北方編:序章「獅子の胎動」9
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
獅子の胎動編もラストスパートです。
話の構成上、今回少々短いです。お楽しみください。
月、水、土曜 18時の週3回投稿になります。
月水土曜はガハハの日 お忘れなく。
ザウロンの町に、逃げ帰った帝国兵の叫びが届いたのは昼過ぎだった。
「金の獅子と……鋼鉄の獅子が……!」
その一言は、乾いた火花のように町を走り抜けた。 だが、驚きが広がったのはほんの一瞬だけ。 すぐにザウロン特有の濁った空気が戻ってくる。
酒場では嫉妬が渦巻き、 裏路地では利害が蠢き、 市場では恐怖が静かに広がった。
「二十で九百を倒した? 誇張だろ」
「ガルハートの奴、また名を上げやがって……」
「鋼鉄の獅子? あの若造が将軍を討った? 嘘くせぇな」
称賛はない。 英雄を讃える声もない。
ザウロンは、誰もが自分の利益で動く街だ。 だからこそ、他人の武勲は素直に喜べない。
それでも―― 「金の獅子と鋼鉄の獅子」 この名だけは、どの路地でも、どの酒場でも、 まるで“事実”として語られていた。
やがてその噂は、 ゆっくりと、しかし確実に、 北方の帝国軍本営へと届いていく。
◇◆◇
ジョルカス帝国北方軍本営。 重厚な石造りの軍議室に、冷たい空気が張り詰めていた。
壁には北方地図が広げられ、 赤い駒がザウロン周辺に密集している。
北方軍総司令――ヴァルツァーク公爵が静かに言った。
「息子が没して早二年……」
その声音には怒りではなく、氷のように冷たい“決意”があった。
「息子の死は戦場の理だ。だが、帝国の威信を傷つけた罪と、息子を奪われた我が恨みは――償わせねばならぬ」
参謀が資料を広げる。
「第一次金獅子狩りの敗因は三つ。 狭路の地形、ガルハートの異常な膂力、 そして“鋼鉄の獅子”シンバの存在です」
公爵は目を細めた。
「二頭の獅子……ならば、二頭まとめて狩るだけだ」
今回の作戦は“狩り”ではない。軍事作戦である。 正式名称は――
『北方治安回復作戦』
北方の公爵軍の半数、六〇〇〇と北方警備軍が動く。 重装歩兵、魔導師隊、対人特化戦闘部隊…… さらに準備を重ね、必勝を期する。傭兵団を相手に帝国は完全に本気だった。
「ガルハートの賞金を三倍に引き上げる。さらにガルハートを討ち取ったものは、我が公爵家への士官を認めよう。 傭兵団同士の争いを誘発し、牙を孤立させる」
「“獅子は群れない”――その誇りが奴の首を落とす」
軍議室の将校たちは一斉に敬礼した。
「帝国に栄光を!」
その声は、北方の空に響き渡る“嵐の前触れ”だった。
帝国の巨大な軍勢が動き出したその頃。 北方からの不吉なうねりは、鋼鉄の牙のクランハウスにも届いていた。
◇◆◇
鋼鉄の揺り篭の縁側に座り中庭を見ると、焚き火の赤い光がゆらゆらと揺れ、ガルハートの横顔を照らした。
「……ここでもいろんなことがあったな」
鋼鉄の牙はますます大きくなり、新入りの中にはガルハートの知らない顏も増えてきた。
季節は過ぎ、多くの出来事がある中で、忘れられない出来事もあった。
荒鷲を退けて間もなく、鋼鉄の揺り籠に生まれた確かな“光”。
昨日のように思い出せる光景だ。
ミルカが産声を上げた女の赤子を抱きしめ、 シンバは震える手でその頬に触れた。
「……生まれたよ、シンバ」
ミルカの隣でカンナが胸を張って言った。
「ガルハートが考えてた名前だよ。 ――シルヴィ。“森の光”って意味なんだって。おじちゃん、柄じゃないって恥ずかしがって内緒にしてたんだよ。」
ガルハートはそっぽを向きながら、 ほんの少しだけ口元を緩めた。
シンバもミルカも嬉しそうな顔でガルハートを見つめた。
だが、その幸せは長く続かなかった。 ミルカは産褥で亡くなり、 シンバは泣き崩れ、 クラン全体が深い悲しみに沈んだ。その時、皆を支えたのはザルカスだった。 嘆く者を叱咤し、落ち込む者を励まし、 鋼鉄の牙を再び立ち上がらせた。
――あれも、忘れられない出来事だ。
今ではシルヴィも大きくなり、 棒を拾っては剣の真似事をしている。 カンナが慌てて止めに入る姿が微笑ましい。
全てが、愛すべきものだ。
帝国が再び“金獅子狩り”を始めた。 狙いは自分。そして鋼鉄の牙。 このままでは、牙も、シンバも、ザルカスも、カンナも、シルヴィも―― 今度こそ全てが帝国の標的になる。
敵は六〇〇〇を超える伯爵軍。
「……策は決まった」
誰に言うでもなく、ガルハートは呟いた。
(俺が離れりゃ、牙は生き残る)
北風が焚き火の炎を巻き上げ、ガルハートは静かに立ち上がった。
◇◆◇
仲間たちが集まる中、 ガルハートはゆっくりと口を開いた。
「獅子狩りが始まる。俺とシンバを狩りに来る。敵は六〇〇〇、荒鷲の弔い合戦だと聞いている。 準備も入念らしい。とはいえむざむざ殺されるわけにはいかねえ」
「……ここで一つ、策がある」
「策……?」
シンバが息を呑む。
「帝国は“金獅子狩り”の賞金を出してる。俺の首に、法外な額の賞金と公爵家への士官だ」
ロッカが眉をひそめる。
「それがどうした?」
ガルハートは淡々と言った。
「――その賞金と士官を逆手に取る」
ざわめく仲間たち。
「鋼鉄の牙も、鋼鉄の獅子も、このままじゃ帝国の狩りの獲物だ。だが、俺が牙から離れれば話は変わる」
「離れる!? なんでだよ!」
シンバが叫ぶ。
「俺がいる限り、鋼鉄の牙は狙われる。俺がいなきゃ、帝国の狙いは半減する。ただしシンバは狙われるだろうな」
ザルカスが問う。
「……じゃあ、どうするというんだ?」
ガルハートは焚き火を見つめながら言った。
「――俺を狩れ。そしてシンバ、お前は俺との戦いを手土産に、公爵家に仕官しろ。帝国がそう言ってるんだ。」
シンバは震える声で言った。
「そんな……そんなの……!」
ガルハートは笑った。
「心配すんな。俺は死なねぇよ。 死ぬほどしぶといって、知ってんだろ?」
その笑顔は、どこか寂しく、どこか誇らしかった。
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