管理者の話、揺らぐ覚悟
昨日、奏太と琴音に上司とのやりとりや、今抱えている悩みを聞いてもらったおかげで、少しだけ気持ちが軽くなった。結局どちらを選ぶかはまだ決められていないけれど、「悩めるうちに悩んで、期限までに区切りをつける」という方針だけは固まった。焦って決めるより、その方がきっと後悔は少ないだろう。
そして翌日。
ラスターネの街の近くにある森の主、ルシュファから「時間があるときに来い」と言われていたのを思い出した。琴音がララとナタリーに「今日は来られないかもしれない」と伝えてくれているらしいので、俺はそのままログハウスから転移魔法で森へ向かうことにした。
前回と同じ場所に転移し、鈴を鳴らす。
すると数秒もしないうちに、あの巨大な狼――フェンリルが姿を現した。
「あなたがルシュファ様と契約している神獣・フェンリルですか?」
『そうだ。私に乗れ。ルシュファのところまで連れて行ってやる』
低く響く声に促され、恐る恐る背にまたがる。
……次の瞬間、景色が一気に流れた。
「はやっ……!」
風を切るどころじゃない。視界が線になるレベルの速度で、あっという間に目的地へ到着してしまった。降りたときには、ちょっとしたジェットコースターの後みたいな感覚だった。
そこにあったのは、見覚えのあるログハウス。
そしてその周囲には、色とりどりの花が咲き乱れていた。前に来たときも思ったが、ここは本当に不思議な場所だ。森の中なのに、どこか現実離れしている。
テラス席では、ルシュファが本を読んでいた。こちらに気づいたのか、顔を上げる。
「ああ、来たか。リラ、ご苦労だった。用があれば呼ぶから戻っていいぞ。ユキ、お前はこっちに来い」
リラっていうのか、このフェンリル。
気づけば隣にいたはずのリラは、もう森の奥へと消えていた。自由だな。
俺は言われた通り、テラス席の対面に座る。
「わざわざ呼び出して悪いな。森の管理者は創造神の許可なく森を離れられないからな」
「そうなんですか?」
「お前はまだ正式な管理者ではないからな。来てもらうしかない」
初耳だった。管理者って、思っていた以上に制約が多いらしい。
「さて、聞きたいことがあると言ったのは覚えているか?」
「はい。答えられる範囲であれば」
「それでいい。ではまず……あの森の前管理者、お前の祖父はどうした?」
じいちゃんの話か。少しだけ懐かしい気持ちになる。
「祖父は……別の世界で祖母と結婚して、幸せに暮らしていたと思います。数ヶ月前に亡くなりました」
「そうか……管理者でなくなれば、普通の人間と同じ寿命になる。人の生は短いな」
静かな声だったが、その言葉には長い時間を生きてきた重みがあった。
「でも、今は魂だけの存在として森にいますよ。祖母と一緒に」
「……ほう」
「もし許可が下りたら、会いに来てください。祖父とは、友人のような関係だったんですよね?」
「なぜそう思う?」
「なんとなく、ですけど」
ルシュファは一瞬だけ目を細め、そして小さく頷いた。
「そうか。なら、許可が下り次第行くとしよう」
ほんのわずかに見えたその笑みは、どこか嬉しそうだった。
その後もいくつか質問に答え、やがて話題は俺自身のことへと移った。
「お前、あの森の管理者になるのか?」
「……まだ決めていません」
正直に答える。
「この世界も嫌いじゃないです。でも、好きかと言われると……はっきりとは。それに、ずっと一緒にいたいと思える人ができて」
ララの顔が浮かぶ。
「人ではなくなるなら、その人と深い関係になるべきじゃないんじゃないかって……思ってしまって」
言葉にすると、少しだけ胸が痛んだ。
ルシュファは腕を組み、少し考えるようにしてから口を開く。
「なるほど、思い人か。その相手は事情を知っているのか?」
「はい。創造神の許可もあって、話しています」
「なら問題ない」
「え?」
思っていたよりもあっさりした答えだった。
「この世界には森の管理者が他に二人いる。そのうち一人は、思い人と共に数千年を過ごしている」
「そんなことが……」
「ああ。お前がこの世界を選べば、その思い人も同じ存在になる可能性が高い」
思わず言葉を失う。
そんな未来が、あるのか。
「お前の祖父は違った。友はいても、思い人はいなかった。だからこそ……世界を越える扉を作ったのだろう」
じいちゃんにも、埋められない何かがあったのかもしれない。
そう考えると、少しだけ胸が締め付けられた。
それからも話は続き、気づけば日が傾き始めていた。
夕日が差し込み、周囲の花々が柔らかな光に照らされる。昼間とはまた違う、幻想的な景色が広がっていた。
「……綺麗ですね」
思わず呟く。
「ルシュファ様は花が好きなんですか?」
「別に好きというわけではない。この花は森の者たちが勝手に運んできて植えているだけだ」
そう言いながらも、花を見るその表情はどこか優しい。
――いや、絶対好きだろ。
心の中でツッコミを入れつつ、俺はその景色をもう一度見渡した。
悩みはまだ消えていない。
でも、少しだけ前に進めた気がする。
そんな一日だった。
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