1.皇立魔術協会
数百万人が住む世界最大の大都市、皇都リンカラの中央大通り。
街の中央にある巨大な教皇庁からやや距離を置いた場所に、〈皇立魔術協会〉の本拠地が建っている。
天高くそびえる白い塔は、優秀な魔術師でなければ立ち入る事すら叶わない高嶺の花だ。それでも、がっしりとした下層部は助手や事務員などの席が多いために、まだ可能性は多いのだが……細い上層部に立ち入れるのは、厳しい競争を勝ち抜いたごく一部のエリートだけだ。
田舎の天才や大学の秀才が毎年のようにこの象牙の塔へ挑み、内部の協会員や研究者に雇われて”上層”を目指すが、多くの魔術師は能力不足で夢破れて去っていく。
運良く生き残れた者も、その大半は死ぬまでこき使われる立場だ。
……その残酷な塔の最上階。
代々の皇立魔術協会の長が陣取ってきた権威の中枢に、一人の魔術師がいた。
金刺繍の入った臙脂色のローブと、肩にかかる同色の短いケープ。
メノー・ラーストチカ。〈現代の驚異〉と謳われる天才魔術師だ。
「おーべーうーすー……」
……カウチにだらしなく寝転がった彼女は、気の抜けた声で言った。
「おべうす成分が……たりない……」
彼女は左手を伸ばし、卓上のポテトチップスを口に運んだ。
「なんてことだ……もうないじゃないか……」
寝転がったままポテチの入っていた木の容器を振り、ため息をつく。
「ミリアム! 次のポテチー!」
「いい加減にしてください!」
いかにも利発そうな眼鏡の女が叫ぶ。
そして、執務机の書類整理に戻る。
「だいたい、なんで私がコレやってるんですか! あなたの仕事でしょ、協会長!」
「フッ……さてな」
「漫画のライバル役みたいな誤魔化し方をしないでくださいよ!」
「いずれ分かるときが来る……ワックスオン・ワックスオフだ、ミリアム……」
「何の話ですか! ああ、もう!」
ミリアムは勢いよく立ち上がり、カウチに寝っ転がるメノーを引っ掴んで起こした。
無理やりまっすぐカウチに座らせる。
「いたい」
「あのね、協会長! いいですか、どれだけオベウスに依存していたのかは知りませんがね、今は私が秘書なんですよ!」
「オベウスが秘書だったことなんてない……」
「やらせてたでしょ! 書類とか! 実験とか! 研究まで!」
「だってえ……わたしより十倍早くて優秀だったし……」
「というか、部屋の掃除までやらせてましたよね!?」
「魔術でパッと片付けてくれるから……」
「協会長! オベウスはもう居ないんですよ!」
「いるさ……雲の上にな……」
「だから、そういうのは……あーもう!」
ミリアムが地団駄を踏んだ。
「そんなに何もしたくないなら、協会長を辞したらどうですか!」
「ふふふ……やだ……」
「んがー! 実力行使!」
ミリアムは魔力を循環させ、掌に火球を生成する。
魔力を注ぎ込み、〈ファイアボール〉を放とうとするのだが……どれほど魔力を注いでも、火球が一向に大きくならない。
「ふふん。まだまだ」
メノーが立てた一本指に、大きな火球が乗っかっている。
彼女は魔力を使っていない。
ミリアムの掌と火球のわずかな隙間から魔力を勝手に盗み、それを操って〈ファイアボール〉を作り上げたのだ。
「そ、そんな曲芸する元気があるなら仕事してくださいよ!」
「やだ」
メノーは指を振って火球を崩し、再びカウチに寝っ転がった。
「ヒトには自由があるんだよ……自堕落にすきかってやるのも、迷惑かけなきゃ勝手でしょ……」
「迷惑かかってます。協会長が仕事をしないので」
「かかってないよ」
メノーがにやっと笑みを作った。
「だって、ミリアムは優秀な秘書だから、書類は期限内に決裁してくれるでしょ?」
「……こ、こうなったら私も仕事しないぞ! 協会長が仕事しない限り何もしません!」
「どーだか。ぐうたらするのも才能だからさ。ミリアムって、マジメで何かしてないと落ち着かないタイプじゃん。そういうヒト、けっきょく、根負けして仕事しちゃうんだよ。知ってる。だってこういう喧嘩なら、何回もオベウスとやったもんね」
「し、仕事しませんからね!」
「ふふふ……いつまでサボれるかな……」
数時間後。
ついに耐えきれなくなったミリアムが、憤怒の表情で書類仕事に取り掛かった。
- - -
翌日。
「おーべーうーすー……」
「何なんですか! なんで私がいるのにオベウスのこと呼ぶんですか!?」
「いやあ……呼んだら帰ってこないかな、って……」
「聞いてる訳ないでしょ!?」
「ミリアムー、うしろー」
「えっ!?」
振り返ったミリアムの後ろには、オベウスが……いるわけもなく。
「……あーもう! なんなんですか! そんなにオベウスが好きなら会いにいったらどうです! カウチに寝っ転がってないで!」
「それだ!」
メノーがパッと起き上がり、部屋の中をうろつきはじめた。
彼女が散らかしているせいで、だいぶ汚い。ミリアムが最低限の掃除をやっているおかげで、そこそこ足の踏み場はあるが。
「ミリアム、オベウスの塔がとんでった時のヤツってどこだっけ」
「宝珠に込めた映像記録ですか? その棚に」
「どーもー」
青色の宝珠を手にとって、メノーが魔力を込める。
その宝珠の中で、映像が動き始めた。火を噴きながら上昇していく流線型の塔。
「構造材は人工アダマンタイトかー、天然の魔術金属だとこんだけ用意するのはむずかしいだろうからなあ。で後部が八角形になってるのはこれ、パルス・エクスプロージョン式の推進か。オベウスの工房で見たなー、それぞれの面に魔法陣があって……。ミリアムー、これ巻き戻すのどうやるんだっけ」
「出来ませんよ。廉価版なんで」
「うわ、ケチだなー」
「コストカットの書類を決裁したの、協会長では?」
「それたぶんオベウスの仕業だわ。わたしはしらん」
それを聞いたミリアムが、こめかみを抑える。
「まいっか。早送りっと」
早回しで再生を終えて、一から再び映像を送る。
「全長三十メートルちょっと、直径は三メートルってところかな。人工アダマンタイトの外装は、これならせいぜい十トン少々の重量で収まる……諸々あわせて全備重量十五トンってところかな。で、えーっと……ミリアムー、オベウスの論文ってどこに入ってたっけー!」
「執務机の中ですよ! 自分で入れてたでしょう!」
「あ、そうだった」
書類仕事を続けるミリアムの横から手を伸ばし、論文の束を手に取る。
「えーっと、エクスプロージョンの反動でつくれる推力のデータは……あったあった」
彼女は書類の数値と映像を突き合わせ、脳内で素早く諸々を計算した。
「どれぐらい魔石のスペースを確保してるかにもよるけど、あの塔、たしかリビングと研究室は備えてるはずだし……あれ。どこにも行けないぞ、これじゃ」
彼女は計算結果を導き出した。衛星軌道上に乗せた時点で、あらかた魔力が尽きる。
「うーん……でも、地上からの望遠観測でオベウスの塔が見えたのって、数日間だけだったような。何か魔術的な手段で姿を覆い隠したとか? それだけかなあ、オベウスならもっと何かしらやらかしそうだけど……あたっ」
考えることに集中しすぎて、メノーは足元のゴミに引っ掛けた。
思いっきり頭を打ち付け、その衝撃で彼女は何かを思いつく。
「はっ! 太陽光か月光さえあれば、宇宙空間でも魔力を補給できる。空気に魔力が入ってる地上よりは効率が悪くても、太陽光と月光の強さ自体はもっとあって、んで……」
「無茶じゃないですか? 光に含まれる魔力ってそんなありました?」
「たしかに。補給できたとしても、そこまで遠くには行けないはず……ああ!」
頭上に電球が見えそうな仕草と共に、メノーが結論を思いついた。
「月だ! 月光に含まれる魔力濃度から月の組成を推定したオベウスの論文があって、魔力リソースが豊富らしくて……たぶんこれだ、月に魔石を掘りに行ったんだ!」
「……本気ですか? 月って、距離的にはものすごい遠いはずですよね? さすがに人間が行けるような場所では……」
「いや、行ける! わたしも行く!」
「えっ!?」
メノーはいくつか論文やデータを拾い集め、壁にかかった自らの杖を手に取った。
「じゃ、わたし、きょう限りで協会長を引退するので。よろしく」
「いや、ちょっと……!?」
「ふふーん。むふーふー」
メノーは鼻歌を歌いながら、意気揚々と杖を掲げる。
魔法陣が地面に展開され、彼女はどこかへ転移して消えた。




