北方編:序章「獅子の胎動」5
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
戦闘の熱をいかに伝えるか。本当に難しいですね。
あとがきにお知らせがあります。是非ご一読ください
月、水、土曜 18時の週3回投稿になります。
月水土曜はガハハの日 お忘れなく。
霧の底で、死と獣が交差する。
黒狼が「確かめよう」と呟いた瞬間――霧が爆ぜた。
音はない。
だが、霧そのものが“破裂した”としか思えない衝撃が走り、俺――シンバは反射的に目を細めた。霧が四方へ散り、黒狼の姿が――消えた。
「……っ!」
空気が震え、殺意が走り、霧が裂ける。
黒狼は音もなくガルハートの背後にいた。その動きは、人間の“速さ”ではない。
霧の中で鍛えられた国境警備隊の頂点。傭兵たちが敬意を込めて黒霧警備隊と呼ぶ理由が、今わかった。
黒狼の短剣がガルハートの首筋へ吸い込まれるように伸びる。
だが、ガルハートは動かない。本当に、一歩も動かない。
ただ、首をわずかに傾けただけ。その動きは“避けた”というより、“そこに刃が来ることを知っていた”としか思えない自然さだった。短剣は空を切り、霧の中へ消える。黒狼の足元の霧が波紋のように揺れた。
黒狼は即座に次の攻撃へ移る。刃が二本、角度が三つ、殺意が四つ。霧の中で黒狼の動きは“影”そのものだった。
ガルハートは木刀を構えない。木刀を握ったまま腕を下げている。
まるで「使う必要がない」と言っているように。
黒狼の刃が胸を狙う。ガルハートは――半歩、後ろへ引いただけ。
その半歩が黒狼の攻撃の“向き”を完全に殺した。刃が空を裂く。黒狼は即座に体勢を変え、足払いを仕掛ける。
ガルハートは、重心をわずかにずらしただけ。黒狼の足がガルハートの足元を“すり抜けた”。
「……っ!」
黒狼が初めて焦りを見せる。霧が震えた。いや――霧が“震えさせられている”。黒狼の動きに合わせて揺れるはずの霧が、ガルハートの周囲だけ“触れられない”。まるで霧が「この男には触れるな」と怯えているようだった。
黒狼が低く呟く。
「……見えているのか?」
ガルハートは答えない。ただ、黒狼の“次の動き”を待っている。その姿は戦士ではない。金の獅子だ。
黒狼は短剣を逆手に持ち替え、霧の中へ溶けた。
姿が消え、気配も消え、殺意だけが残る。黒狼の本領――“霧の中での無音殺法”。
ガルハートは、霧の流れを読むように、わずかに顎を上げた。
その瞬間、黒狼の刃が喉元へ迫る。ガルハートは首を傾けただけ。刃は空を切り、霧の中へ消えた。
黒狼は即座に背後へ回り込む。ガルハートは肩をわずかに回しただけ。
刃は肩を掠めることすらできない。黒狼は左右から同時に斬り込む。
ガルハートは一歩も動かない。ただ、呼吸のリズムを変えただけ。その呼吸の“間”に、黒狼の刃がすべて外れる。
俺は震えた。
「……なんだよ、これ……避けてるんじゃねぇ……読んでる……!」
黒狼が初めて声を漏らす。
「……化け物め」
ガルハートは静かに言った。
「お前らが弱いんじゃねぇ。……俺が壊れてるだけだ」
黒狼は後退しない。むしろ、ガルハートの懐へ潜り込むように踏み込んだ。その動きは――霧そのもの。輪郭が曖昧になり、影が伸び、刃だけが“現実”として迫ってくる。
黒狼は二本目の短剣を抜いた。
「……二十の重槍騎兵を無傷で屠った男。噂以上だな」
その声には恐怖も怒りもない。ただ、“戦場の怪物に出会えた喜び”があった。
黒狼の刃が霧を裂きながらガルハートの胸を狙う。ガルハートはやはり動かない。ただ、右手を傾けただけ。その角度が黒狼の攻撃の“向き”を完全に殺した。
ガッ。
二の腕を弾かれ、黒狼の刃が霧の中へ消える。黒狼は即座に体勢を変え、足払いを仕掛ける。ガルハートは躊躇わずその足を踏んだ。霧の中で黒狼の動きが止まる。
「……っ!」
黒狼が初めて焦りを見せた。
ガルハートは静かに言った。
「お前……速ぇな」
その声は褒めているようで、どこか哀しげでもあった。
ガルハートは答えない。ただ、木刀を握り直した。その動きは戦うためではなく、“終わらせるため”の動きだった。
黒狼が消え、霧が裂け、殺意が走る。俺は叫んだ。
「ガルハート!!」
ガルハートは霧の中で、ただ一歩、前へ踏み出した。その一歩が霧の流れを変えた。黒狼の刃がガルハートの首を狙う。
だが――木刀が、霧の中で“音もなく”振り下ろされた。
ゴッ。
黒狼の腕が折れ、霧が震えた。黒狼は膝をつき、霧の中で静かに息を吐いた。
「……なるほど。噂は……本物だったか」
ガルハートは木刀を肩に担ぎ、霧の奥を睨んだ。
「シンバ。……行くぞ。物資を奪う」
俺は震える声で答えた。
「……あぁ」
霧の中で、ガルハートの背中だけが“確かな形”を持っていた。
ガルハートは荷車を片手で引きずりながら、霧の出口へ向かって歩き出した。霧は彼の進む道だけを避けるように割れ、まるで“獣王の帰還”を許すかのように静かに揺れていた。黒狼は折れた腕を押さえたまま、その背中を見送る。
「……行くのか」
ガルハートは振り返らない。
「仕事は終わりだ。あとは帰るだけだろ」
黒狼は苦笑した。
「……お前のような怪物が、仲間のために戦うとはな」
ガルハートは足を止めずに答えた。
「怪物じゃねぇよ。俺は……ただの借りを返してるだけだ」
その言葉は霧に吸い込まれ、静かに消えた。
霧の出口が近づくにつれ、空気が少しずつ軽くなる。黒霧の谷特有の“死の匂い”が薄れ、代わりに冷たい北方の風が頬を撫でた。ガルハートは荷車を地面に下ろし、深く息を吸う。
「……ここまで来りゃ十分だな」
霧の境界線を越えた瞬間、世界が音を取り戻した。風の音、木々のざわめき、遠くの鳥の声。ガルハートはわずかに目を細めた。
「……やっぱり、外の空気はいいな」
その横顔は、戦場の怪物ではなく、ただの“男”だった。
霧の外で待っていたのは、息を切らしたザルカスだった。顔は汗で濡れ、目は不安と焦りで揺れている。
ザルカスは、シンバが戻らないことに不安を覚え、 霧の外で待ち続けていたのだ。
「シンバ! 無事か!」
シンバは苦笑しながら答えた。
「お前が心配するほどヤワじゃねぇよ」
「嫌な胸騒ぎがしてな……じっとしていられなかった」
ザルカスは胸を撫で下ろし、荷車に積まれた物資を見て目を見開いた。
「……こんなに……全部、二人で?」
「必要なもんだけだ。急ぐぞ。カンナが待ってる」
シンバのその言葉に、ザルカスの表情が引き締まる。
「……あぁ。帰ろう」
ガルハートは荷車を再び片手で持ち上げた。シンバはその横で走り出す。二人の影が、北方の月明かりに長く伸びた。
それはザルカスにとって忘れられない光景となった。
◇◆◇
小屋が見えた瞬間、シンバは思わず声を上げた。
「みんな! 戻ったぞ!」
扉が開き、仲間たちが飛び出してくる。オユキ、ロッカ、ミルカ、サンジ、トモエ、バルド――皆が安堵と驚愕の入り混じった表情でガルハートを見た。
ロッカが叫ぶ。
「おい……荷車ごと持ってきたのかよ!?」
ミルカは目を丸くし、サンジは口を開けたまま固まった。トモエは思わず後ずさり、バルドは盾を下ろしたまま呆然としている。
ガルハートは気にした様子もなく、荷車を地面に下ろした。
「必要なもんは全部ある。薬草も、解熱剤も、食い物もな」
その時だった。
ギルドの使いが、馬を駆って小屋へやってきた。
「鋼鉄の牙の者たち! 黒霧の谷で補給隊を止めたのはお前らだな!」
シンバが驚いて振り返る。
「え……あ、ああ。そうだけど……」
使いは革袋を二つ、シンバの胸に押しつけた。
ずしりと重い。
中で硬貨がぶつかり合う音がした。
「ギルドからの報酬だ。補給隊の足止めは帝国側にとっても大きな痛手だった。依頼主からの特別報奨金も含まれている」
シンバは袋を開けた。銀貨がぎっしり詰まっていた。見たこともない量だ。
「……こんな……こんな大金……!」
手が震えた。本当に震えて止まらなかった。
ガルハートが横目で見て言った。
「医者を呼べるな」
その一言で、シンバの胸が熱くなった。
「……ああ……呼べる……! カンナを……助けられる……!」
シンバの祖父が震える声で言った。
「……本当に……助かった……」
ガルハートは短く答えた。
「礼はいらねぇ。早く使ってやれ」
シンバは荷車から薬草と薬瓶を取り出し、急いでカンナの寝床へ向かった。仲間たちも慌てて手伝い始める。
ガルハートはその様子を黙って見ていた。
カンナの容態を確認し、薬を飲ませた後、シンバは外に出た。ガルハートが月明かりの下で座っている。
「……ガルハート」
ガルハートは空を見上げたまま言った。
「カンナはどうだ」
「熱はまだ高いけど……薬が効けば、きっと持ち直す」
ガルハートは小さく頷いた。
「そうか」
シンバはしばらく黙っていたが、やがて言葉を絞り出した。
「……ありがとう。本当に……ありがとう」
ガルハートはゆっくりと立ち上がった。
「礼はいい。俺は……借りを返しただけだ」
「借り?」
ガルハートは答えない。どこか寂しげな背中を見せた。
「……少し寝る。起こすなよ」
そう言って、ガルハートは木刀を抱えたまま、小屋の壁にもたれて目を閉じた。
いつもご愛読いただいありがとうございます。
傭兵王も続きますが、新作も是非お楽しみください。
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ふざけたSFファンタジーです。
1話から15話までは毎日更新で、以降は火木金の週3投稿です。
皆さんのご声援が有れば、上記より頑張ります。
どうぞ気軽にご一読ください。




