「桜の歌」
「桜の歌」
第一章 春のはじまり
春山桜、16歳。
名前とは違って、彼の心に春はなかった。
朝起きて、学校へ行き、帰って寝る。
それだけの毎日。
「将来の夢は?」
そんな言葉を聞かれるたび、胸が苦しくなる。
夢なんてない。
希望なんて、よくわからない。
窓の外を流れる景色を見ながら、桜はいつも思っていた。
――人生って、なんなんだろう。
中学時代、友達は少なかった。
教室の隅で本を読む時間だけが、心を落ち着かせてくれた。
物語の主人公たちは、苦しみながらも前へ進んでいく。
それが少しだけ、羨ましかった。
高校に入学した春の日。
桜は新しい制服の袖を握りながら、静かに校門をくぐった。
「おーい! 同じクラス?」
突然、後ろから声をかけられる。
振り返ると、明るい笑顔の男子が立っていた。
「俺、藤崎蓮! よろしく!」
「……春山桜」
「お、名前かっこいいな!」
その言葉に、桜は少しだけ驚いた。
自分の名前を褒められたことなんて、ほとんどなかったからだ。
その日から、少しずつ世界が変わり始める。
昼休み、一緒にパンを食べる友達ができた。
放課後、「カラオケ行こうぜ」と誘われた。
最初は断ろうと思った。
けれど蓮が、
「桜って歌うまそう」
と言ったから、なんとなくついて行った。
小さなカラオケルーム。
マイクを握る。
流れてきたイントロに合わせて、桜は静かに歌い始めた。
その瞬間。
部屋の空気が変わった。
「……え?」
歌い終わったあと、蓮が目を丸くしていた。
「お前、めちゃくちゃ上手いじゃん!」
「そうかな……」
「絶対、もっと歌ったほうがいいって!」
その言葉が、胸の奥に残った。
家に帰った夜。
桜は古いノートを開いた。
そこには、誰にも見せたことのない言葉たち。
寂しかった日。
苦しかった夜。
消えたくなった瞬間。
全部、本のしおりみたいに挟まれていた。
桜は鉛筆を握る。
そして、初めて“歌詞”として言葉を書いた。
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「誰にも見えない傷を抱えて
それでも僕らは今日を生きてる」
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自分の気持ちを言葉にすると、不思議と少しだけ息がしやすくなった。
数日後。
学校帰りの楽器店で、桜は一本の中古ギターと出会う。
少し傷だらけのアコースティックギター。
「弾いてみますか?」
店員に言われ、恐る恐るコードを鳴らした。
ジャラン――
その音が、心の奥まで響いた。
まるで、
「ここにいていい」
と言われた気がした。
桜はアルバイトを始めた。
コンビニで働きながら、毎日少しずつお金を貯める。
そして夏。
ついにギターを買った。
帰り道、ギターケースを抱えながら、桜は小さく笑った。
16年間で、初めてだった。
未来が少しだけ楽しみだと思えたのは。
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それからの日々。
学校が終わると、公園でギターを練習する。
指先は痛くなった。
うまく弾けなくて、悔しくて泣いた日もある。
それでも、桜はやめなかった。
歌うと、自分が“空っぽじゃない”と思えたから。
秋頃になると、同じクラスの女の子――水瀬結衣が、よく練習を見に来るようになった。
「また歌ってる」
「……悪い?」
「ううん。好き」
その一言で、桜の顔が赤くなる。
結衣は静かな子だった。
でも、人の気持ちをちゃんと見てくれる。
「桜くんの歌って、優しいね」
「そんなことないよ」
「ううん。ちゃんと届く」
“届く”
その言葉が、胸に灯をともした。
誰かに届く歌。
それが、桜の夢になっていく。
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冬の始まり。
桜は初めて、駅前で路上ライブをした。
人通りの多い夜。
震える手。
冷たい風。
最初の30分、誰も立ち止まらなかった。
恥ずかしかった。
帰りたかった。
でも、ギターを握り直す。
桜は目を閉じて歌った。
自分のために。
苦しかった過去のために。
明日を信じられない誰かのために。
すると、一人の女子高生が立ち止まった。
次に、会社帰りの男性。
小さな子ども。
拍手は少なかった。
でも確かに、“誰か”が聴いてくれていた。
歌い終わったあと。
結衣が微笑みながら言った。
「桜くん、今すごく楽しそうだった」
その瞬間、桜は気づいた。
未来が怖かった自分が、
今は“明日も歌いたい”と思っていることに。
夜空を見上げる。
冬の星が、静かに輝いていた。
桜はギターケースを背負いながら、小さく呟く。
「……もっと、届けたい」
その声は、冷たい夜の中で、
確かに未来へ向かっていた。




