第14話 金髪の獅子と氷の涯。聖母は笑顔で刃を振るう
いつもお楽しみいただきまして誠にありがとうございます。
名前出てきて久しいですが氷の涯が登場します。
頼れる隣人が違う常識で生きている。現代社会でもある事です。
善意と悪意は施す側や受ける側の立場でも変わるという話です。
次回も月水土曜 18時の週3回投稿になります。
水曜土曜はガハハの日 お忘れなく。
王国北端の要衝、スターレ。
この街を語る言葉は、常に二つの相反する匂いに満ちている。
一つは、南門から流れ込む王都の洗練、学生たちの青臭い議論、転売目的の商人が生み出す富の香り。もう一つは、北門の向こう側に広がる永遠の戦場から漂う、錆びついた鉄と乾いた血の匂いだ。
人口三十万。王都の四分の一の規模を数えるこの巨大な胃袋は、死と隣り合わせの活気を糧に膨れ上がっている。鉄を打ち鳴らす音、傭兵たちの粗野な笑い声、絶え間ない軍需物資を運ぶ荷馬車の軋み。そのすべてを、中央にそびえる『スターレ・ホール』――白銀の領主館が、天下十剣筆頭オルト・アルマ・スターレの威光とともに、静かに見下ろしていた。
「今日も、騒がしいです。活気があるのは良いことです」
西エリア、市場の只中。白銀の装甲を纏ったヒサメ・スターレは、凛とした足取りで石畳を踏みしめていた。彼女にとっての警邏は、街を守るための神聖な義務だ。キョロキョロと周囲に目を配りながら歩くヒサメの視線が、高くそびえる塔で止まる。
エキゾチックな尖塔が天を突く『地母神寺院』。その頂、陽光を浴びて黄金に輝く地母神像の周囲を、数人の影が音もなく舞っている。彼らは命綱も持たず、垂直に近い像の表面を跳ね、熱心に煤を払っていた。
ヒサメが生まれるずっと前から、この王国では当たり前の朝の風景。地母神教が根を下ろす街ならどこでも見られる、信仰と奉仕の日常。市民たちはそれを「名物」と呼び、親しみを込めて見上げている。
「見事な身のこなしです。あんな高いところで……。地母神教の方々は、掃除にも命を懸けているのですね。感服いたします」
ヒサメは足を止め、素直な感嘆の声を漏らした。そこへ、寺院の重厚な門が開き、一人の女性が現れる。二ヶ月前に赴任してきた高僧、グレゴだ。
白を基調とした法衣の上からでも分かる、成熟した女性特有の柔らかな曲線。彼女がこの寺院の責任者となって以来、男性信者の来訪や喜捨の額が跳ね上がったという噂も、この姿を見れば頷ける。だが、彼女を慕うのは男たちだけではない。近隣の清掃、怪我人への手早い医療。無償の奉仕を惜しまぬ彼女は、老若男女を問わず、瞬く間にこの界隈の「聖母」として溶け込んでいた。
「あら、ヒサメ様。今日も凛々しいお姿ですこと」
グレゴが微笑む。子供たちの頭を撫でていた手を止め、こちらへ歩み寄るその挙動には、一切の淀みがない。
「はい! グレゴ殿も、朝からのご公務、お疲れ様です! どうですか、グレゴ殿。スターレの生活には慣れましたか? 何か困りごとがあれば、このヒサメにお申し付けください!」
「お気遣い、ありがとうございます。スターレの方々は皆様温かく、地母神様への喜捨も絶えません。私共のような余所者にも、この街は実に寛容ですわ」
グレゴの声は、熟した果実のように甘く、聞く者の警戒を溶かしていく。ヒサメはその言葉に満足そうに頷いたが、ふと思い出したように表情を引き締めた。
「最近、この街に良からぬ者たちが出入りしているという報告があります。同じ教えを奉じる者たちの中にも、過激な思想に染まり、暴走する不届き者がいるとか。グレゴ殿のような徳の高いお方が、そうした輩に巻き込まれては大変です。夜道の独り歩きなど、十分にお気をつけください」
「まあ……。不届き者、ですか。それは恐ろしいことですわね」
グレゴは驚いたように、白く細い指先を口元に当てた。だが、その瞳の奥に宿る光は揺るがない。
「……ですが、ヒサメ様。もし本当に、その方々が、神の意志を地上で成そうとしているのだとしたら……。それは、ただの暴走なのでしょうか?」
「……? 何を仰っているのですか、グレゴ殿。無辜の民を脅かすのが、神の意志であるはずがありません。そんな不届き者は、このヒサメが、スターレの法が許しません」
「ふふ、左様でございますわね。失礼いたしました」
グレゴは深々と頭を下げ、再び柔和な聖母の微笑みを浮かべた。ヒサメの背中が遠ざかると、彼女は再び子供たちの元へ戻り、中庭へと向かう。
そこでは、岩のような体躯を持つ僧兵たちが、孤児院の少年たちに「体育」を教えていた。屈強な彼らは、泣き出した子供がいれば太い腕で抱き上げ、大きな手で涙を拭ってやる。近隣の住民たちは、市場の重い荷物をひょいと担いでくれる彼らを、親しみを込めて『寺院の力持ちさん』と呼び、握り飯を差し入れていた。
だが、その取っ組み合いのような訓練の中で、僧兵たちの指先が子供の喉元や関節の隙間を、遊びを装って的確に、無意識に撫でていることに気づく者はいない。
「腰が浮いていますわ。それでは、地母神様の重みを受け止められません」
訓練中の僧兵にグレゴが歩み寄る。僧兵はグレゴめがけて鋭い剛剣を振るった。グレゴはそれを指先一つで受け流し、信じがたい怪力で彼の巨体を石畳に叩き伏せた。
「…………っ、失礼いたしました!」
僧兵が恐怖と歓喜の入り混じった表情で額を地につける。グレゴは実働部隊『氷の涯』を束ねる頂点。その力は、単なる武技ではなく、神との「感応」によるものだった。
昼の祈りの時間。グレゴは祭壇の前で深いトランス状態に入る。脳裏に響くのは、誰かに狂おしいほど恋い焦がれ、求めて止まない地母神の『聖なる残響』。その切実な欠落感を自らの魂に注ぎ込みながら、グレゴは頬を涙で濡らす。
祈りを終えた彼女は、その足で子供たちの学問の時間に向かった。
「いいですか、皆。庭を美しく保つには『枝打ち』が必要です。病んだ枝、余計な枝を切り落とすのは、木を殺すためではありません。大いなる母のもとで、より強く、美しく芽吹くための慈愛なのですわ」
「はい、グレゴ先生!」と、子供たちは一点の曇りもない瞳で頷く。
午後の回診の後、薄暗い懺悔室では不貞に悩む男の告白を静かに聞いた。
「あなたの苦しみは地母神様がすべて背負ってくださいます。ですから……」
グレゴはしっとりと湿り気を帯びた指先で、男の震える手を包み込んだ。
「その罪の記憶を、どうか浄化の炎に変えなさい。火がすべてを焼き尽くした後には、清らかな救いだけが残りますわ」
男は彼女の指先の感触に陶酔し、救われた確信と共に多額の喜捨を置いていった。
陽が落ち、寺院に静寂が訪れる。グレゴは孤児院の寝所を回り、一人一人の寝顔を確認していた。
「……先生、あしたもいっしょにあそんでくれる?」
眠りの中、小さな手がグレゴの法衣の裾を掴む。彼女は慈しみに満ちた顔でその手を握り返し、子供の額にかかった髪を優しく払った。
「ええ、もちろんですわ。ずっと、一緒です。地母神様の腕の中で、ずっと……」
彼女は小さな揺り椅子に座り、子供たちが完全に眠りにつくまで、柔らかな声で子守唄を歌い続けた。その歌声には一点の毒もなく、ただただ深い愛情だけが満ちていた。彼女にとって、この子らを守ることも、やがて来る「剪定」も、同じ根から出た慈愛に他ならなかった。
子供たちが安らかな寝息を立てるのを見届け、グレゴが立ち上がった時、その表情から「母」の温度が消えた。
彼女は祭壇の前で地母神との感応を深め、その霊的な繋がりを媒介にして、遥か本国に居る聖女メルツラへと意識を飛ばした。
(メルツラ様。明日、決行いたします。……すべては、神の御心のままに)
寺院の最奥、黄金像の真下にある地下講堂。そこには、昼間は『寺院の力持ちさん』として振る舞っていた男たちが、氷のように冷徹な目を光らせて集っていた。
「標的は領主館に隣接する『白銀の牢獄』。天下十剣筆頭、オルト・アルマ・スターレが在城している限り、力ずくでの奪還は不可能です。……チャンスは三日後、オルトが定期公務で王都へ向かう空白の時」
卓上の地図には、スターレの街を切り裂くような赤い線が引かれていた。戦力となる三女ヒサメを市場エリアへ、次女メイを学区エリアへと、人為的な煽動で分断する計画だ。
「……何故、そこまでしてあの娘、シルヴィを狙うのですか」
一人の僧兵の問いに、グレゴは静かに答える。
「彼女はクラン『鋼鉄の牙』の正当な血筋。団長シンバが命懸けで隠蔽した、世界樹の鍵……その所在を知るのは彼女だけです。彼女を捕らえ、その魂から情報を引き出すことこそが、地母神様の渇望を癒す唯一の手段なのです。仮に彼女が知らなくてもその身柄を我々が預かるならば、団長シンバの口を割らせる事も難しくはないでしょう」
「市場と学区への火付け、煽動……。ですが、グレゴ様。これでは我らを慕う多くの信徒が巻き込まれます。彼らの命が……!」
僧兵が震える声で訴えた。その頬には、真実の苦悩が刻まれている。
「ええ、本当に……心苦しいことです。彼らは地母神様を敬う、かけがえのない私の子供たちなのですから」
グレゴは深く嘆き、胸の前で固く手を組んだ。その瞳には、嘘偽りのない悲しみの涙が溢れている。
「ですが、これは『剪定』なのです。もし不幸にも倒れる者がいたとしても、その命は地母神様の礎となり、共に極楽へ参るでしょう。黄泉の道で彼らに出会ったなら、我々は何度も、何度も、額が割れるほど地面に頭を下げて許しを請いましょう。許してもらえるまで謝罪し続け、ようやく許された後に、共に地母神様の腕の中へ行くのですわ。……彼らもきっと、最後には微笑んでくれるはずです」
「「…………おお、地母神様のご加護を」」
男たちは拳を胸に当て、自己犠牲の悦びに震えながら唱和した。
「……嫡男のカイン殿については、心配いりません。法を尊ぶあまりに壊れやすい、凡庸な若君。彼を法力で眠らせ、無力化するのは容易でしょう」
黄金の地母神像だけが、すべてを慈しむように冷たく輝いていた。
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