戻ってきた日常(ノーマリティ)
「……っ、あ」
強烈な消毒液の匂いと、規則的な電子音に白瀬湊は目を覚ました。
視界に飛び込んできたのは、自宅の天井ではない。見たこともないハイテクな医療機器が並んでいる、真っ白な部屋だった。
全身が、あり得ないほどバキバキに痛む。特に、あのテロリストを吹き飛ばした右腕がとても重かった。
(夢、じゃない……。っていうか、ここどこだ……!?)
混乱する湊がサイドテーブルに目をやる。しかし、そこにはボロボロになった自分の制服があるだけで、昨日拾ったあの黒い時計型の機械も、小さなカセットテープもなかった。
「あら、やっと目が覚めた?」
自動ドアが静かに開き、部屋に入ってきたのは蓮城陽菜だった。漆黒を基調に金色の刺繍が施された、国内最高峰の超常エリートの証――『水録学園』の制服に身を包んでいる。
「陽菜……! ここはどこなんだ?」
「水録学園の病院棟。安心して、私の権限で一般の面会者として手続きを通してあるから、怪しまれてはいないよ。」
「なるほど、助かったよ。でも、あの機械とカセットテープは……?」
湊の問いかけに、陽菜は少しだけ痛ましそうな、悔しそうな表情を浮かべて首を振った。
「ごめん、あれはもうここにはないの。私、学園長には昨日のこと、隠さずに全部正直に報告したのね。あなたが無能力者の一般人だってことも、あの機械にカセットテープを嵌めたら、突然ドラゴンの部位のホログラムが現れて、瞬く間にテロリストを撃破したことも。」
「全部……? じゃあ、俺、研究対象とかにされるんじゃ……。」
「そうならないために、あえて正直に言ったのよ。」
陽菜は真剣な口調で言葉を継いだ。
「私の超常現象観測計には、あの時のあり得ないエネルギー反応のログが全部残ってた。
だから、下手に隠すよりは、あなたが無能力者の一般人で、たまたま拾ったあの機械とテープの力だけでテロリストを撃破したんだって、先に証明した方がいいと思ったの。」
「……道具の、力。」
「そう。現場の遺留品として異能対策課の検査班が学園の設備を使って調べたんだけど、あなたの使った力は、あなたの異能じゃなくて100%あの機械とカセットテープの出力によるものだって証明されたから。
あなたの波長や生体エネルギーは、検査しても完全にただの一般人。だから学園長も『道具が本体なら、その子には尋問はしないことにしようか』って言って、あなたへの尋問をなしにしてくれたの。……ただね」
陽菜は一瞬、言葉を詰まらせてから、真剣な目付きになって話しだした。
「あのカセットテープから、現代科学じゃ説明できない未知の超高密度エネルギーが検出されちゃって。
学園の分析機材が火を噴いて壊れるほどの大騒ぎになったの。事態を重く見た日本政府がすぐに動いて、機械もテープも『国家級の重要研究対象』として、国の最高機密研究機関へ直ちに移送されちゃったの。」
「国家の、研究対象……。」
「うん。無能力者でも使える手軽さと、強い能力者をも圧倒できる力を兼ね備えた超常兵器だからね。
……でも、あなた自身はただの一般人だから、国も興味を持たなかったみたい。不幸中の幸い、かな。」
「そうか……。いや、持って行かれたなら別にいい。拾っただけだし……それに、生きてるだけで儲けものだしな。」
ただの一般人である湊にとって、国家が最高研究対象に指定するような物は、最初から手元にないほうが、いろんな意味で安全なはずだ。
「はい、これ退院手続きの書類。もう体は動くでしょ? ここは一般人が長居していい場所じゃないから、さっさと街に戻るよ。」
陽菜が手際よく手続きを済めてくれたおかげで、湊は何の尋問も受けることなく、無事に水録学園の敷地を後にすることができた。正門前で陽菜と別れた湊は、そのまま自分の家へと帰ったのだった。
◇
「早く出ないと遅刻するよー! 湊!」
「わかってるって、母さん……!」
翌朝、食パンを口に咥え、新しく買ったばかりの制服に袖を通して家を飛び出す。
家を出て、歩きながら見上げる空は、抜けるように青い。
異能の光も、テロリストの怒号も、俺を救ってくれたあの蒼いホログラムも――ここには、何一つない。
どこまでも清々しい朝だった。
湊が通う高校は、水録市の片隅にある、ごく普通の学校だ。
超常現象対策都市であるこの街にいる以上、定期的な『超常災害避難訓練』や、異能犯罪のニュースとは無縁ではいられない。
それでも、水録学園のエリートたちが生きる能力主義が根付いた、競争性がある世界とは、およそ関係のない平穏な場所だった。
「湊! 昨日帰りにコンビニ寄ろうって約束、バックれたなー?」
「わりぃ、ちょっと体調崩してさ」
「なんだよそれ、入学初日だぞ? まあ、今元気ならそれでいいさ。」
苦笑いしながら、新しくできた友人と肩を並べて校門をくぐり、教室へ向かう。
窓際の席に座り、お世辞にも面白いとは言えない担任の長いホームルームを聞き流す。
昼休みは、購買の激しいパン争奪戦に巻き込まれ、焼きそばパンを勝ち取る。
放課後は、今度こそ友達と寄り道して、コンビニの安いチキンを買い食いしながら、くだらないスマホゲームの画面を見せ合う。
どこまでも退屈で。
どこまでも、愛おしい。
これが、ただの無能力者である白瀬湊の、本来あるべき『正解の日常』だった。
(これでいい。あの異常な世界は、水録学園のエリート様たちに任せておけばいいんだ。あの機械も国に任せて置けばいい。)
夕暮れ時、オレンジ色に染まる通学路を一人で歩きながら、湊はそんなことを考えていた。
しかし、この都市の裏側に関わってしまった者を、運命がこのまま見逃してくれるはずもなかった。




