第10話 霊障と設備不良は別件です
公式声明を公開してから、これまでとは少し種類の違う連絡が届いた。
『冗談ではありません。霊障の相談も受け付けていますか』
空き教室の中央で、千夏さんが携帯電話の画面を私たちへ向ける。差出人は同じ大学の学生で、一人暮らしの部屋に中古の姿見を置いてから、誰かに見られているような気配を感じるようになったらしい。夜中には悪夢で目が覚め、鏡の近くだけ妙に冷え、一定の間隔でカタカタという音まで聞こえるという。
発生した時刻と回数が長い文章の中に整理されていた。眠れない日が続き、管理会社へ何と説明すればよいのかも分からず、私たちの声明を見つけたとあった。もしも、奇跡の力が本当だったらと、藁にも縋る思いだったのだろう。
「この前、相談内容が外へ出ないか質問していた方ですね」
佐伯さんが履歴を確認する。三木さんは《声明》《相談》《見学》《猫》に分けた一覧へ新しい行を作ろうとして、手を止めた。
「霊障って、相談でいいのか?」
「霊がいるかどうかと、この方が困っていることは別です。困っていることは、すでに事実でしょう」
「じゃあ相談。分類はとりあえず未確認で」
三木さんは《相談・未確認》と入力した。
佐伯さんが、体調、安全上の異常、ガスや電気、防犯上の心当たりを簡潔に確認する返信を作る。私たちの活動を試すための悪ふざけである可能性もあったが、困っている人を疑い続けるだけでは窓口を置いた意味がない。
返答から、差し迫った身体症状や安全上の異常はなく、通常の窓口へ直ちに連絡すべき状態でもないことを確認した。
追加の返信には、現地で確認してほしいと書かれていた。
「では、伺いましょう」
「あの、全員で伺うのでしょうか」
佐伯さんの声に動きが止まった。
「初めての現地相談だし、全員いた方がいいんじゃない?」
「困って宗教団体へ連絡したところ、知らない人間が五人まとめて自宅へ来るのは、かなり怖いのではないでしょうか」
佐伯さんの指摘に、私は自分たちを外から見直した。確かに、霊障の有無を確かめる前に、こちらが確実な脅威になってはいけない。三木さんは静かに記録用紙を机へ戻した。
「霊より先に、こっちが怖がられるのか」
「霊はいるか分かりませんが、私たちが五人いることは確実です」
最終的に現地へ入るのは私、佐伯さん、戸田さんの三名とし、相談者側にも希望があれば友人などに立ち会ってもらうことにした。撮影は行わず、住所は必要な者だけで扱う。
その方針を送ると、すぐに別の質問が返ってきた。
『料金はいくらですか。あと、高額な壺を買うことになったり、お布施や入信を求められたりはしませんか』
「全部盛りだね」
千夏さんが画面を見たまま言った。相手を責める調子ではない。現在の私たちが、そうした懸念を持たれて当然の名称と活動内容であることは、私にも理解できた。
「料金、お布施、物品の購入、入信のいずれも必要ありません。相談後の判断にも影響しないとお伝えください」
「壺は?」と、三木さんが念のため確認した。
「販売していません」
「代表が聖女だという説明より先に、壺がないことの説明が必要かもな」
◇ ◇ ◇
相談者の住む賃貸住宅には、約束した時刻に三人で訪れた。室内には、相談者が頼んだ友人も立ち会っている。玄関先で撮影しないことと、許可なく物へ触れないことを改めて伝えると、相談者は少し迷ってから尋ねた。
「本当に、あとから請求されたりしませんよね」
「はい。何かを買っていただくことも、入信していただくこともありません」
「それで活動は続けられるんですか」
「それは現在、本会の運営課題です」
安心材料として十分だったかは分からないが、少なくとも嘘ではない。相談者は小さく頷き、問題の姿見がある部屋へ案内してくれた。
姿見は木製の枠がついた古いもので、ひと月ほど前にフリマアプリで購入したという。見た目に不自然なところはない。だが、その正面に立つと、鏡の表面ではなく、枠に沿うように薄い淀みが付着しているのが分かった。
人の姿ではない。こちらを見返す意思も、語りかける声もない。古い布へ染み込んだ匂いのように、由来の分からない不快な気配だけが枠へ残っている。
「夜になると、鏡の中に誰かが立っている気がするんです。夢でも、ずっと後ろから見られていて」
相談者の声は落ち着いていたが、組んだ指には力が入っていた。佐伯さんが睡眠や体調について短く確認し、その間に戸田さんは、手を触れずに窓や換気口の位置を見ている。
「人の霊がいる、とは申し上げられません。ただ、この鏡には弱い霊的な淀みがあります。不安や悪夢に影響している可能性はあります」
「取れますか」
「はい。ただし、由来までは分かりません。鏡を処分する方法もありますが、使い続けるのであれば、淀みだけを浄化できます」
相談者は、できれば使い続けたいと答えた。私は、鏡の枠へ触れて淀みだけを取り除くことと、冷気や物音まで消える保証はないことを説明する。
「それでも、浄化を希望されますか」
「お願いします」
鏡の枠へ指先を触れた。必要なのは、何かと戦うことではない。枠へ染みついた淀みをほどき、今を生きる人の住まいから取り除くだけでよい。
短く祈ると、指先から白い光が広がった。鏡面を縁取るように一周し、枠へ染みついていた淀みを薄霧のように消していく。部屋を満たしていた圧迫感が抜け、光もすぐに収まった。
相談者が、慎重に息を吸う。
「さっきより、軽い気がします」
「淀みはなくなりました。ただ、今夜以降の状態も確認してください」
その直後だった。
カタ、カタ。
全員の視線が姿見へ戻る。浄化直後としては、非常に間の悪い音だった。
しかし戸田さんだけは鏡ではなく、壁の上部にある換気口へ向かった。少し観察してから、カバーの端を指で押さえる。
音が止まった。
指を離すと、またカタカタと鳴る。もう一度押さえると止まる。
「カバーが緩んでいるみたいですね。風が入ると動くんじゃないかなー」
さらに窓枠へ手をかざし、鏡の周囲で感じていた冷気も、細い隙間から入っていると確かめた。
「では、あの音と寒さは……」
「霊障は解決しました。こちらは設備不良です」
「両方だったんですか」
「原因が、一つだけとは限りません」
霊的な淀みが換気口のねじを緩めたわけでもなく、隙間風が悪夢のすべてを作ったわけでもない。その後、管理会社へ物音と窓枠の隙間を伝えるよう勧めた。相談者自身の携帯電話で、説明に必要な箇所だけを撮ってもらう。私たちは予定していた時間内に部屋を出た。
◇ ◇ ◇
三日後、相談者から経過の連絡が届いた。
あれから見られている感覚と悪夢はなくなった。管理会社が換気口を締め直し、窓枠にも処置をしたため、音と冷気も収まったという。最後には、信仰を持つつもりはないが相談には感謝している、と添えられていた。
「解決一件、正式信徒ゼロ名」
三木さんが記録へ入力する。
「信徒を増やすために伺ったのではありませんから、問題ありません」
「分かってる。数字として確認しただけだ」
現地相談の手順には、訪問人数、立会い、撮影、浄化への同意が追加された。さらに千夏さんは、任意のアンケートを相談者へ送り、匿名の活動報告を出してよいかを別に尋ねた。
許可されたのは、個人情報も部屋の写真も出さず、対応の概要だけを掲載することだった。
「最初は、こうかな」
千夏さんが作った文面には、《住環境に関する相談を受け、必要な外部窓口をご案内し、状況の改善を確認しました》とあった。
「浄化を行ったことが消えています。行った対応を省けば、正確な報告ではありません」
千夏さんはしばらく画面と私を見比べ、文面へ《霊的な淀みを浄化し》と追加した。相談者本人の確認を経て、公式アカウントから公開する。
『【活動報告】匿名の相談一件について、本人の同意を得て現地確認を行いました。霊的な淀みを浄化し、併存した住居設備の不具合については管理会社への相談をご案内しました。後日、状況の改善を確認しています。』
最初についた反応は、《管理会社が直しただけでは》だった。
続いて、《浄化と換気口修理を同じ報告に書く団体、初めて見た》《霊障対応なのか賃貸トラブル対応なのか統一してほしい》と並ぶ。《普通の原因も分けているのはまとも》という反応もあったが、《浄化だけ確認不能》と続いていた。
「個人情報を出さず、嘘も書かず、誇張もしなかった結果、いちばん怪しいところだけ残ったんだけど」
「事実に忠実な報告です」
「正確さと信用って、同じ方向に増えないことがあるんだね」
千夏さんは、公開済みの文面を眺めたまま言った。
三木さんが、実績一覧を更新した。相談解決一件。匿名公開した解決済み相談実績一件。正式信徒ゼロ名。
奇跡公表後、慈愛と光明による現世救済会が初めて公開した解決済み相談の実績は、なんとも怪しいものではあったが、何一つ偽っていないため、説明を撤回することもできなかった。
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