第2話 まず一人目を獲得します
昨夜、私は「大学で同志を募ります」と宣言した。
方針に変更はないが、家族の反応を鑑みるに、その実行順序には大いに改善の余地があることが分かった。家族会議を終え、自室へ戻ってから、私は《現世救済計画 第一期活動方針》を開いた。百二十七ページある計画書のうち、第三章は初期信徒獲得戦略に割かれている。
日本において宗教、とくに新興宗教が警戒されやすいことは承知しているつもりだった。
私はこの国で二十年生きてきた。大学の新歓で宗教団体がどのように注意喚起されるかも、駅前で声をかける人々がどのような目で見られるかも知っている。
だからこそ、準備してきた。
強引な勧誘はしない。寄付を要求しない。脱退を妨げない。会計を公開する。医療や法律の専門領域には専門家を頼る。人を孤立させず、家族や社会との関係を切らせない。
そこまで説明すれば、少なくとも話は聞いてもらえると考えていた。
しかし、昨夜は家族三人に説明し、三人とも反対した。
家族であるため、純粋な評価対象とは言いがたいが、それでも、計画書の完成度と説明の説得力を同一視していた可能性はある。
大勢へ呼びかける前に、まず一人へ説明する。
その一人が、どこで警戒し、何を理解し、どの時点で断るのかを確かめる。
最初の候補として、相沢真琴ほど適した人物はいなかった。
幼いころから私を知っている。私が前世で聖女だったと話しても、絶交せずに今日まで付き合ってくれた。遠慮なく意見を言い、嫌なら嫌だと断ることもできる。
何より、私は彼女を信頼している。
研究対象として扱うつもりはないが、最初の説明相手として、これ以上の人はいなかった。
私はスマートフォンを手に取った。
『本日、少しお時間をいただけませんか。重要なご相談があります』
送信して三十秒ほどで、返事が来た。
『その文章で呼び出されると怖いんだけど』
私は少し考え、補足した。
『金銭の貸借、病気、妊娠、退学に関する相談ではありません』
『候補の出し方がもっと怖い』
待ち合わせ場所だけは決まった。
第一段階は順調である。
◇ ◇ ◇
「それで、なんでカラオケ?」
駅前のカラオケボックスに入り、注文した飲み物が届くなり、真琴は尋ねた。
平日の昼間で、室料は安い。扉を閉めれば、少なくとも隣の席へ会話が筒抜けになる喫茶店よりは落ち着いて話せる。
「人前で話すには真琴さんが望まない注目を受ける可能性があります。また、途中で退室しやすい場所を選びました」
「途中で帰る前提なの?」
「拒否の自由は確保すべきです」
「始まる前から言い方が重いな」
真琴は、まだ一曲も予約されていないモニターと、私が隣の椅子へ置いた鞄を交互に見た。
「で、重要な相談って?」
「昨日、宗教活動を開始しました」
「とうとう始めたか」
驚きはなかった。
真琴は昔から、私が前世の話をするたびに、否定も肯定もせず「はいはい、聖女様」と応じてきた。その呼び方には敬意よりも、幼なじみ特有の諦めが多く含まれている。
「昨夜は大学で同志を募るつもりでしたが、その前に、まずは私を昔から知る一人へ説明し、どこでつまずくのか確かめるべきだと考え直しました」
「私、試される側?」
「事前検証への協力者です」
「言い換えてもだいたい同じだよ」
「不快でしたら、謝罪します」
「まだ怒ってない。続けて」
私は頷き、鞄からファイルを取り出した。
どん、と低い音がした。
真琴の視線が、ファイルの厚みに吸い寄せられる。
「何、それ」
「《現世救済計画 第一期活動方針》です」
「何ページ?」
「百三十ページです。昨夜の家族会議を受け、補遺を三ページ追加しました」
「一晩で育ってる」
「反対意見は計画を強固にします」
「光莉は昔から、そういうところだけ前向きだよね」
私は表紙を真琴へ向けた。
彼女は副題まで読み、眉を寄せた。
「《地域共同体における信仰・福祉・精神支援機能の再構築について》」
「はい」
「カラオケに持ってくる資料じゃない」
「歌唱は予定していません」
「部屋側の用途の話じゃないんだよ」
真琴はストローで飲み物をかき混ぜたあと、私の両手を見た。
「もしかして、やっとアレを見せてくれる感じ?」
「アレ、とは」
「奇跡の証明。座ったまま空中浮遊したり、手から聖灰を出してみたり、傷を治したり。個室に呼んだの、それを見せるためかと思った」
「行いません」
私は即答した。
「奇跡は人を救うための手段です。信徒を得るための見世物にはしません」
「でも、本物だって分かった方が説得しやすくない?」
「説得しやすくなるからこそ、使うべきではありません」
奇跡を見せた直後に入信を求めれば、相手が理念へ同意したのか、未知の現象に圧倒されたのか、私にも区別できない。
それでは今日の検証にならない。
「私は、奇跡ではなく、活動の必要性と方針を説明します。そのうえで、真琴さん自身に判断していただきたいのです」
「……そこは、ちゃんとしてるんだ」
「そこも、です」
「はいはい」
真琴は椅子へ座り直した。
「じゃあ、聞く。何をする宗教なの?」
◇ ◇ ◇
「目的は、救済です」
私がそう答えると、真琴はすぐに片手を上げた。
「待って。いきなり大きい」
「では、順に説明します」
「百三十ページを頭からはやめてね」
私は予定していた説明時間を四十五分から十五分へ修正した。
「現代日本には、医療、福祉、教育、行政、心理支援など、高度な制度があります。昔と比べれば、驚くほど多くの人が専門的な支援を受けられます」
「うん」
「一方で、それらは役割ごとに分かれています。病気は病院、生活は行政、心の問題は相談機関、死者の弔いは寺院や葬祭業者。制度としては合理的ですが、一人の人間が抱える苦しみは、必ずしも分野ごとに分かれていません」
病を得た人は、身体だけを病むのではない。仕事を失うかもしれない。家族との関係が変わる。死を恐れ、生きてきた意味を問い、誰にも迷惑をかけたくないと口を閉ざす。
前世の神殿は、そのすべてを解決できたわけではない。
それでも、どの悩みを抱えて訪れても、同じ場所で話を聞いた。治せない病であれば看病し、食料がなければ分け、死者が出れば弔い、残された者が立ち上がるまで共同体で支えた。
「私は、現代社会に適合した形で、その機能をもう一度作りたいのです」
「それ、宗教じゃないと駄目なの?」
想定済みの質問だった。
「福祉団体や相談事業では、支援の対象と期間が定められます。それ自体は必要なことです。しかし、人が生きる意味や、死者をどう記憶するか、苦しみを抱えたまま誰と生きるかという問いは、一つの制度では完結しません」
「だから、宗教?」
「はい。宗教は救済そのものではありません。救済を、儀礼、教え、共同体、相談、相互扶助として継続させるための運用の仕組みです」
「運用の仕組み」
「私一人が善意で相談に乗り続けても、私が倒れれば終わります。人が集まり、役割を分け、理念を共有し、次の人へ引き継げる形にしなければ、救済は持続しません」
私は計画書を開いた。
「そのため、第一期では――」
「ちょっと待って」
また止められた。
真琴は計画書ではなく、私を見ていた。
「光莉が、本気で誰かを助けたいのは分かった」
「ありがとうございます」
「昔からそうだしね。迷子を交番に連れていって、自分が帰るの遅くなったり。受験前に後輩の相談に何時間も付き合ったり」
「必要な対応でした」
「そう言うと思った」
真琴は小さく息を吐いた。
「でも、私は入らないよ」
十五分へ短縮した説明時間は、まだ八分ほど残っていた。
「理由を伺ってもよろしいですか」
「神様を信じてない。宗教の看板を背負う気もない。大学生活だってあるし、友達の活動だからって、信者になるのは違う」
「活動理念に、納得できない点がありましたか」
「理念は分かる。光莉が嘘をついて勧誘してるとも思ってない。でも、それと入信は別」
「別」
「友達でいることと、信者になることも別」
私は返答せず、その言葉を考えた。
計画書では、信頼形成、理念説明、活動参加、入信という流れを置いていた。真琴との間には、すでに長年の信頼がある。理念も理解された。
それでも、その先へは進まない。
論理が否定されたのではない。
論理だけでは越えられない境界が、そこにあった。
「分かりました」
私は計画書を閉じた。
「本日の勧誘は、ここで終了します」
「あっさり引くんだ」
「信仰は本人の自由意思によるべきです。断られた後も圧力をかける行為は、私の目的に反します」
口にしてから、少しだけ寂しさが遅れてきた。
最初の一人は真琴だと、私は思っていたらしい。長い付き合いがあり、私の考え方を知り、必要なら間違いを指摘してくれる。彼女が隣にいてくれれば心強いと、計画上の適性とは別に、そう願っていた。
「ただ、友人関係まで終了する必要はありませんよ」
「当たり前でしょ」
真琴は呆れたように笑った。
「宗教に入らないだけで、絶交する気はないよ」
「安心しました」
「そこ心配してたの?」
「わずかに」
「光莉でも、そういう顔するんだね」
「どういう顔でしょう」
「自分で分かってないならいい」
真琴はテーブルの上の計画書を指で軽く叩いた。
「感想は言っていい?」
「ぜひお願いします」
「まず、長い」
「説明は十五分以内でした」
「資料が百何ページ」
「正確には百三十ページ、内三ページが補遺になります」
「そういうところ」
私はノートを開いた。
◇ ◇ ◇
真琴の指摘は、計画書のリスク管理章にはないものだった。
「光莉の話って、困ってる人を助ける仕組みを作りたい、までは分かる。でも、入った人が何をするのか、何をされるのかが見えない」
「活動内容は第七十八ページ以降に――」
「そこまで読まれない」
「なるほど」
「あと、いきなり信徒になってくださいは重い。説明を聞く、集会に一回来る、手伝ってみる、入信する。全部別でしょ」
私は書き留めた。
接触、理解、参加、信仰、所属。
従来の計画では、一つの階段として並べていた。だが、真琴の反応を見る限り、それぞれの間には個別の意思決定がある。
「それから、『救済する』って言われると、自分が救われる側に分類された感じがして嫌な人もいると思う」
ペンが止まった。
前世では、救済を拒む者は少なかった。疫病、飢饉、戦争。助けを必要としていることが、本人にも周囲にも明らかだったからだ。
しかし、この国では苦しみは見えにくい。
そして、見えないまま生活できている人へ、こちらから「あなたは救済を必要としている」と告げることは、傷を指さす行為にもなり得る。
「重要な指摘です」
「でしょう」
「真琴さんを第一号信徒に選んだ判断は、正しかったようです」
「なってないけど」
「第一号の事前検証協力者としてです」
「その肩書きも嫌なんだけど」
私はノートの《協力者》に二重線を引いた。
「では、外部助言者」
「勝手に役職を作らないで」
「友人」
「最初からそれでいいの」
確かにそのとおりだった。
私はノートへ、今日得られた結論を記した。
一、信頼は、入信を保証しない。
二、理念への理解は、信仰を意味しない。
三、協力と所属を分ける。
四、救済を説明する前に、相手の困りごとを聞く。
第三章は、大幅な改訂が必要である。
残念ではある。
しかし、大学で百人に断られた後で気づくよりは、ずっとよい。
「それで、これからどうするの?」
「大学で同志を募る方針は維持します。ただし、最初から入信を求める方式は改めます」
「具体的には?」
「まず、活動を知ってもらうための入口を作ります」
私はスマートフォンを取り出した。
「公式アカウントを開設します」
「今ここで?」
「改善は速やかに実行すべきです」
「その行動力はすごいと思う」
真琴に見守られながら、私はアカウント名を入力した。
《慈愛と光明による現世救済会》
「長い」
「正式名称です」
「プロフィール欄で説明して」
活動理念を入力する。
《現代社会において分断された信仰・福祉・精神支援機能を再接続し、地域共同体に持続可能な救済の基盤を――》
「長い」
「まだ半分です」
「誰も読まない」
私は削除した。
最終的に、最初の投稿は次の文章になった。
《一人で抱えている悩みはありませんか。まず、お話を聞かせてください。》
理念の全体を説明できてはいない。
だが、入口としては、こちらの方がよいのかもしれない。
投稿して数秒後、フォロワーが一人増えた。
真琴だった。
「ありがとうございます」
「見張ってないと心配だから」
「外部助言者として登録してもよろしいですか」
「駄目」
「では、最初の支援者として」
「フォローしただけ」
「最初のフォロワーとして」
「それなら事実」
私は記録を修正した。
活動開始二日目。
信徒数、ゼロ名。
公式アカウントのフォロワー、一名(友人)。
第一号信徒の獲得には失敗した。
だが、失敗によって、最初に直すべき場所が見えた。救済の仕組みを作るなら、こちらが救いたいものを語るだけでは足りない。まず、相手が何を必要としているのかを聞かなければならない。分かっているつもりだったが、思ったよりも現実は難しい。
私は計画書の第三章に、大きく赤字を入れた。
《初期信徒獲得戦略》
その表題の下に新しい節を足す。
《最初の相談窓口および参加導線の設計》
「やっぱり長い」
隣から真琴の声がした。
改善の余地は、まだ多いようだった。
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