逃れられない非日常(ファンタジー)
白瀬湊が謎のカセットと機械を使って、テロリストを倒した日から一週間が経った。結論から言えば、特に何も起きなかった。
またテロリストの犯罪に巻き込まれることもなく、国の機密研究所に持って行かれたあの黒い機械が、突然手元に出現するような超展開もなかった。
一週間という時間は、人間が緊張感を保つには長すぎる。
最初は登下校のたびに周囲を警戒していた湊も、三日目にはスマホを見ながら歩くようになり、五日目にはあの異質な体験そのものが、まるで一夜の夢だったかのような、非現実的な記憶へと薄れていった。
「あ、湊。今日の小テストの範囲、どこだっけ?」
「32ページから。お前、また教科書忘れたのかよ。」
教室の窓際、差し込む朝の光の中で、湊は友人とそんな会話を交わしている。
あの一夜の出来事を、湊が時折思い返さなかったわけではない。
正直に言えば、あの蒼い竜のホログラムを駆使し、何もかもが格上の能力者を圧倒した己の姿は、男として格好良かったと思う。
平たく言えば、特撮ヒーローや転生系アニメの主人公にでもなったかのような、脳が灼けるほどの爽快感があった。
けれど――断然、今の生活のほうがいい。
命の危険に怯えることもなく、ただ友人と笑い合い、そしていつもと同じ明日を迎える。
この退屈な平穏こそが、無能力者の湊にとって最高の贅沢であり、あるべき正解だった。
だからこそ、その日の放課後。
担任の先生から入学関連のちょっとした雑用を頼まれ、断りきれずに引き受けてしまった湊が、すべての作業を終えて、すっかり人通りの途絶えた高校の敷地から一歩外へ出た、その瞬間だった。
「白瀬湊くんですね。少し、お話をよろしいでしょうか。」
湊の心臓は、嫌な音を立てて跳ね上がった。
校門のすぐ脇、夕闇に溶け込むように停車していた高級そうな黒塗りの車。
その傍らに立っていたのは、仕立ての良い黒いスーツに身を包んだ、あからさまに異質な雰囲気を漂わせている男だった。
他の生徒が全員下校したタイミングを、正確に狙い澄まされたかのような接触。
男は、あの機械とカセットテープを回収した『国家機密研究所』の研究員だった。
男は湊の動揺を気にも留めず、車のボンネットの上にジュラルミン製の頑丈なアタッシュケースを静かに置いた。
カチリ、とロックが解除され、蓋が開けられる。
「単刀直入に申し上げます。君に、これを返却しにきました。」
「……っ!」
そこにあったのは、国家機密研究所に研究目的で移送されたはずの、あの黒い時計型の機械と、小さなカセットテープだった。
「一週間、我が研究所のあらゆる技術を結集して解析を行いました。結果、判明した事実があります。
これは、未知のオーバーテクノロジーによって作られた自律型兵器――正式名称を『クロニクルガントレット』。そして、その核となる記録媒体を『クロニクルカセット』と、我々国家機密研究所は名付けました。」
クロニクルガントレット。
クロニクルカセット。
初めて知るその名前に、湊の体がこわばる。
「では、なんでそれを俺に……?」
「解析の結果、これらは一度起動した対象――つまり、君の生体波長を認証鍵としてロックしてしまっていることが判明したのです。
簡単に言うと、君以外の人間がこれを使おうとしても、全く機能しないということです。
我々は、この機械を使用した戦闘データが欲しいのです。
だから、この機械を扱える君に託した方が良いと政府が判断しました。」
「じゃあ……俺が持ってろって言うのかよ!?俺ののいないとこで勝手に決めやがって……。」
「はい。そういうことです。政府及び、国家機密研究所としては、君を監視下に置きつつ、この『クロニクルガントレット』の保管を君に委ねるのが最も効率的であるという結論に達しました。拒否権はありません。」
ケースの中から取り出したクロニクルガントレットが、湊の手元へと渡される。
さらに研究員は衣服のポケットから、別の小さなクリアケースを取り出し、並べた。
「――ただ、こちら側としても君に丸投げするだけではありません。これらも持っていきなさい。」
そこにあったのは、二本の異なるカセットテープだった。
一本は鈍い銀色の光沢を放つテープ。
そしてもう一本は、磁気テープの奥が奇妙に透けて見える、完全に透明なテープだった。
「それは……?」
「我が研究所が、クロニクルカセットの構造をベースに開発した初の疑似カセット――『シャームカセット:メタル』です。
我が国の最先端科学によって『鋼の力』を定着させることに成功しました。ガントレット本体が君を選んでしまった以上、戦闘実験は君にやってもらうしかない。
これを装填すれば、無能力者の君でも鋼の力を行使できます。」
「そしてもう一本は『ブランクカセット』。その名の通り、今は中身が空の器です。
これには、周囲で発生した超常現象の力や異能力、あるいは荒れ狂う自然の力そのものを、その場で封じ込めて入れることができます。」
「力を、封じ込める……?」
「ええ。クロニクルガントレットに備わっていた強大な吸引力を利用し、敵の異能を吸い上げて無力化する、あるいはその力を一時的にストックして君の武器にする。
理論上は可能ですが、まだ実戦データがありません。君には最低限の自衛と、我々へのデータ収集協力のために持っておくことを推奨します。」
「あと、君が所持していたドラゴンのクロニクルカセットは、こちら側で管理することにしました。では、また会いましょう。」
男はそう言い残し、車に乗ってどこかに行ってしまった。
夕闇の校門前に一人取り残された湊。
彼の手には手放したはずの、異常な世界の象徴が握られていた。
湊は、半ば無理矢理に非日常の世界へと送り返されてしまったのだ。




