あくる日迷子・中編②
エイトを知っている。それなら、喜左衛門にエイト探しを手伝って貰えるかもしれない…!
ワタルの顔色が明るくなる。シオとトウマも事態の思わぬ前進にホッとする。
そんな人間側の事情などお構い無しと言いたげな喜左衛門。何を思ったのかフンフンと鼻を鳴らしてワタルのジーンズポケットに口を突っ込んで素早くなにかを取り出した。
「ちょっと…!?」
ギョッとして喜左衛門を取り押さえようとするが、犬の素早さにはかなわず、ワタルの腕は空をかく。当の喜左衛門はというと店の出入口まで走り去り見せつけるようにこちらに顔を向けて今にも扉を開けようと後ろ足で立つ準備をしている。
喜左衛門の口元に咥えられた物を見てワタルはサっ…と顔色を青くした。
「あ!?それ、俺のパスカード!」
喜左衛門が奪取してしまったのはワタルが所属する大学研究棟への電子許可証だった。括り付けられた木彫りのフクロウがゆらゆらと揺れている。
口に許可証入りパスカードを咥えながら器用に前足を使ってドアノブを開け、店から脱出してしまう。
「おぉい!勝手に持ってくなバカァ!」
真っ青になったワタルが慌ててあとを追いかける。
呆然とそれを見送ってしまったシオとトウマ。先に立ち直ったのはシオの方だった。
「トウマ、ワタルと喜左衛門を追いかけてあげて」
「えぇ?でも、店はどうするの?」
追いかけたいのは山々だが自分の仕事を放棄するのも気が引けるトウマ。
次いで来客を告げるベルが軽快な音を立てる。ランチタイム目当てのオフィスレディ二人組の客がきたようだ。
「こんにちはー。やった!うちら一番乗りじゃない?」
「ラッキー!店長さん、一番奥の席貰っていい?」
まだ二十代の前半らしい若いオフィスカジュアルに明るめメイクのレディたち。彼女たちはこの睡蓮文具店の常連客だ。
「いらっしゃいませ。もちろん。構いませんよ。お好きな席へどうぞ」
すぐに営業モードの笑顔を貼りつけて応対するシオ。さっとおしぼりとお冷を用意しながら、トウマに耳打ちする。
「今日はオーナーを呼びます。厳しくなりそうなら思い切ってラストオーダーを早めて店じまいしますよ」
ポンポンとトウマの肩を叩いて送り出すシオ。その後、テキパキとオーダーを取り始めたので、トウマも素直にシオの言葉に従い、フロアスタッフ用のエプロンを脱いで店を飛び出した。
「シオ、なんかあったら連絡して!」
店を出る前に声をかけると、頼もしい笑顔と共にサムズアップで送り出された。
+++
店の外は先刻のどしゃぶりが嘘だったみたいに晴れていた。
じりじりと上からも下からも熱される超自然サウナの中、ワタルは街路樹の影に入って小休憩をとっていた。
大事なパスカードを咥えて逃げた喜左衛門を追っていたのだが、犬の全力疾走には勝てず、加えて睡蓮文具店に来る前から走り回っていたこともあり、体力が底をついたのだった。
「あの犬畜生め、ふざけやがって…!パスカード壊したらただじゃおかん…!」
息を深く吸って呼吸を整えるワタル。走れるほどの体力など残ってない。だが、パスカードには祖父からもらった大切な木彫りのフクロウのキーホルダーがついている。電子許可証は再発行すればいい。でもあのフクロウだけはだめだ。体力の限界か祖父の形見か、どっちか優先するならやはり後者だ。
「……闇雲に走り回っても見つからないし、効率のためだからな…」
ぶつぶつ呟いて自分を納得させながら、ワタルは全神経を頭上に生える「馬の耳」に集中させる。
この世には人に認識されない存在、俗に怪異と呼ばれるモノがいる。
怪異の因子を色濃く引く人間は、身体の一部に動物のような特徴が発現することもある。ワタルのように。
常人に見えないその耳は、あらゆるものの音、気配を敏感に察知して対象の音、気配だけを拾い上げる。
自分の呼吸すら止めて喜左衛門の発する音、気配を探る。
馬耳がピクピクと反応するように動き、脳裏に黒いボーダーコリーがどこにいるのか、その光景が鮮明に映し出される。
「……ドラッグストアの駐車場か」
今いるオフィスビルの林から住宅街へ下っていく中間地点にドラッグストアがある。狭い脇道にポツンと建つ店の小さい駐車場にいる喜左衛門。
ふーっと息を吐き出して、今度は足に神経を集中させる。
腰の辺りに生えた「馬のしっぽ」が上下に激しく振られ、全力疾走の構えをとる。
ギュッとアスファルトをスニーカー底で擦り付け、腰を低くした姿勢から一気に走り出す。
「首洗って待ってろ、犬畜生!!」
敵将の首を取りに行くような禍々しいオーラを放ち、目をギラギラと光らせてオフィス街を爆走した。
+++
ワタルが喜左衛門を見つけると、奴は体のいい遊び相手を見つけたような嬉しそうな顔をしてしっぽを振って逃げる。ワタルが見失って、馬の耳やしっぽの能力を使い見つけて追いかける。喜左衛門は逃げる。そして、追いかけるこちらを見ると喜左衛門の走るスピードが上がり結果として見失う。
そのサイクルをもう三回はしただろうか。
「……やべぇ、クラクラしてきた…」
炎天下の追いかけっこ。加えて全神経を集中する能力を三回行使。気力も集中力も限界点を突破していた。
フラフラしながら建物の日陰に入り座り込む。
疲労によって目の前が真っ暗になり、グワンと視界が揺れる。
しばらく動けなさそうだ…と深くため息をつくと、頬に冷たい何かが触れた。
「ワタにき、大丈夫?」
定まらない視点を上げると、心配そうにこちらを覗き込むトウマの顔があった。
「トウマ…?…大丈夫に見えるか?」
「いや、見えません。とりあえずこれ飲んで」
突き出されたのはよく冷やされたスポーツドリンクだった。ワタルの頬に触れたのもこれのようだ。
スポドリを受け取って一気に半分まで飲み干すと視界がいくらかクリアになる。
「助かった…ありがと」
覇気のない声で答えるワタル。すかさずトウマがコンビニのビニール袋から氷菓子を取り出す。
「能力使ったんでしょ?アイスの実、買ってきたからこれも食べて」
冷たいチャック付きの袋を手渡され、氷菓子を一粒口に放り込む。
トウマは因子持ちの人間ではないが、ワタルが因子持ちであること、固有の能力と能力発動後の気力体力の消耗について知っている。
知られていることは癪に障るが、配慮はありがたく受け取っておく。
「キンキンに冷えてる…ありがたし…」
「それはなにより。…喜左衛門、見つからないの?」
氷菓子を四つ食べて、ある程度疲労が回復してきたワタルに問いかけるトウマ。
ワタルは袋に入っている最後の一粒を口に放り込む。
「能力使って見つけて、捕まえようとすると逃げられる。その繰り返しだ」
三回もやられてみろよ…絶望するぜ…と苦々しく呟いて氷菓子を齧るワタル。その目は荒みきっていた。
「というかお前こそ、どうやって俺を見つけたんだよ」
弱ってる所に現れるなんてどこぞのヒーローかお前は、というツッコミは胸の奥にしまっておく。
「うーーん…直感?」
「いちばん信用ならないのが来た」
「そんなこと言われたって、本当に直感なんだってば!コンビニでスポドリとかアイス買って出てきたら、たまたまワタにきがダウンしてるの見つけたの!」
信じてよ!と不満げに唇を尖らせるトウマ。制服のまま汗でびっしょりになっている彼を見るとそれ以上ツッコミを入れるのもどうかと思えてきた。
「まぁ…おかげで熱中症にならずにすんだから、助かった」
「どういたしまして」
ワタルの素直じゃないお礼に、言葉少なく応じるトウマ。
建物の日陰で休み徐々に体力が回復してくるワタル。トウマも懐から扇子を取り出してパタパタと仰いでいる。
「それにしても…喜左衛門はなんで逃げてるんだ?遊んで欲しくて逃げ回ってるにしては質が悪いけど…」
「知るか、俺が聞きたい。じぃちゃんの形見のキーホルダー人質にとって、真夏の炎天下鬼ごっこなって…たまったもんじゃねぇよ…」
トウマに問いかけられたワタルがぼやく。脳裏に腰を低くしてしっぽを振り、捕まえてみろ!とでもいわんばかりに逃げ回る喜左衛門の姿が横切り、眉間の渓谷がますます深くなる。
「あれ、でも…あいつが逃げてる経路…よく考えてみたら全部俺が知ってる場所だった…」
「どういうこと?」
「一番最初はドラッグストアの駐車場。その次は近所の子供が遊ぶ公園、ついさっき取り逃したところは、俺がよく行くコンビニの前だった…」
ぶつぶつと呟くワタルの頭の中でそれぞれの場所が一本の線で繋がっていく。
「全部…エイトの散歩で通る休憩スポットだ…!」
「ええ?じゃあ、なに?喜左衛門はわざとエイトのお散歩コースで逃げ回ってるってこと?」
「だとしても…なんで喜左衛門がエイトのお散歩コースなんて知ってるんだ?…そもそも、喜左衛門はどこでエイトを知ったんだ…?」
ワタルの脳裏にエイトを引き取ってからの一年分の記憶が横切っていく。ワタルの近所には他に犬を飼っている人は少なく、お散歩コースで他の犬に遭遇することはあっても、喜左衛門のようなボーダーコリーに遭遇したことはなかった。それに喜左衛門は人懐っこく、野良犬には到底見えない。
疑問が踊る思考を持て余し、ふと顔を上げると丁度道路の向かい側をひょこひょこと喜左衛門が歩いていく姿を見つける。
「あ!!」
「喜左衛門!!」
ワタルとトウマが大声を出すと喜左衛門は体をこちらに向けて嬉しそうに腰を低くしてしっぽを振りまくる。ワタルのパスカードはまだ口に咥えられたままだ。
ワフ!と口が塞がっていることでくぐもった鳴き声を漏らし、喜左衛門は住宅街の更に奥へ走り去る。
途中で立ち止まってワタルが追いかけて来るか来ないかを見ている。
「…やっぱり…あいつ、どっかに誘導しようとしてるな」
「…ついてく?」
「もち。パスカードも、エイトのことも知ってるなら教えてもらわないとな」
ゆっくり歩きながら後を追うワタルとトウマを見て、喜左衛門は走ることをやめ、ゆっくりと二人がついてくるのを確認しながら、住宅街の西へと進み出す。
雨上がりの道路は太陽の熱気で乾き、じりじりとした照り付ける真昼の暑さへ変わっていた。




