酒と薬④♦
ただの裏拳で吹き飛ばされたココノエは、背中から木に激突し海老反りになって止まり、地面へ落ちる。廃業したとはいえ鍛錬は怠っていない強靭な体と、用心のためにしておいたある事が、死という選択肢を排除してくれていた。
(なんだ今のは、最速で抜いた筈の……、私の剣が届くより先に何かされたのか?)
殴られただけというシンプルな事実に気付く暇もないほどの衝撃と速度。シヴの姿を確認しようと何とか顔を上げようとした時、何かの影で視界が暗くなる。
「あー……、てめえ薬やってやがんな? まあもうそこかしこ骨も折れてるだろうし、筋肉も断裂しまくってて動けねーとは思うけどよ。まだやるつもりならよ、今のよりもう少しだけ強くぶん殴るぞ。」
ココノエが痛みに耐え見上げると、剣を背中に担いだシヴが腕組みをして見下ろしていた。今の言葉で自分がただ殴られただけだという事を理解する。
ただ一撃貰っただけ、しかも素手で。殺すつもりで、間違いなく今の自分の最高速で繰り出した技。躱すどころの話ではない、単純にそれを上回る速度を見せつけられた。人間が吹き飛ぶと等という馬鹿みたいな現実も併せて。
この男には勝てない。そう確信したが、これまでのココノエの人生が、裏の世界で伝説とまでなった自尊心が敗北を認める事を拒否する。
「私……、は、あ……まだ…………」
必死に声を出そうとするが、うまく喋る事が出来ない。
「だろうな。」
シヴは呆れつつそう口にして、思いっきり拳を振りかぶる。
(散々殺して来た、殺す者は殺される危険と共に歩む。天罰や報いなんて下らない迷信、手を出してはいけないものに手を出した私の自業自得だ。しかしこれで……。)
ココノエの頭にシヴの拳骨が振り下ろされ、着弾と同時に意識も闇の中へ沈んだ。
「シ、シヴ様、まさか本当に殴るなんて……。」
「あ? 俺は嘘はつかねーんだよ。」
「いやしかしですね、まさか動けないココノエさんを殺すなんて……。」
「殺してねーわ、おまえさんより鍛え上げてるぞこのジジイは。」
「顔が地面に半分埋まってるじゃないですか!」
「だから死んでねーって。確か魔族の国に肉体強化する薬あっただろバカみてーに高いやつ、このジジイあれ使ってるわ、本当なら最初の一発で死んでたかも知れねーな。」
「息が出来ないとそれも意味ありませんよ!!」
「あ、そうか。」
シヴはココノエの襟を掴んで引っ張り上げる。脱力、恐怖、酸欠による失禁で、ココノエのズボンは濡れていた。
「うわ、きたねーな……。」
「本当ですね、失禁されているとは思いませんでした……。」
「いや、お前さんもうちょっと心配してやれよ。さっきまでと全然ちがうじゃねーか。」
「死なないと言ったのはシヴ様ですから、命に別状がないなら話は別です。」
「これどうする?」
「どうすると言われましても……。シヴ様を殺そうとしていたのは間違いないのでしかるべき所に突き出してもいいと思いますが……。」
そう言いながらナインハルトはシヴを見る。シヴは少し着流しに土が付いているだけ、巨大な剣を担いで人相も悪い。対してココノエは高級な燕尾服とコートに身を包み、筋肉はあるが細身で、見た目だけは害のない老人。
無傷の荒くれ者が、お金を持っている老人をボコボコにして持ち上げているようにしか見えない。ナインハルトは眉をしかめた。
「なんだよ?」
「やめましょう、時間をかけずに私に説明出来るとは思えません。」
「じゃあどうすんだよ、ギルドでどうにかできねーのか?」
「簡単な治療くらいはできますが……、先ずはココノエさんの主である領主のハバキ様に繋ぎを取らないと……。」
「あ、それだわ。多分近くに居るはずだから直接引き取らせるか。」
ココノエの襟を掴んだまま引き摺りながら、シヴはアレンの買った屋敷へ向かう。
堂々と表から入るとココノエのせいで床が汚れそうなので、裏口でもないかと庭の方へ回り込むと、ピンクのタイツに包まれた男の尻が、窓に挟まっているのが目に入った。
(やっぱり来てたか、こいつとの喧嘩より気が滅入るぜ……。つーかなんだよこの光景は地獄かよ……。)
気が向かない中のそのそと近付いていくと、聞きなれない女の声が聞こえて来る。どうやら自分と、ここまで引き摺ってきた男の話らしい。
「ココノエはそんな甘い奴ではないぞ、人間を壊す事や殺す事をなんとも思わないのだ! 老いた今でも近衛騎士より遥かに強……」
シヴはピンクの尻が挟まっている窓の、逆側の窓を勢いよく開ける。
「フェグゥッ!!」
ピンクの尻はもう一枚の窓にも挟まれ変な声をあげた。
アレンがシヴの姿を見て声をかけてくる。
「シヴおかえり、おしっこ漏らさなかったか?」
「問題ねーよ、こいつは漏らしたがな。」
手振りを交えそう返すと、シヴは手に掴んでいたボロボロになったココノエを、初めて見る身なりのいい女の前に投げ捨てる。
「誰かこいつに薬でも塗ってやれ、喉が渇いたから俺の酒も頼む。」




