第9話 黄金の獅子と北の嵐
いつもお楽しみいただきまして誠にありがとうございます。
今回からガルハートの傭兵王と呼ばれた過去が波乱を呼ぶことになります。
第三章も涙と笑いを楽しみください。
毎日投稿はここまで。次回からは水、土曜 18時の週2回投稿になります。
水曜土曜はガハハの日 お忘れなく。
次回は今週土曜日18時からです
スターレの街の北、色街のどん詰まりにある長屋。
オタマ婆さんが世を去った後、すぐに解体されるはずだったそのボロ家には、今も変わらず黄金の男が居座っていた。
「ガハハ! リノンお嬢様、ご来臨か! 家賃の督促なら、俺のこの自慢の指先で『現物支給』ってのはどうだ?」
長屋の前に止まった豪華な馬車から、リノン・ゴールドバーグが扇子を片手に降り立つ。彼女は眉間に皺を寄せ、長屋のボロ壁を忌々しげに見つめた。
「ふん、相変わらず不潔な口ね。いい、勘違いしないで。私が業突く張りどもから、この長屋を相場の三倍も出して買い取ったのは、単なる『不良債権の回収』よ」
オタマの死後、この長屋は、権利を主張してきた遠縁の親族からリノンが即座に買い叩いたのだ。ガルハートを自らの監視下に置き、他人に壊させないために。
「はいはい、わかってるぜ。俺はあんたの『所有物』、この家はあんたの『魔法温室』と同じってわけだ。……で、今日は何の用だ?」
ガルハートの問いに、リノンは一瞬、言葉を詰まらせた。広げた扇子で口元を隠し、視線を鋭く尖らせる。
「……最近、街に『余計な客』が増えているのよ。それも、商人でもなければ、スターレ家の兵でもない……ひどく不快な『北の獣』の臭いをさせた連中がね」
ミーナの実家である酒場『赤い月亭』の卓越した情報網は、ある一人の男の入街を捉えていた。
北方最大を誇る傭兵クラン『鋼鉄の牙』副団長、ザルカス。かつて北の戦場で、ガルハート単騎とクラン総がかりで三日三晩殺し合いを演じた不倶戴天の宿敵の一人。
「……聞いた話じゃ、そのザルカスって男、あなたが『戻るまで、誰にも墓に指一本触れさせるな』なんて命令したせいで、一向に戻ってこないあんたを待ち続けて、わめき散らしていたらしいわよ。でも、そんな男がわざわざこんな僻地まで出てきたのよ。答えは一つだわ」
リノンは冷ややかに、確信を持って言い放つ。
「あなたが残したその『墓守』の約束を逆手に取って、のこのこと交渉に来たんでしょう? 律儀なフリをして、音信不通のあなたを力ずくで引きずり出すための口実にするつもりなのよ。……ガル、貴方。またあっち側の血生臭い世界に引きずり戻されるつもり? 北で何かとんでもなく『ヤバい事』が起きているのは、私の勘が告げているわ」
リノンの冷徹な瞳が、ガルハートの金髪を射抜く。
(……何よ、この言い草。これじゃまるで、私があの男に執着しているみたいじゃない)
合理性を重んじる自分なら、こんな不良債権などとっとと損切りすべきなのだ。
――けれど、どうしても出来なかった。
叔父の罪を暴き、その汚れた野望ごと叩き潰した黄金の背中。あの夜、リノンの初恋と、一生分の恋慕は、すべてこの男に奪い去られてしまったのだ。
「ガハハ! 厳しいねぇ。だが、安心しな。俺は今やこの長屋の二代目、自称『オタマ流・極楽按摩術』の伝承者だからな。北の獣だか何だか知らねぇが、今の俺に用があるなら、按摩の予約表に名前を書かせるだけだ」
ガルハートは一歩踏み込むと、大きな掌をリノンの頭に置いた。
計算し尽くされたプラチナブロンドの髪を、武骨な指が乱暴に撫で回す。
「それに、お前さんのそのガチガチの『心配性』も、俺でよければほぐしてやるぜ?」
「なっ……! 不潔よ! 私のシルクの髪に、その汚い指で触らないでちょうだい!」
リノンは顔を真っ赤にして叫ぶ。だが、その大きな掌から伝わる暴力的なまでの温もりに、彼女の細い肩の力は、気づけば不覚にも抜けていた。
(……ずるい。そんな顔で、そんな声で……)
普段、虚勢を張っている彼女の心が、わずかに溶け出し、長屋の埃っぽい空気さえ甘く感じ始めた、その時だった。
バギャァァァン!!
ボロ長屋の、ただでさえ心許ない立て付けの扉が、凄まじい勢いで蹴り飛ばされた。
「待ってくださいッ! そこで何をしているのですか、リノン・ゴールドバーグ!」
砂埃と共に飛び込んできたのは、顔を真っ赤に茹で上げたヒサメ・スターレだった。その後ろには、「やれやれ」といった様子で苦笑いするミーナが続いている。
「……あら。せっかくのいい雰囲気を、野良犬の遠吠えで台無しにされたわ。警邏隊のお姫様、ヒサメさんじゃない。ここは私の私有地よ。不法侵入で訴えられたいのかしら?」
リノンは一瞬で「女狐」の仮面を被り直し、乱れた髪を整えることもせず、扇子を広げて冷たく言い放った。
対人スキルの差で圧倒され、言葉に詰まるヒサメ。彼女はぐぬぬと奥歯を噛み締め、背後の「助っ人」に泣きついた。
「ミーナ! 言ってください! 公序良俗を乱しているのは、こちらの銭ゲバの方なのです、と!」
「はいはい、ヒサメ様、落ち着きなさいな。……で、リノンのお嬢も。こんな長屋を三倍の値段で買い叩くなんて、あんたも大概に強欲ねぇ。商会の予算、このバカを囲い込むために使い果たすつもりじゃないの?」
ミーナが、小柄ながらも存在感のある肉体を揺らして笑う。彼女は迷うことなくガルハートの隣へ進み出ると、その逞しい腕に自分の身体を密着させた。
「ガハハ! ミーナ、なんだか今日は一段と……肩が凝ってそうだな?」
ガルハートが大きな手で、無造作にミーナの腰や尻のあたりに触れる。女性に触れるには不躾な手つきだが、ミーナは頬を微かに染め、不機嫌そうに口を尖らせた。
「……ちょっと、ガル。あたしの身体に触れて無事でいられるのは、世界中探してもあんたくらいだって言ったでしょ。少しは遠慮なさいよ」
文句を言いながらも、ミーナはその手を払いのけようとはしない。それどころか、ガルハートの大きな体温を確かめるように、さらに深く寄り添った。寂しい時には自分からくっつきに行くくせに、いざ触れられると憎まれ口を叩く。それが、彼女なりの深い恋慕の形だった。
「ふん。情報泥棒が、随分と安売りをしているわね。私の管理商品の価値が下がるから、その不潔な肉体を離してくれる?」
リノンが扇子を広げて冷たく言い放つが、その目に敵意は無い。
かつて十四歳のリノンがすべてを失いかけた時、ガルハートが彼女の叔父を叩き潰した「その後」。
ゴールドバーグ商会を蝕む毒をすべて抜き去るために必要な情報をリノンに与え、彼女を支え抜いたのは、友人であるミーナと、彼女の両親が経営する酒場『赤い月亭』だった。裏切り者の血族よりも、自分の為に拳を振るった男と、窮地に力を貸してくれた友。
リノンにとってミーナは、親友であり、同じオスを共有することを許せる唯一の「身内」なのだ。
「あら、私の情報は高くつくわよ、リノンのお嬢。……昨夜の『北の獣』の追加報酬なら、現金じゃなくてもいいんだけど?」
「その話は後よ. 今は、目の前の不確定要素をどうにかしなさい」
リノンは忌々しげにヒサメを一瞥し、反対側のガルの腕をそっと自分の細い身体に引き寄せ、こっそりと体重を預ける。
「なっ、貴方たちは……! 何をしているのですか! こ、公序良俗に反します!」
ヒサメが顔を真っ赤にして叫ぶ。だが、この「女の陣取り」の空気感だけは、彼女の清廉な瞳には映らない。
リノンにとって、このヒサメという存在は極めて厄介だった。領主の娘であり、腕も立ち、何よりガルハートを「公的」に縛りかねない。嫉妬という毒が、リノンの胸を突く。
(この女……無自覚にガルを追いかけていることに、まだ気づいていないのかしら。厄介なこと……)
「ガハハ! 喧嘩すんな。ほら、ヒサメの姫さんも、そんなにカリカリしてねぇで、婆さんの家を拝んでいきな。……なぁ、リノン」
ガルハートが、リノンのことを珍しく「リノン」とだけ呼んだ。
その瞬間、リノンの瞳に微かな甘えの色が走る。
「……ええ、ガル」
リノンがその名を噛みしめるように呟いたのも束の間。彼女はすぐに「女狐」の冷徹な表情を取り戻し、ガルの腕を引き寄せたまま、真正面のヒサメを射抜いた。
「それで? 公序良俗の講釈を垂れに、わざわざ私の私有地まで来たわけじゃないでしょう、ヒサメさん。警邏隊が動くからには、何か『実害』の報告でもあったのかしら?」
「ぐ……っ、そうです! 貴方たちとふざけている暇はなかったのでした!」
ヒサメは、二人の女に挟まれて平然としているガルハートの、そのあまりにも無防備な喉元へ指を突きつけた。だが、ガルハートはその指をひょいと掴むと、あろうことか、剣を握りしめすぎてガチガチに固まった彼女の手のひらを、親指でぐいと押し込んだ。
「なっ……!? な、何を……っ」
「おら、ヒサメの姫さん。指先まで力が入っちまって。そんなんじゃ、いざって時に剣が走りませんよってな。……ほら、ここだ」
「ひ、ひゃうんっ!? ……貴様、どこを触って、変な声が出るではありませんかッ!!」
ヒサメは顔を真っ赤にして、弾かれたように手を引き抜いた。天下十剣ともあろう者が、指先を少し揉まれただけで膝の力が抜けそうになるなど、あってはならない屈辱だ。彼女は乱れた呼吸を整えるために居住まいを正した。
その瞳に、ようやくスターレの騎士としての鋭い光が戻る。
「ガルハート、貴方に警告に来ました。最近、この街の周辺で『北の獣』……それも、ただの野良ではない、組織化された傭兵共の動きが確認されています。さらに不穏なのは、彼らが『金の傭兵王を探している』と吹聴していることです」
ヒサメが独自に掴んだその情報は、リノンが先ほど告げた「ザルカスの入街」という事実と、パズルのピースのように合致した。
「金の傭兵王ねぇ……。ヒサメ、お前さんも随分と面倒なもんを掴んできやがったな」
ガルハートが低く笑う。だが、その笑みには戦場特有の鉄の匂いが混じっていた。そこへ、ガルの腰に密着したままのミーナが、追い打ちをかけるように口を開く。
「ヒサメ様の情報は『入口』ね。……ガル、あたしのところに入った情報はもっとエグいわよ。北方の有力な傭兵クラン……あの『鋼鉄の牙』も含めて、トップが何人か行方不明になってるらしいわ。北の力関係が、今、根底から崩れようとしてる」
「何ですって……!? ミーナ、それは確かですか!」
驚愕に目を見開くヒサメ。ミーナは『赤い月亭』の情報網の絶対的な自信を持って頷いた。
「ええ。単なる内紛じゃないわ。何者かが意図的に、北の『牙』を抜き取ってる。……そしてザルカスがここへ来たのは、単にあんたとの約束を守るためでもないわよ. ガル、彼はあんたを……」
「……『新しい牙』に据えるか、あるいは『生贄』にするか。そのどちらかでしょうね」
リノンがミーナの言葉を冷ややかに引き継いだ。
三人の女たちの視線が、中央に座る黄金の男に集中する。
その時、ガルハートがふっと視線を扉の向こう、そのさらに先へと投げた。
先ほどまで女たちをからかっていた弛緩した空気が、一瞬で消失する。彼は椅子の背にもたれたまま、獲物を待つ獅子のような、底冷えする笑みを浮かべた。
「ガハハ! どいつもこいつも、俺をのんびり按摩師にさせてくれねぇなぁ。……ザルカスの野郎、墓番を放り出してまで俺に会いたいってんなら、相応の『診察料』を払ってもらわねぇとな」
ガルハートが不敵に言い放った、その直後。
ヒサメの背筋に、氷柱を突き立てられたような戦慄が走った。剣士としての天賦の才が、外から押し寄せる尋常ならざる圧力を捉えたのだ。
「……ッ! この気配……何者ですか!?」
ヒサメが叫ぶと同時に、ボロ長屋の周囲を、音もなく「鉄の匂い」が包囲した。
外には、かつて北の戦場を血に染めた《鋼鉄の牙》の手勢が、殺気を殺して整列している。
先ほどまでの女たちの喧騒を、冷酷な沈黙が塗りつぶしていく。その沈黙を破り、重厚な足音が板間を震わせた。
「……見つけたぞ、ガルハート殿。按摩師だとか、そんなふざけた真似をしている場合ではないんだ。失礼する」
扉の向こうから現れたのは、黒い毛皮を肩にかけ、全身に無数の傷跡を刻んだ巨漢だった。北方最大を誇る傭兵クラン『鋼鉄の牙』副団長、ザルカス。
かつて北方の激戦区において、最強最大と名高いクランの総力を結集し、たった一人の男――ガルハートを相手に三日三晩の殺し合いを演じた末、辛うじて全滅を免れた生き証人だ。天下十剣のような天賦の才こそないが、その化け物の牙に喰らいつき、死線を潜り抜けた経験だけが積み上げた「本物の強者」の圧が、狭い長屋を支配する。
「……あんたが、ザルカス」
リノンは扇子を握りしめ、強張った声でそう漏らすのが精一杯だった。耳に入っていた噂では、ガルハートを待ち続けてわめき散らす「小物」を想像していた。だが、目の前の男はどうだ。ただそこに立っているだけで周囲の空気がひび割れるような、本物の猛獣の気配。リノンは、喉元に刃を突きつけられたような抜身の恐怖を感じた。
だが、その猛獣が、椅子に深く腰掛けたままのガルハートを見据えた瞬間。ザルカスは板間に膝を突き、その場に額を擦り付けた。
「……頼む、ガルハート殿。俺の命はどう使っても構わん。オーダー通り、俺たちは、踏み荒らされる前に、婆さんの息子の墓を見つけた……。その貸しを、今ここで返すと思って力を貸してくれ。この通りだ!」
「ガハハ! あのザルカスが、予約なしに頭を下げるとはなぁ。……で、何が起きた?」
ガルハートの声から冗談めかした響きが消え、鉄の重みが混じった。
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