第8話 金髪の獅子と最高の種馬
家庭内であっても、家族がお互いを見る視点は全然違ったりします。
領主の肩こりにガルハートは一体どんなマッサージを行いますか。
第二章の顛末をどうぞお楽しみください
静寂が、広間の空気を凝固させていた。
スターレ伯の剣先は、わずかに震えたまま止まっている。目の前の男が口にした「詩」の重みが、大剣豪の戦意を困惑という名の鎖で縛り上げていた。
セーラは息をすることさえ忘れ、メイは微笑を張り付けたまま。
この場にいる誰もが、ガルハートという不可解を前にして、次の一歩を踏み出せずにいた。
その沈黙を、ガルハートの低い笑い声が裂いた。
「ガハハ! ……そんなに怖い顔すんなよ、領主様。亡霊でも見たような目だぜ」
ガルハートは、あれほど鋭かった気合いを、まるで古い上着を脱ぎ捨てるように霧散させた。肩をすくめ、木刀を無造作に担ぎ直すその姿は、先ほどまでの神々しい貴公子から、またいつもの「ろくでなし」へと戻ったかのようだった。
だが、その瞳だけは違った。深みのある紺碧の瞳が、真っ直ぐに伯爵を、そしてその背後の家族たちを射抜く。
「……あんたが俺を呼んだのは、俺という『牙』がいつこの街を噛み砕くかが怖かったからだろ? だから、俺の正体を暴き、力でねじ伏せて安心したかった。よくある話だ。正体不明のヤツほど怖いもんはねぇからな」
ガルハートは一歩、また一歩と、剣を構えたままの伯爵へ近づいていく。
「安心しな。俺の牙は、もうとっくに抜いちまったんだよ。……いや、削ったと言ったほうが正しいか」
彼はそこで言葉を切り、慈しむような、どこか遠い時代を懐かしむような笑みを浮かべた。
「奪い、壊し、勝ち誇るためだけに研いでいた俺の牙は……もう、大事な誰かを傷つけずに抱きしめるために、丸く削っちまったんだよ」
その言葉は、伯爵の胸の奥深くに、どんな剣技よりも鋭く、そして温かく突き刺さった。
「さて、と――。領主様、話の続きをしようじゃねぇか。あんたが本当に見なきゃいけねぇのは、俺の正体じゃねぇはずだ」
ガルハートは、伯爵の隣で今も震えているカインへと、視線を移した。
「いいか、領主様。あんたやヒサメ、奥方や娘さんたちのように才を誇る家族たちは、呼吸をするように『先』を読む。天才ってのは、無意識に相手の『正解』をトレースしちまう生き物だ。俺がわざと見せてやった『美しい予備動作』に、自分から吸い込まれていった。……あんたとの一合も同じだ。あんたの目はあまりに良すぎる。だから俺のつく『嘘』を読みすぎて、剣がかすりもしなかった」
ガルハートは、膝をつくカインに歩み寄り、その肩にポンと大きな手を置いた。
「だが、カインは違ったぜ。昨日、俺はこいつにだけは木刀の『鞘』を使わされた。こいつは、自分が『持たざる者』だってことを誰よりも呪いながら自覚してやがる。天才が天性で読み取る『美しさ』なんて最初から信じちゃいねぇ。石にかじりついてでも相手の泥臭い動きを凝視し、一歩でも先へ食らいつこうとあがく……。持たざる者が極限まで研ぎ澄ませたその『疑心』は、時として天才の直感すら凌駕するんだ」
ガルハートの手が、カインの肩を力強く掴む。
「この家は地獄だろうな。四方八方を、一生届かねぇ『最優秀』に囲まれてるんだからよ。……だがなカイン。お前のそのねじくれた剣はな、そういう絶望の中でしか打てねぇ、誇り高い一本だ。パリス大学の教科書には書いてなかっただろ? 『強さ』ってのは、何かを壊す力じゃねぇ。こうやって、隣にいる奴の震えを止めてやる力のことなんだよ」
カインの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。自分を否定し続けてきた劣等感こそが、最強の男が唯一認めた「武器」だった。その全肯定が、彼の魂のコリを根底から砕いた。
スターレ伯は、その光景をただ呆然と見つめていた。
伯爵にとって、王国の最高学府ソルボ大学の門を叩くことも、武芸の奥義を掴むことも、空気を取り込むのと同じほど「当たり前」の事柄だった。妻も、娘たちも、その「当たり前」を事も無げに成し遂げてきた。ゆえに、学問ではソルボ大入学を果たせずにパリス大学に甘んじ、剣術でも才を見いだせなかった息子を、伯爵はただ『不出来』なのだと、何かが足りぬのだと勘違いしていたのだ。
(そうか……。不出来だったのは、私の方か。我ら家族がたまたま得ていた『才』という幸運。それを持たぬ息子が、どれほどの暗闇であがき、それでもなお剣を捨てずにいたか……。私は、その血を吐くような研鑽を『凡愚』の一言で切り捨てていたのか!)
己の不明を恥じると同時に、伯爵は目の前に立つ男――ガルハートという存在に、峻厳な峰を見ていた。
歴史の闇に消えた詩を口ずさみ、天下十剣筆頭の剣を欠伸混じりにかわしてみせる、底知れぬ暴力の深淵。その事実が、大剣豪としての自尊心を打ち砕く。だが、不思議と心は軽かった。
守るべき「家威」や、演じるべき「最強」という鎧が、ガルハートの放った言葉によって粉々に壊されたからだ。今、ここにいるのは「天下十剣の筆頭」ではない。ただ、不器用な息子を愛し、その努力に目を開かされた一人の父親だった。
「……父様!」
カインが立ち上がった。その瞳には、もはや濁りはない。
「父様、『北方スターレ流』の挨拶はまだ終わってない! 剣を止めないで! 行って! 僕は……不器用だけど、でも、父様を支えたいんだ!」
カインの叫びに呼応するように、セーラが、メイが、ヒサメが、そして母エレンが立ち上がった。
「「「お父様、頑張って!」」」 「貴方、スターレの剣を、示しなさい!」
家族が一つになった。背負っていた「看板」の重みは消え、代わりに背中を押し出すのは、愛する者たちの確かな熱。
伯爵は、手にした長剣をもう一度握り直した。もはやガルハートを「脅威」として排除するためではなく、この底知れぬ男に、自分たち家族が今、再生したことの証を――ありったけの感謝と情熱を込めた一撃を、受け止めてほしいと願った。
視界が、かつてないほどに澄み渡る。
高みを目指してがむしゃらに剣を振っていた若き日の情熱が、家族の絆という薪を得て、烈火のごとく燃え上がった。
「おおおおおッ!!」
咆哮と共に踏み込んだ一歩が、石畳を爆ぜさせる。電光石火の連撃。天才の先読みと、家族の期待を背負った、嘘偽りのない「人生最高の一撃」。
あまりに純粋で、あまりに重いその圧力に、これまで軽々と全てをかわしてきたガルハートが、初めて驚愕に目を見開き、たまらずたたらを踏んだ。
「そこだ、父様!!」
カインの『持たざる者の目』が、ガルハートの回避の極小の隙を捉えた。伯爵の剣が、真空を切り裂きガルハートの首筋を狙う。ガルハートはたまらず、木刀の鞘を使って――防御の姿勢を強制された。
ドォォォォンッ!!
全力を使い果たし、床に倒れ込んだスターレ伯の顔には、遥か高い峰を踏破したものだけが持つ満足げな表情が浮かんでいた。
ガルハートは高らかに笑い声を上げた。
「ガハハ!! ――参ったぜ。北の戦場で何人とやり合おうとも、一度だって防御なんてしたことがなかった。……さすがは大剣豪だな。あんたは間違いなく、最強だ」
心底からの敬意を込め、ガルハートは横たわる伯爵に対し、静かに跪いた。かつての高貴な騎士のごとく、完璧で美しい剣士の礼。領主家族はその神々しい眺めに、惜しみない拍手を送った。
「勝ちも負けもねぇよ。領主様、あんたの家族を見りゃわかる。……分かってやれとは言わねぇが、一歩この家を出さえすれば、このカインって男は未来が明るい優秀な……性格がねじれた阿呆だ。ガハハ!」
ガルハートは立ち上がり、腰に手を当てて一同を見渡した。
「領主様、あんたは最高の種馬だ! ガハハハハ!」
優秀な子供を育て上げたスターレ伯への最高の賛辞は、ガルハートによって最低の言葉となったが、「スターレ・ホール」には伯爵一家の明るい笑い声がしばらく響いていた。
***
白銀の領主館、その重厚な鉄門がゆっくりと開いた。
門前で待機していたゴールドバーグ商会の馬車の横で、リノンは苛立ちを隠すように何度も扇子を打ち鳴らし、ミーナは門の隙間を覗き込もうとして警備兵に止められていた。
「遅すぎるわよ、あのお猿さん。……まさか本当に牢屋に放り込まれたんじゃないでしょうね。そうなったら、私は伯爵相手に損害賠償の訴訟を起こさなきゃいけなくなるわ」
「リノン、顔色が真っ白だよ……。大丈夫、あのガルハートがそんなに簡単に捕まるわけ……あ! 出てきた!」
門の向こうから、悠然と歩いてくる影が一つ。
襟元をゆったりとゆるめ、漆黒の正服を肩で風を切るように着こなし、夕陽を背負って歩いてくるその姿は、入館時よりもさらに「王者の風格」を増していた。
「ガハハ! 待たせたな、お嬢様方。……出迎えご苦労!」
「アンタねぇ! 心配したんだから!」
ミーナが真っ先に駆け寄り、ガルハートの胸板に拳を叩きつける。ガルハートはそれを片手で受け止め、ひょいとミーナを抱え上げた。
「……随分と、晴れやかな顔ね」
リノンが歩み寄り、ガルハートの襟元を無言で整える。その指先はまだ微かに震えていたが、口から出るのは相変わらずの「商売人」の言葉だった。
「スターレ伯との会談、そしてカインという懸念材料の払拭。……私の投資は、どうやら首の皮一枚で繋がったようね。それで? 中では何があったの?」
「何、ちょっとした肩揉みと……親父さんに『あんたは最高の種馬だ』って教えてやっただけさ」
「……は?」
リノンが耳を疑い、ミーナが固まった。
「……種……馬? 王家の傍流にして天下十剣筆頭のスターレ伯に、そんな……。アンタ、本当に殺されても文句言えないわよ!?」
「ガハハ! 伯爵も笑ってたぜ? ――さあ、もう窮屈な服はお役御免だ。街に戻って、とびきりの酒でも開けようじゃねぇか。今日は俺の奢り……と言いたいが、リノン、経費で落ちるか?」
「……。ふん、今回だけは特別よ。ただし、その儀礼服を汚したら、クリーニング代の十倍を利息でいただくから」
リノンは呆れたように溜息をつき、けれどその口元には隠しきれない柔らかな笑みが浮かんでいた。
ガルハートは二人の手を交互に取り、馬車へとエスコートする。その所作だけは、やはり歴史から抜け出してきたような、本物の貴公子のそれだった。
馬車が夕闇の街へと走り出す中、領主館の窓からは、肩の荷を下ろしたスターレ伯と、少しだけ表情の和らいだカインが、遠ざかる馬車をいつまでも眺めていた。
第二章 傭兵王と白銀の館 もつれた縁を解きほぐす 完
『続きが気になる!』『面白い!』と思っていただけたら、下の星にポイントを付けて応援していただけると嬉しいです!




