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第11話 説法は睡眠導入ではありません

 活動報告を公開してから、公式アカウントには新しい種類の質問が届くようになった。


『信者でなくても相談できるのは分かりました。では、何を信じている団体なのですか』


 答えを用意する必要がある。そう考えて空き教室の机へ置いた資料を見て、千夏さんたちはしばらく黙っていた。


「これが、教義の本文です」


「本文って、参考資料まで含めて?」


「いいえ。こちらは目次と用語索引です」


 千夏さんが手にしていた束だけで、一般的な学生団体の規約より厚かった。


 本文は、私がかつて仕えた教えを、可能な限り忠実に日本語へ移したものである。神の慈愛をどう捉え、救済を何と定義し、力を持つ者が何をしてはならないか。あちらでは説明を要しなかった前提ほど、こちらの言葉へ直すのに手間がかかった。一語で移せない概念には注をつけ、近い言葉を当てた箇所には定義を置き、章同士の関係は参照先を示した。


 四人は手分けしてページをめくった。佐伯さんは定義と結論を往復し、三木さんは目次の階層を数え、戸田さんは例外規定の先にさらに例外があるのを見つけた。


「神学として正しいかは、私には分かりません。でも、少なくとも思いつきで書いたものではないです」


「当然です」


 佐伯さんの慎重な評価に、三人も頷いた。


「本当に、これを全部公開するの?」


「入口を簡単にすることはできます。しかし、実際の中身を疎かにすることはできません」


 そこで本文の前に、三項目だけの要旨を置いた。


 本会が信仰の対象とするのは、慈愛と光明の源である神です。天城光莉は、その教えに仕える聖女であり、信仰の対象ではありません。神への信仰は、相談、支援、活動参加の条件ではありません。救済は、信仰の対価として与えられるものではないからです。


 その先に、全文へのリンクをつけた。


     ◇ ◇ ◇


 大きな話題にはならなかった。ただ、以前の奇跡の動画を扱っていた小さな掲示板へリンクが貼られ、公式アカウントにも少数の反応が届いた。


《前に光ってた人、今度は教義の完全版を投げてきたのか》


《日本語としては読めるが、意味が頭に入るとは言ってなんだが》


《怪文書でワロタ》


《で、献金と勧誘と退会規定はどこ?》


 その質問には、千夏さんが現在の方針と規定への案内を返した。掲示板では元信者の話を求める書き込みもあったが、《まず現信者がいないらしい》という返答で話が止まっていた。


「炎上はしてないな。理解も、あまりされてないが」


 三木さんが反応を分類する横で、最後に新しい書き込みが増えた。


《全文はもういいから、本人が五分で説明して》


 忠実に移すことと、伝わる形に直すことは同じではない。それは翻訳の時点で理解していたはずだった。私は長大な本文を撤回する代わりに、現代の生活と選択へ置き換えた説法を別に作ることにした。


「目標は、神学を全部説明することじゃないからね。信仰しなくても助ける理由が分かればいいのよ」


 千夏さんの言葉に頷いた。五分に収まるかは、まだ約束できなかった。


     ◇ ◇ ◇


 試聴の日、戸田さんが窓を閉め、廊下の音が入りにくい位置へ携帯電話を据えた。私はカメラへ向き直り、最初の言葉を告げた。


「本会が信仰の対象とするのは、慈愛と光明の源である神です。私はその教えに仕える聖女であり、信仰の対象ではありません」


 教義の用語を、そのまま並べることはしなかった。相談窓口を訪れる人、支援を受ける人、活動へ加わる人が、信仰の有無によって扱いを変えられない理由から話す。


「救済は、信仰の対価として与えられるものではありません。弱っているときに、助けと引き換えに差し出した側への服従を求められれば、その人は自由に選んだのではなく、選ばされただけになります。助けるとは、相手をこちらに従わせることではありません。失われかけた選択肢を戻し、その人が再び自分で選べる状態へ近づけることです」


 だから、相談したあとで信仰を持たないと決めることも、活動から離れることも妨げない。神の教えを隠すつもりはないが、受け取るかどうかまでこちらが決めてはならない。私はその順序を、身近な例へ置き換えながら語った。


 話し終えると、佐伯さんが先に顔を上げた。


「文章より、考え方のつながりは分かりやすかったです。最初に結論があると、相談の方針とも結びつきます」


「聖女らしさも十分。ちゃんと本気なのは伝わる」


 千夏さんの評価に続く言葉を待った。戸田さんは一度だけ瞬きを長くし、姿勢を正してから口を開いた。


「内容は分かりやすいと思う。ただ、声を聞いていると、ちょっと落ち着くかなー」


「悪い意味じゃなくて、落ち着きすぎるんだよ。一定の速さで、声も静かで」


「では、重要な結論をさらに前へ移します」


 私は三木さんの記録を借り、冒頭を書き直した。千夏さんは、もっと刺激的に話すよう求めなかった。私も、理解させるために不必要に不安を煽ったり、声を張り上げたりするつもりはなかった。


 修正版は、十分余りの完全版説法として公開された。


     ◇ ◇ ◇


 二日後、三木さんは空き教室の画面へ指標を並べた。再生数は数百件を少し超えた程度である。奇跡の動画とは比べるまでもない。しかし、説法動画として設定していた目標の中に、予想外に良い数字があった。


「平均視聴時間が、かなり長い。最後まで再生された割合も想定より高い」


「つまり、教義の入口として成功したのでしょうか」


「少なくとも、途中で閉じられてはいない」


 視聴開始から離脱までの線には大きな崩れがなく、公開したばかりの零細宗教団体による説法としては、確かに立派な形をしている。


 千夏さんが、コメント欄を開いた。


《七分くらいで眠れた》


 五人で、その一文を見た。


 次のコメントには、《作業中に流しています》とあった。好意的な反応か、用途違いか。三木さんの指が止まった。


《最後まで聞いた記憶はないけど、朝まで再生されていた》


「寝てる間も再生されてるんだよ」


 千夏さんが言うと、三木さんは平均視聴時間の横へつけた丸印を消した。数字が誤りになったわけではないが、数字の意味が分からなくなったのである。


 佐伯さんが、視聴者の反応を慎重に読み直した。


「落ち着いたという感想は本当だと思いますよ」


「聞いたことと、伝わったことを分けて考える必要がありますね」


 私は説法の内容へ触れた反応だけを探した。見当たらないわけではない。《本人を拝む会ではないことは分かった》《信者以外も助ける理由は筋が通っている》という短い書き込みもある。ただ、睡眠についての報告より少なかった。


 そこへ、新しい要望が届いた。


《音声だけの長時間版がほしい》


「需要はある」と三木さんが言った。


「教義の需要じゃないよね、それ」


「入口になる可能性はある。八時間版なら視聴時間は――」


「作りません」


 私が答えると、三木さんは画面から顔を上げた。


「説法を音声で公開すること自体は可能です。しかし、眠りを改善する、心身を整えるといった効能を本会が保証することはできません」


「聖女の声で眠れる、は宣伝に使わないってことね」


「はい。眠れたという感想を否定はしませんが、そのために作ったものではありません」


     ◇ ◇ ◇


 千夏さんは概要欄を開き、《本動画は教義紹介の説法であり、睡眠導入を目的としたものではありません》と追記した。続けて、動画のどこで何を話しているか分かるよう章をつけ、要旨、全文、質問受付へのリンクを並べる。


「あと、二分版も作る。完全版まで聞かない人向け」


「必要でしょう」


「固定案内も直すから、動画一本で作業が五つ増えたんだけど」


 私は、二分版の原稿を自分で用意すると申し出た。


 反応の分類を終えた三木さんは、一覧を読み上げた。


「平均視聴時間、良好。ただし意味は未確定。睡眠報告、複数。作業用、一部。教義への質問、一件」


 その一件は、《信仰を求めないのに、なぜ宗教という形を選ぶのですか》というものだった。


 一件。それでも、声ではなく言葉を受け取った人がいた。私たちは次の説法で答えるのではなく、まず短い文章で質問の意図を確かめ、正式な回答を作ることにした。


 作業を終えようとしたところで、質問受付へもう一件届いた。


《聖歌や祈りの歌はありますか。光莉さんの声で聞いてみたいです》


「ございます」


 私が答えると、四人が同時にこちらを見た。


 三木さんは記録の末尾へ、正式信徒ゼロ名と入力したまま、新しい項目を追加した。


 説法の次は、聖歌である。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

もし「続きも追う価値がある」と思えたら、ブックマークだけでも置いていってください。

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