北方編:序章「獅子の胎動」10
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
獅子の胎動編もラストスパートです。
今回が本当に最後です。お楽しみください。
次回からも月、水、土曜 18時の週3回投稿になります。
月水土曜はガハハの日 お忘れなく。
ジョルカス帝国北方軍本営。
出陣に向けて慌ただしく準備が進む中、 一通の手紙が公爵ヴァルツァークのもとへ届けられた。
封には、他国の様式でありながら、 高位の者しか使わぬ 赤い蜜蝋 が押されている。
差出人は―― 鋼鉄の獅子シンバ。
公爵は眉をひそめながら封を切った。
そこには、簡潔にこう記されていた。
**十日後、太陽が真上に昇る刻。 ザウロン郊外の平原にて、 金の獅子ガルハートと果し合いを行う。その勝敗をもって、我は帝国に下る。 賞金は不要。 公爵家への士官を望む。
その証人として、ザウロンの民を呼ぶ。**
公爵は手紙を握りしめた。
「……シンバ。あの若造が、我が軍門に下ると?」
参謀たちもざわめく。
「罠の可能性もありますが……公爵家への士官を明言している以上、無視はできません」
「ザウロンの民を証人に、というのも妙ですな」
「だが、これを拒めば“帝国が逃げた”と噂される」
公爵は静かに頷いた。
「……行くしかあるまい。六〇〇〇を率いて、見届ける」
同じ文面の手紙は、ギルドを通じてザウロンにも掲示された。
「鋼鉄の獅子が……帝国に下る?」
「ガルハートと果し合いだと?」
「北方最強を決める一戦じゃねぇか!」
街は一気に祭りのような空気に包まれた。
見物に行く者、出店を出す商人、賭けを始めるならず者、各々が伝説の瞬間を見届けようと浮き立つ心を抑えられず、ザウロンは久々に熱気を帯びた。
◇◇◇
十日後。 ザウロン郊外の平原には、 二つの巨大な“観客席”が形成されていた。
北側には、ジョルカス帝国軍 六〇〇〇が整然と轡を並べ、槍と旗を掲げた。あたかも閲兵式を思わせる軍の佇まいは、傭兵の街であるザウロンの民をますます興奮させた。
高い練度を見せつける帝国軍のど真ん中、公爵が天幕を構えていた。
その反対の南側では、多くのザウロンの民がごった返していた。酒、串焼き、賭場、屋台。 まるで祭りのような喧騒で、平原は非日常の様相を見せていた。
その中央には、誰も踏み入れぬ“空白の円”――乱暴に地面を引っ掻いて描かれた丸い線があった。 そこが、 ガルハートとシンバの果し合いの舞台となるのだ。
そんな喧騒から離れ、鋼鉄の牙の仲間たちは谷の出口から見守っていた。
太陽が真上に昇り、影が地面に吸い込まれる刻。ガルハートは木刀を肩に担ぎ、ただ一言だけ告げた。
「来い。俺を“狩る”んだろ?」
その声は、平原の空気を震わせた。
「……っ!」
何かを言おうとしたシンバの喉が鳴る。覚悟を決めた獣のように、地を蹴った。
「うおおおおおッ!!」
踏み込みは雷、剣閃は嵐。荒鷲レオニドを三合で沈めた鋭さが、ガルハートへと襲いかかる。
だが――ガルハートは一歩も動かない。
肩をずらし、腰をひねり、足裏で大地を滑らせるように、紙一重で全てを躱す。
帝国兵が息を呑む。
「な……なんだあれ……!」
「あの巨体で……あの動き……!」
シンバの剣が風を裂き、砂を巻き上げ、十合、二十合――
それでもガルハートの衣の裾ひとつ掠らない。
シンバの額に汗が滲む。呼吸が荒くなる。それでも止まらない。
「まだだッ!!」
渾身の突き。魂を削る一撃。
ついにガルハートの胸元へ届いたかに見えたその突き。ガルハートは木刀の切っ先を合わせて軽く振り抜いた。
――パキン。
金属音すら鳴らず、シンバの剣は 真っ二つに折れた。
「……ッ!?」
その流れのまま、折れた剣を握るシンバの右手へ、ガルハートの木刀が撃ち込まれた。
爆風が走り、風が巻き上がった。出店の屋根がまとめて吹き飛ぶ。
シンバの身体は宙を舞い、地面に叩きつけられた。
「ぐあああああッ!!」
「シンバ!!」
ザルカスが駆け出そうとした瞬間、ガルハートが低く言った。
「来るな。これは……俺たちの決着だ」
その声は、鋼鉄の牙の面々を一瞬で黙らせる重みを持っていた。ガルハートは折れた剣を見下ろし、倒れたシンバへ歩み寄ると、静かに言った。
「……強くなったな」
その声音には、誇りと、哀しみと、別れが混じっていた。
ガルハートは背を向けた。
「生きろ、シンバ。お前は……俺の誇りだ」
その背中が歩き出した瞬間、平原に砂煙が巻き上がる。
金獅子の背中はゆっくりと、確かな足取りで、帝国軍の天幕へ向かって歩き出した。
その背中を、誰も止められなかった。
その時だった。
誰かが小さく叫んだ。
「……あれ、光ってないか?」
ガルハートの手にある木刀。ただの木の棒のはずのそれが、うすぼんやりと、緑に光っていた。最初は気のせいだと思われた。だが、次第にその光は強まり、まるで“呼吸するように”脈動し始めた。
「なんだ……あれは……」
「導力か? いや、違う……」
帝国兵がざわめく。
「木刀が……光っている……?」
ザルカスは、ガルハートの手の中の光を見て、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
次の瞬間、空が鳴った。雷ではない。風でもない。
“何かが割れた”ような音。
そして――突風。
ザウロンの要害を吹き飛ばす勢いで、谷を揺らすほどの暴風が平原全体を襲った。
「うわああああッ!!」
「飛ばされるぞ!!」
「逃げろ!!」
ザウロンの民は這う這うの体で逃げ出す。
出店は吹き飛び、
荷車は転がり、
馬は嘶きながら逃げ惑う。
雨が叩きつけるように降り始めた。ゲリラ豪雨のような、視界を奪うほどの激しい雨。
鋼鉄の牙の仲間たちは叫んだ。
「シンバを! シンバを運べ!!」
「谷へ逃げろ!!」
「ザルカスさん、こっちだ!!」
ザルカスは倒れたシンバを抱え、仲間たちと共に狭路の谷へと駆け込んだ。
必死でたどり着いた谷間から、平原を振り返るザルカス。
その目がとらえたのはガルハートが居た嵐の中心。黒い点のような人影から、緑の光が瞬くと視界一杯に爆ぜたのだ。その風景はまるで光で出来た大木の枝が空を裂いたかのように、緑に輝いていた。
さらに強烈な突風。
地面が揺れ、耳鳴りが響き、視界が緑光に染まる。
ザルカスはシンバを抱えたまま、さらに谷の奥へ転がり込んだ。
仲間たちが必死に谷壁にへばりつき、子どもたちを守り、雨風から身を隠す。
そして――
嵐は、突然止んだ。まるで最初から何もなかったかのように。
◇◇◇
雨が弱まり、鋼鉄の牙の仲間たちは恐る恐る谷を出た。
そこに広がっていた光景は、“人が消えた平原”だった。
ザウロンの民の姿はない。
帝国軍六〇〇〇の姿もない。
残っていたのは、ぐしゃぐしゃに潰れた鎧、ひしゃげた盾、死んだ馬、折れた槍
風に飛ばされた天幕の布。
それでも人っ子一人いない平原だった。
ザルカスは震える声で呟いた。
「……何が……起きた……?」
不可思議な事が立て続けに起こり、誰も真相は理解できなかった。どれほど探そうとも、ガルハートの姿もどこにもなかった。
この出来事は、後に北方全土で語られることになる。
「金の獅子が六〇〇〇を屠った」
「世界樹が怒った」
「森が帝国軍を飲み込んだ」
「天災だった」
「神が降りた」
ただ一つだけ確かな事実がある。
六〇〇〇の兵が消えた平原に、緑の光の中心にいたのは金の獅子ガルハートだった。
この事実だけが、北方に新たな伝説を生んだ。人々は彼をこう呼ぶようになる。
金の傭兵王
◇◇◇
……ぱちり。
焚火の爆ぜる音が、遠い雷鳴の残響のように耳に届いた。
ガルハートはゆっくりと目を開けた。
視界に映るのは、揺れる炎と、夜の闇。
「……目が覚めましたか、ガルハート殿」
焚き火の赤い光が揺れている。目の前には、夢の中より年を経たザルカスが座っていた。
「貴方が微睡むとは珍しい」
ガルハートは頭を掻いた。
「……夢を見てたんだ。お前らといた頃のな」
ザルカスは笑う。
「懐かしいですね。貴方は本当に変わらない。最初に会った頃と」
ガルハートは肩をすくめた。
「若い時から老けてたからなあ。しょうがない」
「いや、そういう意味ではなくて……」
ザルカスが苦笑する。
ガルハートは、しばらく何も言わずに炎を見つめた。
まどろみの中で見ていた光景が、まだ頭の奥に残っている。
緑の光。
暴風。
雨。
消えた六〇〇〇。
倒れたシンバ。
逃げ惑うザウロンの民。
そして――
自分の手にあった、あの木刀の脈動。
ザルカスが口を開いた。
「……あの時、何があったのです?」
焚火の火が、ガルハートの横顔を照らす。
ガルハートは、ほんの少しだけ肩をすくめた。
「季節外れの突風が吹いてよ。俺は……ただ逃げた」
あからさまな嘘だった。
ザルカスは、その嘘を追及しなかった。
ただ、静かに笑った。
「……そういうことにしておきましょう」
焚火の火が揺れ、二人の影が長く伸びた。
ガルハートは酒瓶を手に取り、ひと口だけ飲んだ。
「……シンバは、俺の事を恨んでいるだろうな」
「恨む? まさか……右腕は折れましたが、命は助かりました。利き腕はもう剣を振れませんが……あいつは今でも、貴方に感謝してる。鋼鉄の牙の連中も……全員、生きてますよ」
ガルハートは小さく息を吐いた。
「そうか」
炎の向こうで、夜風が木々を揺らす音だけが響いていた。
「あんな出て行き方したからよ……
俺はどんな顔して戻ればいいのか、ずっと分からなかった」
ザルカスは静かに答えた。
「いつもみたいに、ガハハと笑っていればいいのですよ。貴方は」
ガルハートは北の空を見上げた。
夜明けの太陽が、右手の地平から昇り始めていた。
「……行くか」
「はい、夜も明けました。皆を起こしますか」
ガルハートは笑った。
「藪から出てきたドラゴンに、会いに行くとするか。ガハハッ!」
その笑い声は、夜明けの空へと響いていった。
――獅子の胎動 終わり 北方編 鋼鉄の揺り篭に続く
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傭兵王も続きますがコメディとシリアスが大好きな方は新作
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