください」
千夏さんが参加者にも聞こえるよう説明すると、戸田さんは扉を押さえながら首を傾げた。
「秘密を守るために退出するのも、ちゃんと担当なんだよね」
「はい。本日の重要な役割です」
「会場担当なのに会場から出るの、少し不思議だけどね」
三人が去り、扉が閉まる。
四十席の教室には、私と佐伯さん、参加者の三人だけが残った。人数が二人減っただけで、使われていない机の存在感がさらに増したように見える。
私たちは教壇の前ではなく、前方の机を三つ使い、正面から向かい合わない角度で座った。佐伯さんが、折り畳んでいた確認用紙を参加者から見える位置へ置く。
「始める前に、もう一度だけ確認します。話したくないことは、話さなくて構いません。途中でやめても大丈夫ですし、私たちは診断や専門的な判断はできません」
「相談した内容も、そのまま記録には残しません。残すのは、説明に同意していただいたこと、窓口をご案内したか、また相談したいかどうかだけです」
私が続けると、参加者は確認用紙へ目を通して頷いた。
「分かりました。でも、本当に大した話じゃないんです」
声が、全体説明のときより小さくなる。
「大学に入ってから、知り合いがあまり増えなくて。授業で挨拶する人はいるんですけど、それだけで……昼休みも、だいたい一人なんです」
参加者はそこで言葉を切り、空いている机の列へ視線を向けた。
「一人でいる人なんて、ほかにもいますよね。もっと困っている人もいるだろうし、こんなことで相談会に来てよかったのかなって」
前世の神殿でも、相談に訪れた人が同じような前置きをすることは多かった。疫病で家族を失った者がいるから、自分の不安は軽い。魔王軍に村を焼かれて住む場所を失った者がいるから、夫婦の不和は後回しでよい。苦しみを比較して順番を決めれば、話す資格のある者は最後に一人しか残らない。
「大したことかどうかを、今ここで決めなくてもいいと思います」
佐伯さんは両手を膝の上で組んだまま、慎重に言葉を続ける。
「一人で過ごすこと自体が嫌ではない人もいます。でも、あなたが気になっていて、ここまで来たのなら、そのことは話していいと思います」
「一人なのが、全部嫌なわけじゃないんです。授業の間に静かにしていたい日もあるので。ただ、休講の連絡を見落としたときとか、グループを作ってと言われたときに、聞ける人がいなくて」
「では、常に誰かと過ごしたいというより、必要なときに声をかけられる相手や場所がないことが困っている、という理解で合っていますか」
私が確認すると、参加者は先ほどよりはっきりと頷いた。
目的が変われば、選択肢も変わる。友人を大勢作るという曖昧で大きな目標より、必要なときに一人で抱え込まない導線を一つ作る方が、最初の行動として適切であろう。
「今、授業で挨拶をする方の中に、もう少し話してみてもよいと思える方はいますか」
「一人だけ。同じ授業で、いつも近くに座る人がいます」
「その方へ、急に個人的な悩みを話す必要はありません。次の授業や課題について、一つ確認するところから始めることはできそうでしょうか」
「それなら……たぶん」
参加者の返事には迷いが残っていた。実行できると言い切らせることが目的ではない。
佐伯さんが、大学の学生支援窓口と、学生が自由に利用できる共有スペースの案内を机へ置いた。
「こちらを使う方法もあります。今すぐ相談の予約をしなくても、どんな窓口があるかだけ見ておくことはできます」
「今日みたいな話でも、行っていいんでしょうか」
「案内の対象に含まれるかは窓口で確認してもらう必要がありますが、利用できる場所を尋ねることはできるかと」
選択肢は二つになった。同じ授業の学生へ、授業に関する短い質問を一つすること。大学にどのような相談先や交流の場があるか、案内だけ確認すること。
「両方やらなければならないわけではありません。来週までに、できそうな方を一つ選ぶので十分です」
参加者はしばらく二枚の案内を見比べ、授業の予定を携帯電話で確認した。
「次の授業で、課題の提出方法を聞いてみます。それが無理だったら、窓口の場所だけ見に行きます」
「分かりました。できなかった場合も、失敗として報告する必要はありません。何が難しかったかを、次に一緒に整理できます」
相談開始から十八分。残り二分で、私は説明への同意と窓口案内の有無を確認した。相談の内容は書かない。
最後に継続希望について尋ねる前に、参加者の方から口を開いた。
「また、話してもいいですか」
「もちろんです。相談継続希望として記録します。次回も、信仰や入信は条件ではありません」
私は記録用紙の《継続希望》へ印をつけた。信徒欄は、最初から存在しない。
◇ ◇ ◇
参加者を見送った後、共有スペースへ移動していた三人が教室へ戻ってきた。
三木さんは閉じていたノートパソコンを開き、私が読み上げた運営記録だけを入力する。
「参加者一、相談一、途中退出ゼロ、継続希望一、窓口案内あり。予定時間内に終了。相談内容の記録なし」
「信徒はゼロ名です」
「そこは聞かなくても分かるようになってきた」
数値を確定すると、画面には第一回集会の結果が一行で収まった。百三十ページの計画から始まった活動としては、極めて簡潔である。
「改善点は、最初に全員で立たないこと」
千夏さんが最初に挙げると、戸田さんも受付机の位置を元へ戻しながら頷いた。
「受付の人だけが迎えればいいんじゃないかな。ほかの人は、座ったまま挨拶するくらいで」
「賛成です。役割があることと、全員が同時に動くことは別です」
「あと、運営側が客席に散らばりすぎると、参加者がどこに座るか迷うな。次は参加者用の席だけ、最初から分かるようにする」
三木さんが改善欄へ入力する間、佐伯さんは相談で使った確認用紙を回収し、記載されていないことまで確かめてから封筒へ入れた。
「相談は……続けられそうですか」
私が尋ねると、少し考えた後で、佐伯さんは静かに頷いた。
「まだ緊張します。でも、答えを出さなくても、次にできそうなことを一緒に考えるなら、私にもできるかもしれません。光莉さんが全部話さずに待ってくれたのも、助かりました」
「私も役割を分けた方が適切だと感じました。次回も二名で担当しましょう」
相談継続希望者は、これで二名となった。一名は構成員、一名は本日の参加者であり、どちらも信徒ではない。それでも、相談の場としては前日より一歩進んでいる。
「そういえば出ている間に、次の活動候補も見つけたよ」
戸田さんが携帯電話の画面を見せた。学内の学生ボランティア企画が、近く行う催しの設営補助を募集している。清掃や食料支援を単独で始める前に、既存の活動へ小さく参加する案だった。
「自分たちだけで新しく始めるより、まず手伝いながら運営を見た方がいいんじゃないかな」
「妥当です。先方へ、活動内容と受入条件を確認しましょう」
「第一回集会の個別相談中に、第二回活動の候補が決まったな」
三木さんが議事記録へ項目を追加する。退出していた三人も、共有スペースでそれぞれの役割を進めていたらしい。
最後に、千夏さんが参加者へ確認した広報内容を共有した。
相談の具体的な内容は掲載しない。本人が見たうえで同意したのは、《相談するほどではないと思っている悩みでも、話してよい》という一文と、初回集会を一名で実施したという事実だけである。学部、性別、授業、昼休みといった、本人を推測できる情報はすべて外してある。
「この文面で投稿します。光莉さんは、必須事実と安全上の問題だけ確認して」
「問題ありません。表現と投稿時刻は、広報担当へ任せます」
千夏さんが公式アカウントへ投稿する。
私たちは撤収作業を進め、机の位置、黒板、照明、忘れ物を確認した。四十席のうち実際に使用したのは一部だけだったが、全体説明、質疑、個別相談、振り返りまで、予定した工程はすべて実施できた。
消灯前、千夏さんの携帯電話が短く震える。
「反応ついた」
画面を覗いた三木さんが、アカウント名を確認した。
「真琴さんでも、俺たちでもないな」
「知り合いじゃない人からは、初めてかも」
反応はまだ多くない。しかし、その中には、私たちが直接説明したことのない誰かから届いたものが含まれていた。
千夏さんは投稿と、広い教室に残る空席を見比べた。
「こういうのを少しずつ続けるのもいいけど、本当に聖女サマなら、奇跡の動画一本の方が早いのに」
「奇跡は、人を集めるための広告ではありません」
私が答えると、千夏さんは冗談を受け流すように笑って携帯電話をしまった。
奇跡を一つも使わないまま、私たちの最初の集会は、ようやく一人の学生へ届いたのである。
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