北方編:序章「獅子の胎動」1
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
北方編突入ですが、その前にしなければならない話です。
ガルハートの過去の断片です。
お楽しみください。
月、水、土曜 18時の週3回投稿になります。
月水土曜はガハハの日 お忘れなく。
北方へと向かう街道、重装馬車の車輪が凍土を噛む音が、夜の静寂に規則正しく響いていた。
キャンプ二日目。焚き火の爆ぜる音を聞きながら、カイン・アルマ・スターレは、ある事を考えていた。
「カイン様、お休みになられますか? 北の空気は冷たいですからね」
ブランケットを肩に掛け、そっと隣に腰を下ろしたのはシルヴィだった。爆ぜる焚き火の光に照らされた彼女の瞳はやさしく美しかった。
「……シルヴィ。実はね、気になってたんだけど、ガルハート殿はどのような生まれなのだろうかと」
シルヴィは微笑みながらカインに答えた。
「いっそ、本人に直接訊ねてみては? 傭兵家業の人間は普通、過去の詮索は嫌います。でも、あの方なら、お話しいただけるかもしれませんよ」
「ガルハート殿なら、搦め手など使わず正面から笑い飛ばすはずだ。ならば、私も正面から挑んでみるか」
二人の視線は、焚き火の反対側で豪快に酒を煽り、木刀を枕に欠伸をしている黄金の巨漢へと向けられた。
「ガルハート殿……。貴方の戦技、そして時折見せる知の煌めき。とても一介の傭兵が持ち得るものではない。……失礼を承知で聞くが、貴方は本当に、ただの傭兵なのか?」
「あぁ? なんだカイン、藪から棒に。俺は俺だろ。酒と金と女を愛する、ただのろくでなしだ」
ガルハートは安酒を煽り、いつものように豪快に笑う。
だが、カインの目は笑っていない。
真面目な顔で問い詰めるカインに対し、ガルハートは酒瓶を置くと、笑いながら答えた。
「ガハハ! 俺自身が聞きたいくらいだぜ、カイン。……俺の記憶なんてなぁ、北の戦場で暴れてた事と、スターレでミーナに拾われてからくれぇだ。それより前のことなんて、霧の中に置き去りだ。本当の事だ」
ガルハートは、自らの「欠落」を豪快に笑い飛ばした。
「出自の記憶が無いという事ですか」
シルヴィも思わず身を乗り出した。
「覚えてるのは戦場で戦ってたことくらいだな。生まれ育ちは良く分からん。隠してるわけじゃねえ。」
「小難しいことを考えるのは苦じゃねえし、一度聞いたり見たものは、ほとんど忘れねえ。どうなってんだろうな。ガハハ」
「面白そうな話をしてるじゃない。混ぜて混ぜて」
夕餉の片づけを終えたミーナと商会との打ち合わせを通信で終えたリノンが焚火に加わってきた。
「あら、カイン様。ゴールドバーグ商会の調査資料にも、うちのお猿さんの足取りは『北の激戦区』より前は白紙だったわ。本当に存在しなかったのかってくらい」
「赤い月亭も似たような感じね。父さんや母さんも調べたけど、ぜんぜん分からないって。ただジョルカス帝国やずっと北の方じゃ、大昔から同じ顔をした金髪の傭兵が戦場に現れるっていう怪談があるわね。まさか、ねぇ?」
リノンもミーナもガルハートの出自を調べたが、最早どうでもよくなっている。
現在のガルハートと共にある事が一番重要だと思っているからだ。
「ただな……妙なんだよ。戦場に立つとな、意識が鳥みたいに空へ昇っていく。盤上の駒を見るみてぇに、敵の配置も、呼吸も、全部丸見えになる。便利だがよ、あれはきっと、昼夜問わず戦いすぎたせいで頭がイカれちまった証拠だろうな」
その言葉に、背後で控えていた《鋼鉄の牙》の副団長、ザルカスが地鳴りのような声で割って入った。
「……それが、貴殿が『金の傭兵王』と呼ばれる所以だ、ガルハート殿」
ザルカスの瞳には、恐怖と畏敬が入り混じった熱が灯っていた。
「俺が駆け出しの頃、北の激戦区には一つの『呪い』のような噂があった。黄金の鬣をなびかせ、単騎で百戦不敗を誇る怪物がいるとな。……俺も最初は眉唾だと思っていた。だが、噂は全然小さすぎた。実物の貴殿は、百人斬りどころじゃなかったんだ」
ザルカスは、焚き火に薪を投げ入れ、「獅子の誕生」を語り始めた。
「北方の大国、ジョルカス帝国。その精鋭中の精鋭『鉄鎖騎士団』。重装甲の騎兵が千を数えるその壁を、わずか15人の傭兵が粉砕した戦いがある。……その15人の中には、シルヴィ、お前の父シンバも私もいた」
シルヴィが息を呑む。
「父様が……そんな無茶な戦いに?」
「ああ。シンバはいつも、ガルハート殿にへし折られて二度と繋がらなくなった右手を撫でながら、笑って言っていたよ。『あの戦いで、金の傭兵王に命を救われ、俺たちは鋼鉄の牙を興すことができた。俺が死ぬまで右手が疼くのは、あの男への借りを忘れねえためだ』とな」
ザルカスは、震える声でガルハートを指差した。
「第一激戦区。貴殿は一騎駆けで、帝国の誇る『槍王』アンノウを兜ごと叩き潰した。あの騎士団長を屠ったその日から、貴殿は北方の語り草になったんだ」
「……そういえば」
シルヴィが、顔を赤らめながらぽつりと呟いた。
「子供の頃、寝つきの悪い私に、父様はいつもこう言っていました。『早く寝ないと、黄金の獅子にさらわれるぞ』って……。……まさか、あの伝説の怪物が、目の前の、これ……?」
「ガハハ! 悪いな、シルヴィ。俺はガキをさらうより、ミーナのケツを揉む方が忙しいんでね!」
ガルハートは豪快に笑い飛ばしたが、カインの目は笑っていなかった。
「ガルハート殿。……さっきの『アンノウ』という男、帝国最強の槍使い、馬上の英雄と言われていたはずです。覚えていないんですか?」
「ん? ……あぁ、そういや、派手な羽飾りをつけた奴の頭を潰した感触は、かすかに残ってるな。だがよ、大して強くなかったからなぁ。あんまり覚えてねえんだ。……俺が覚えてるのは、『剣王』とかいう奴の方だったな。うまく逃げられちまったが」
「父様からずっと聞かされてましたわ~。帝国の『槍王』『剣王』、北方の『金の傭兵王』『鋼鉄の獅子』 そのいずれかと、いつか技を競い合いたいと。ガルハートさんのおかげで夢がかなったみたいですよ~」
焚火の周りに訓練を終えたメイとヒサメもやってきた。
「その連中なら領主様が一番強いって伝えておいてくれ。忖度なしでな」
「わかりました~。父様は、ものすごく喜びますよ~。本当に素直な父様ですから」
メイがそう言うとヒサメとカインもうなずいていた。
その日の話はお開きとなり、天幕に戻ったカインは興味本位で聞いたこの話を纏めて、父オルト宛に通信を送った。
「結局分からないことだらけだったな。とはいえガルハート殿が嘘をついているとは思えないし。まあ時間はあるからゆっくりと調べてみることにしよう」
カインが引き上げて、焚き火の周りからは一人、また一人と人影が消えていった。
残ったのは、消えかけた炭火を弄ぶ、ガルハート一人。
彼は不寝番のザルカスを「寝てろ、俺はどうせ寝付きが悪いんだ」と追い返し、独り、静寂の中に座していた。
北方の夜風は、記憶の底にある「何か」を呼び覚ますように冷たい。
「……槍王、アンノウか」
ガルハートは腰の袋から、石のように硬い干し肉を取り出し、奥歯で力任せに噛みしめた。溢れ出す獣のような旨味を、残りの安酒で流し込む。
ザルカスの話を聞くまでは、そんな男がいたことすら忘れていた。だが、ひとたび「鍵」が回れば、記憶の扉は軋みを上げて開く。
(そうだ。あの時も、今夜みたいに風が冷たかった)
ガルハートの視線が、揺れる焔の向こう側、漆黒の闇へと固定される。
彼の脳裏に、かつて戦場を蹂躙した「最初の光景」が、モノクロの映像のように浮かび上がってきた。
──それは、血の臭いさえ凍りつくような極寒の平原だった。
視界を埋め尽くすジョルカス帝国の黒鉄。千騎の突撃が大地を震わせ、空を覆う矢の雨が陽光を遮る。血と鉄と絶望の思い出だ。
次回、「獅子の胎動」2に続く
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